磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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広島市平和祈念式典に参加して-平和への想い新たに-

2008年06月12日 | 読書日記など
『広島市平和祈念式典に参加して-平和への想い新たに-』
   甲府市市長室公聴担当・編/甲府市市長室公聴担当1990年

核兵器廃絶平和都市として、その活動をされたようです。
--多くの人たちの協力なくしては、核廃絶はできないことでしょうね。



甲府市の「核兵器廃絶平和都市宣言」……。下「」引用。

「戦争の惨禍を防止し、恒久平和と安全を実現することは人類共通の念願である。
 わが国は、世界唯一の核被爆国として、核戦争の回避を求め、被爆の恐ろしさ、被爆者の苦しみを声を大にして全世界に訴え続けてきた。しかしながら、核軍備の拡大は以前として続いており、人類が平和のうちに生存する権利を根本から脅かしている。
 甲府市は、非核三原則の完全実施を願い、すべての国の核兵器の全面廃絶と軍備縮小を求め、人類の永遠の平和を希求し、核兵器廃絶の世論を喚起するため、ここに「核兵器廃絶平和都市」となることを宣言する。
   昭和57年7月2日  甲府市」

歌いたいという人もやはりおられたようです。下「」引用。

「二日間、平和祈念式典に参列した。最後に歌う「ひろしま平和の歌」は、ぜひ歌おうと思い式典前のリハーサルの時、覚えようと思ったが、本番ではあまり大きな声で歌えなかった。海部首相のあいさつにしても、形式的な感じがした。日本人を代表し、もっと平和を訴えてもいいと思う。45年前の今日のことを考えたら、暑いなんていってられない。たかが一時間、体をうごかさず、無駄口もせず、式典に臨むべきだと思い参列した。夕方、京都に着いたが、テレビを見ていて、6日の夜も広島にいたかったと思う。」

そして、甲府戦災を考える人……。下「」引用。

「私は戦時中の生まれです。甲府戦災の時は1歳でしたので体験はしていますが、全然記憶には有りません。母に背負われて逃げ廻ったそうです。刑務所の裏は死体がゴロゴロしていたそうです。父は赤ちゃんをおんぶしている死体を、母と私ではないかと調べながら探し廻ったそうです。」

戦争になれば、他人事ではないのです……。

そして、京都でのことを書かれています。下「」引用。

「広島をあとに京都、楠荘の一夜は疲れがとれよき思い出になりました。33間堂千体の仏像、又金閣寺見学嵐山の芸能人の店も見てこれた事が大変うれしく思います。帰りの車の中で、ほたるの墓のビデオを見せてもらい幼い子供が一生懸命に生きる姿を見悲しく涙が止まりませんでした。二度と繰り返しはなりません。がんばりたいと思います。良い勉強と又良き思い出になりました。」

また、違う人も書かれています。下「」引用。

「帰りのコース京都では、古い町並、昔ながらのたたずまいを残し、三十三間堂、金閣寺と、すれ違う観光客は、平和そのものでした。
 本当に平和とは、素晴らしい。原爆許すまじ。この気持ちを、一人でも多くの人に伝え、平和の世の中で、安心して暮らして行ける様、改めて思いました。」

京都にも平和的でない人はいます。

--そんな人にこそ、原爆を見つめてほしいとボクは願います。












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