20代の日本人は、「仕事を通して世の中の役に立ちたい。手応えが欲しい」と言う。
いっぽう中国人は、「家が欲しい、車が欲しい。そのための仕事だ」と言う。
誰もが完璧に満足するシステムなんてものはないから、
最適解を求める努力は続けなければならないし、そもそもシステムなんてものは運用次第だ。
日本人と中国人は、それほど変わらないと思うところもあれば、
全然違うと思うところもある。
それほど変わらないと思う点は、チーム意識さえ作ることができれば、
中国人でも喜んで残業をする、完了するまでは帰らない、完成品にプライドを持つ、ということ。
全然違うと思うところは、日本人は、それが会社の目標として設定されたとたん、
自然にチームの一員という意識ができるけれど、
中国人の場合は、こいつは組む価値があるかどうか、という普段の態度を見られていて、
「こいつは逃げないぞ。金や面子を生み出すぞ。けっこう面白いヤツだぞ」と思った場合に、
やっと8割乗ってくるという点。
だから中国人には、「チームを立ち上げました。制度を作りました」と言うだけではダメで、
何かをスタートする前の仕込みが非常に重要だ。
顔が見えなければ、どんなに地位があって金をもっているヤツが来ても、
顔を背けられるのがオチだ。
だって、どんなに地位があっても、それが威張るためだけの地位なら、こっちはイヤな思いをする。
金をもってたって、それをこちらのために使わなければ、それは意味がない。ないのと同じ。
なんせ「作ったはいいけど、活用できませんでした!」は、
中国共産党が、この何十年間でたくさんやったから、中国人は目が肥えてる。
ということで、日本本社の「威光」が中国現地法人に届かないことは多い。
中国人は、日本人のイメージとは違って、かなり勉強熱心で、
専門知識や語学などの習得には非常に真剣だ。
というのも、彼らは、リーダーの資質と業務スキルの向上を、しっかり分けて考えるからだ。
すごく成績はよくても、人格がリーダー向きでない人、
仕事はそこそこでも、リーダーらしいビジョンとアイデアを持っている人。
この区別を明確につける。
いま、中国にいる日系企業に中国人の優秀な人材が来ないのは、
日本の評価制度を中国に持ち込むからだと思う。
変な目標設定と評価シートに基づく成果主義。
営業成績がいいから管理職になりましたというパターンだ。
性格が管理職向きではないことも多く、中国人は「またか」と思う。
その点、本物の技術者が来た時の中国人の尊敬心はものすごい。
というのも、仕事にはミスをしないことが当たり前だというものもたくさんある。
そして、人為的なミスの場合は、性格に負う部分も多く、
それはOJTのなかで、徐々にトレーニングをつみ、本人が克服していくとともに、
周囲はそれをフォローする簡単な工夫を積み重ねることで、お互いによくしていく。
それが、仕事のほとんどだと思う。
つまり、120パーセントという目標値が設定できない仕事において、
数値目標を取り入れてしまったら、仕事は増えるけれど、点数は増えないということになる。
日本だって新入社員の頃の仕事は、ほとんどがこういった内容だったと思う。
中国の企業では、これからますます品質の向上と安定、付加価値を生み出す仕事が求められる。
それには「仕込み」が大切で、
外国から機械を買ったからできる、システムをまねて作ったからできる、というのとは違う。
中国人の経営者たちは、いまそれを考えているのに、
いまだに日本人の経営者たちは、部分的な日本を移植しようとする。
ちゃんとビジョンをもって、それを実行できる人が、
毎日、中国人と顔を合わせて一緒に仕事をして、「俺についてこい」と言わなければならないのに、
それをやっている日本の企業は本当に少ない。
中国で起業した日本人であっても、それができる人は少ない。
リーマンショックの後、欧米企業はさっさと引き上げたけれど、
そこで踏みとどまった日系企業も多く、
中国人たちは「やはり日系企業のほうが、長い目で見たときに優れている」と言っていた。
単に決断が遅かっただけなんだけど、
