磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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武谷三男著作集3 戦争と科学

2008年05月28日 | 読書日記など
『武谷三男著作集3 戦争と科学』
   武谷三男・著/勁草書房1968年、1976年4刷

どうかな~と思うところもありますが、これほどの量を書かれていたら当然あることでしょう。そして、それも何年後かの後出しジャンケンですね。知識を誇りたいために書いているわけではありません。きちんと把握したいので書いています。
--もちろん、誇るほどの知識はボクにはございません……。




■目次・大タイトルのみ■
・戦争と科学  3
・みな殺し戦争としての現代戦  187
・「原子戦争」より  397


この本の口絵の写真には何度か驚きました。下「」引用。

「3月10日の東京空襲 防空壕内の一酸化炭素中毒死体 近親者が探すために公園に展示したところ」(※)撮影者石川光陽

三人の女性科学者のことが書かれてありました。
・キュリー夫人、ラジウム発見。
・リゼ・マイトナー、ウラニウムの核分裂を発見。
・イレーヌ・キュリーと、そのお婿さんのフレデリック・ジュリオ=キュリー。
--中性子発見。これは原子の点火をする役割をもつ粒子。
この三人で原爆が可能となる……。

長岡半太郎博士のことが書かれてありました。下「」引用。

「原子は正の電気の重い核が中心にあり、まわりに電子がとびまわっているという太陽系のようなものだということになり、大体において長尾原子に軍配があがりました。
 長岡先生が折角、このような世界的な業績を行ない原子研究の発端をひらいていながら、その後日本の原子研究は一向に進歩しなかったというのは、どういうわけかといいますと、基本的には、日本の科学は軍事的であったのでこのような純粋な研究に注意を払う人がいなかったためであり、長岡先生が自分である人におっしゃったことですが、その当時の日本の学界の大御所連が、長岡せんせいの原子模型の理論を、形而上学であって科学ではない、といっておさえつけてしまったためでした。」

長岡は原爆について批判的であったと書かれている本もあります。

--六大都市に原爆を投下したら……。下「」引用。

「本稿では広島の投下された原爆の8倍のエネルギーをもつTNT16万トン相当原子爆弾が最も有効な高度で爆発し、平常の気象状態であった仮定し、その他の場合をも適宜考慮することとする。」

京都を例にすると……。下「」引用。

「京都--古い日本の文化財は寸時に消え去る。市中央部を壊滅させるにはTNT16万トンでは過大である。もし中央をねらわずに付近に目標物があって投下されても、あまり強くないこの古都の命脈は断ち切られ、日本民族の主要文化遺産の存続は覚束ない。」





原爆乙女のことも書かれてありました。
著者は吉川清と話されたようでもあります。下「」引用。

「谷本牧師は、上流階級にはうまく取り入っているようだが、被害者は誰も尊敬していないという状態である。」

誰も尊敬していないのに、彼の名前を冠とした賞があるとはボクには思えません。
--アメリカ的だとか、これでうやむやにするとか……。
--そうだったのでしょうか? 以後も平和運動は続けられていますね。
隠そうとする人たちから見れば、谷本は邪魔だったとボクは思います。

戦犯と原爆乙女。
--紙に書かれたものを乙女は読んだというのが他の本にも書かれてあったと思う。
--しかし、それでよかったとも書かれてもあったと思います……。
尊敬できる人物たちだとボクには思えますが……。
--そして、アメリカでも彼女たちは平和と友好を訴えた。
悲惨さばかりでは、平和は来ません……。
アメリカにも平和主義者はいます!

もくじ


ABCCのテーラー所長と語る著者。下「」引用。

「武谷 原爆を人間の頭上で爆発さすことはよいことですか。
所長 自分は医学の学者として、政治的なことは語らない。」

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むしろ、政治のために働かれているのではないのでしょうか?
--医学というのなら、ヒポクラテスの誓いは守られていますか?


ナパーム弾は日本軍も使用していたという。下「」引用。

「ナパーム弾は、ある話によると、日本海軍が戦時中に三式弾という名前で、軍艦の大砲の弾の中にナパームを詰めて、ガダルカナル島の飛行場を射撃して一面火の海にしたというくらいであり、また軍艦陸奥が、突如として自爆して沈んだのも、ナパームの三式弾による、というふうにいわれている。」

「なぜ第二次大戦が毒ガスが使われなかったか」というタイトルは間違いですね。
--日本軍は使用しましたね……。ただアメリカに対しては使用しなかった。

佐藤内閣はプライバシーで阻止しようとした。下「」引用。

「佐藤内閣が、一方では「核アレルギー解消」を唱えながら、他方では、わが国の科学者が作り上げ、長年米国に没収されていたのちやっと昨1967年りに返却された広島・長崎両市の原爆被爆記録フィルムから、人体被害の部分を「被撮影者個人のプライバシーを侵すおそれがあるから」とか「学術研究用にならよいかも知れぬが、一般公開にするには残虐性が強すぎて公共風俗に悪影響を及ぼすといけないから」とか言って、削除したとき、同じ「良識ぶり」が持ち出されたのである。」

著者は何度か大田洋子に関することを書いていました。

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--残虐なのはヒバクシャではなく、投下した人たちですね。








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