ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

中国の反日デモについて

2010-10-25 02:23:38 | Weblog
眠れないのは、明日、会社に行くのがイヤなのではなくて、
困ったことに、充実した休日のおかげで、思考が回り始めてしまったためだ。

中国の反日デモ、日本人としての反感をいったん保留して、いろいろと考えてみる。
そんな余裕がうまれたのは、中共が、本格的にデモを「ストップ」し始めたからだ。

中国で起きるデモは、ほとんどが政府主導のデモで、
反日デモであってもそうだったらしい。

もとより、反日教育が盛んになったのは、天安門事件の後からだ。
自国の政府に対して意見を言う人民よりも、
「日本帝国主義」に敵愾心を持っている愛国的な人民の方がいい。
そんな国民を育てようと江沢民が思った、と言われているらしい。

そのへんの中国の国内事情は、もう他人には口の出しようがない。
しょうがない歴史があるのだし、それをいまの人が、
どのように解釈し利用しようが、これは止めようがない。

ただ、反日デモのおかげで、
私は、「デモってなんだろう」と考える機会をもらえた。
暴徒に襲われた店舗や日系企業、不安な気持ちを抱えている
現地の日本人には申し訳ないのだけど。

右翼でも左翼でも、そんなことはどうでもいい。
どちらかが決定的に正しくも、間違ってもいない。
人間が何かを考える時、「枠組み」が必要だ、ということにすぎない。

ただ、デモという行為は少し違う。
これは、決定的に、根源的に、「革命」を求める行為だと思う。
また、「革命」を求めないデモは、デモではない。
だから政府主導の作られたデモは、デモではなくてマスゲームだ。
一方、主体的に行われるデモは、多かれ少なかれ「革命」への願望を帯びていて、
それへの熱望の度合いや、純化といった点では、いろいろな意見が出て来ると思うけど、
行為のあいだに、その目的や手段が純化される、純化されすぎてしまうという可能性はある。

大学生の就職が厳しい点では、中国も日本も同じだ。
いい大学に入れば普通よりは上の生活が保証されると言われて頑張ってきたのに、
卒業するいまそんな将来はない、と知った大学生たちの絶望は、
当然に、革命をもとめる要素をもつだろう。
この絶望の度合いは、中国人は日本人の比ではないと思う。

もし、あえて、デモをする中国とデモをしない日本の大学生の違いを挙げるなら、
「エリートであれば、社会的地位を得て、いい生活ができるはずだ」という中国人と、
「大学出るのは当たり前という親のためで、本当は、
お金やいい生活よりも、自分らしく生きたいと思っているんだよね」という日本人の違いかな。

だから、いまの日本の感覚で、
中国の大学生が行っているデモを見るのは非常にズレている、ような気がする。
安保闘争のころを思い浮かべて、中国のデモを見たときに、
はじめて代替戦争ならぬ代替デモと、中国政府の対応が見えてくるような気がする。

と、勢いで書いて、落ち着いたので、やっと眠れそうな気がする。


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