企業の将来を長い目で見ているように、よく見えた部分もあるらしい。
将来のビジョンというのは、国を問わず、やっぱり魅力なんだと思う。
日本の企業のこうした態度が、本当に将来の経営ビジョンに基づいたものだったら、
日本の体質と中国の可能性で、本当にいいハイブリッド企業が産まれると思うんだけどなあ。
先日、1980年代から日本企業と付き合っている中国人のベテランさんに、
「最近の日本人の若い人たちは、大企業のエリートたちも、書類を埋めることばかり考えてて、
ビジョンがないね。一緒に何をやろう、がないね。せっかく日本人は優秀なのにね」と言われ、
「大丈夫です。もうすぐ日本経済はいよいよダメになるんで、そしたら敗戦後のように、
日本人はあがくしかなくなるから、きっと私たちの子どもか孫の世代は、やってくれますよ」と言った。
そうしたら、彼は涙を浮かべながら、こう言った。
「1980年代に中国に来た日本人の技術者たちは、本当にスゴかった。
この人たちと一緒に仕事をしたいと、本当にあこがれて、努力したんだよ。いまでも尊敬してる」
いまの日本人の若い人たちには、すごい先輩に会ったことがない、と言う人も多い。
日本が失われた10年で失ったものは、本当に大きかった。
私がいま、もし若い人に、こんなに日中関係が悪く、回復の見込みもないのに、
「中国語を学ぶ価値があるかどうか」と聞かれたら、自信をもってこう答える。
かつて、日本の本当にすごい先輩たちが世界各地に渡った。
彼らが中国に蒔いた種を知り、それをもっと改良していくためには、中国語を話せるほうがいい。
そこには、メディアが報道しない本当の姿があるから。
どこの国の神話にもある。
必ず、失われた言葉を話す民族は再臨し、過去の叡智は新たな輝きを放ち、
世界はまた新たなステージを迎える。
何も、無理して、魔法のように、まったく新しいことを生み出す必要はない。
その人が「失われた民の再臨」かどうかを決めるのは、自分ではなく、相手なのだから。
さて、明日からの自分に対する仕込み、ひとまず完了。
最近、仕事で日本人が原因による「トホホ」が多いから。
いっぽう中国人は、「家が欲しい、車が欲しい。そのための仕事だ」と言う。
誰もが完璧に満足するシステムなんてものはないから、
最適解を求める努力は続けなければならないし、そもそもシステムなんてものは運用次第だ。
日本人と中国人は、それほど変わらないと思うところもあれば、
全然違うと思うところもある。
それほど変わらないと思う点は、チーム意識さえ作ることができれば、
中国人でも喜んで残業をする、完了するまでは帰らない、完成品にプライドを持つ、ということ。
全然違うと思うところは、日本人は、それが会社の目標として設定されたとたん、
自然にチームの一員という意識ができるけれど、
中国人の場合は、こいつは組む価値があるかどうか、という普段の態度を見られていて、
「こいつは逃げないぞ。金や面子を生み出すぞ。けっこう面白いヤツだぞ」と思った場合に、
やっと8割乗ってくるという点。
だから中国人には、「チームを立ち上げました。制度を作りました」と言うだけではダメで、
何かをスタートする前の仕込みが非常に重要だ。
顔が見えなければ、どんなに地位があって金をもっているヤツが来ても、
顔を背けられるのがオチだ。
だって、どんなに地位があっても、それが威張るためだけの地位なら、こっちはイヤな思いをする。
金をもってたって、それをこちらのために使わなければ、それは意味がない。ないのと同じ。
なんせ「作ったはいいけど、活用できませんでした!」は、
中国共産党が、この何十年間でたくさんやったから、中国人は目が肥えてる。
ということで、日本本社の「威光」が中国現地法人に届かないことは多い。
中国人は、日本人のイメージとは違って、かなり勉強熱心で、
専門知識や語学などの習得には非常に真剣だ。
というのも、彼らは、リーダーの資質と業務スキルの向上を、しっかり分けて考えるからだ。
すごく成績はよくても、人格がリーダー向きでない人、
仕事はそこそこでも、リーダーらしいビジョンとアイデアを持っている人。
