磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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敗戦の逆説-戦後日本はどうつくられたか-

2009年08月08日 | 読書日記など
『敗戦の逆説-戦後日本はどうつくられたか-』
   進藤栄一・著/筑摩書房1999年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「国境を越えた米日双方の改革派と保守派による熾烈な抗争の下で、戦後日本はどのようにつくられていったのだろうか。ドイツやイタリアと違い、分割占領を免れ、間接占領の恩恵に浴した、戦後日本の幸運な出発。だが、その幸運に胚胎した不幸の種が戦後半世紀を経た〈負の遺産〉として、現代日本のシステムにおけるさまざまな機能不全をもたらしている。隠された戦後の原像を豊富な史料の検証により浮き彫りにするとともに、改めて戦後・後の日本のゆくえを問いなおす力作。」



21世紀的世界像。下「」引用。

「その時改めて、今私たちに求められているのが、けっして“制憲のねじれ”を正し、アジアへの責任を応える前にわれらが「三百万の英霊」を悼むことにあるのではない現実に気づくはずだ。そもそも、米国の核によって平和主義憲法が“押しつけられた”ねじれにこそ、私たちの「戦後の自己欺瞞」の原点があるとする議論自体、いかに狭隘な世界像を基礎していることか。とりわけて、国境の高い壁を前提にした堅いビリアードの球のぶつかり合いとして国際関係を見る見方自体、いわば一九世紀的で古典的な世界像の帰結でしかあるまい。
 今私たちに求められているもの--それは、諸民族間の相互依存が深化し、官ではなくて民の力“市民的諸活力”が“国家の積載力”を問い直して諸民族間の共生を求めつづける二一世紀的世界像であるはずだ。」

ラーベの『日記』すら……。下「」引用。

「昨日ワシントン入りした私の眼に真先に飛び込んできたのが、半世紀前の南京寺家んもまともに清算できず、“第二のシンドラー”ラーベの『日記』すら公刊できない“旧い戦後ニッポン”の歪みを指弾するこの国のメディアの数々だ。しかもそれらがことごとく、過去を清算してきた戦後ドイツと比較されつづけている。」

もくじ

「4 神話としてのスチムソン」
京都を原爆投下目標地から除外したことについて書かれてある……。下「」引用。

「『スチムソン日記』--全五七巻に及ぶ。ぎっしりとタイプ打ちされたこの記録は、現代史家にとって、「歴史の宝庫」である。原爆投下決定と日本降伏に直接かかわったおよそ半年間だけでも、全三五○頁余に及ぶ。」

高次(!?)な政治外交戦略によるという……。
それは、日本をソ連に近づかせないためという……。



スティムソンとアイク。下「」引用。

「この時、スチムソン七八歳、アイゼンハワー五四歳--。軍事に可能性を見つづける文官と、軍人に限界を見る武官との違いである。よしんばその武官大統領が在任中、核抑止論に依拠しつづけていたにしてもである。-略-」

マッカーシズムの嵐。下「」引用。

「エマソンはのち、五○年代反共マッカーシズムの嵐の中で、府中刑務所での行動を、延安行きとともにとがめられ、議会の査問と保守派の激しい非難中傷にさらされることになる。のちにふれる、延安を訪れた他の外交官たちが、進歩的アジア学者ラティモアやビッソンらとともに議会の査問を受け、“赤狩りの犠牲に供せられ始めていた。-略-」

「強い日本」は「民主化」から……。下「」引用。

「「民主化」の徹底によって社会的に強化された日本へと変えることこそが、「強い日本」をつくることになるとする日本論だといいかえることもできる。
 そうしたノーマンにとって、近衛や木戸、あるいは若槻や吉田ら穏健派、もしくは親米英派やリベラル派を自称する守旧派は、けっして戦後の日本政治と日米関係との担い手となるべき者たちでなかった。いや、彼らこそが、開戦責任を問われ、戦後日本の民主政の発展の阻害分子として政治世界から追放されるべきものととらえられていたのである。-略-」









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