この区別を明確につける。
いま、中国にいる日系企業に中国人の優秀な人材が来ないのは、
日本の評価制度を中国に持ち込むからだと思う。
変な目標設定と評価シートに基づく成果主義。
営業成績がいいから管理職になりましたというパターンだ。
性格が管理職向きではないことも多く、中国人は「またか」と思う。
その点、本物の技術者が来た時の中国人の尊敬心はものすごい。
というのも、仕事にはミスをしないことが当たり前だというものもたくさんある。
そして、人為的なミスの場合は、性格に負う部分も多く、
それはOJTのなかで、徐々にトレーニングをつみ、本人が克服していくとともに、
周囲はそれをフォローする簡単な工夫を積み重ねることで、お互いによくしていく。
それが、仕事のほとんどだと思う。
つまり、120パーセントという目標値が設定できない仕事において、
数値目標を取り入れてしまったら、仕事は増えるけれど、点数は増えないということになる。
日本だって新入社員の頃の仕事は、ほとんどがこういった内容だったと思う。
中国の企業では、これからますます品質の向上と安定、付加価値を生み出す仕事が求められる。
それには「仕込み」が大切で、
外国から機械を買ったからできる、システムをまねて作ったからできる、というのとは違う。
中国人の経営者たちは、いまそれを考えているのに、
いまだに日本人の経営者たちは、部分的な日本を移植しようとする。
ちゃんとビジョンをもって、それを実行できる人が、
毎日、中国人と顔を合わせて一緒に仕事をして、「俺についてこい」と言わなければならないのに、
それをやっている日本の企業は本当に少ない。
中国で起業した日本人であっても、それができる人は少ない。
リーマンショックの後、欧米企業はさっさと引き上げたけれど、
そこで踏みとどまった日系企業も多く、
中国人たちは「やはり日系企業のほうが、長い目で見たときに優れている」と言っていた。
単に決断が遅かっただけなんだけど、
企業の将来を長い目で見ているように、よく見えた部分もあるらしい。
将来のビジョンというのは、国を問わず、やっぱり魅力なんだと思う。
日本の企業のこうした態度が、本当に将来の経営ビジョンに基づいたものだったら、
日本の体質と中国の可能性で、本当にいいハイブリッド企業が産まれると思うんだけどなあ。
先日、1980年代から日本企業と付き合っている中国人のベテランさんに、
「最近の日本人の若い人たちは、大企業のエリートたちも、書類を埋めることばかり考えてて、
ビジョンがないね。一緒に何をやろう、がないね。せっかく日本人は優秀なのにね」と言われ、
「大丈夫です。もうすぐ日本経済はいよいよダメになるんで、そしたら敗戦後のように、
日本人はあがくしかなくなるから、きっと私たちの子どもか孫の世代は、やってくれますよ」と言った。
そうしたら、彼は涙を浮かべながら、こう言った。
「1980年代に中国に来た日本人の技術者たちは、本当にスゴかった。
この人たちと一緒に仕事をしたいと、本当にあこがれて、努力したんだよ。いまでも尊敬してる」
いまの日本人の若い人たちには、すごい先輩に会ったことがない、と言う人も多い。
日本が失われた10年で失ったものは、本当に大きかった。
私がいま、もし若い人に、こんなに日中関係が悪く、回復の見込みもないのに、
「中国語を学ぶ価値があるかどうか」と聞かれたら、自信をもってこう答える。
かつて、日本の本当にすごい先輩たちが世界各地に渡った。
彼らが中国に蒔いた種を知り、それをもっと改良していくためには、中国語を話せるほうがいい。
そこには、メディアが報道しない本当の姿があるから。
どこの国の神話にもある。
必ず、失われた言葉を話す民族は再臨し、過去の叡智は新たな輝きを放ち、
世界はまた新たなステージを迎える。
何も、無理して、魔法のように、まったく新しいことを生み出す必要はない。
その人が「失われた民の再臨」かどうかを決めるのは、自分ではなく、相手なのだから。
さて、明日からの自分に対する仕込み、ひとまず完了。
最近、仕事で日本人が原因による「トホホ」が多いから。