筋肉痛である。
原因は、機織り。
昨日、無理な体勢で縦糸を仕掛けていたためか、
ちょうどいい高さの椅子がなかったため、
キングスライムのようなバランスボールの上に座って2日間機織りをしたためか、
とにかく、腰と太もも(内側と裏側)が筋肉痛である。
なまっている。
さて、今朝、電車のなかで筋肉痛のため揺れに耐える立ち方を模索しながら、
頭の中がボーッとしていたときに、
ふと、母がものすごく共産主義を大嫌いだったことを思い出した。
小学生のとき、ソ連、中国、北朝鮮、東ドイツという存在を知った私は、
母に、これらの国のことを質問した。
母は、私に輪をかけて好き嫌いがハッキリした人だったので、
いきなり「共産主義は嫌いよ」から話し始めた。
感情論から始まるけど、よくよく聞いてみると、その話は魅力的なことが多い人だった。
嫌いな理由は単純。
共産主義は、家族を解体して、個人と党のつながりを最優先させる。
つまり、共産党の私のつながりの方が、母と私のつながりよりも優先される。
そんなのって、耐えられないし、人間としての本質に反している。
無理だという以前に、意味がない、と。
ぽかんとしている私に、母は追い打ちをかける。
例えば、と話が続く。
仕事も住むところも党が与えてくれるんだけど、
母も私も気管支が弱いのに、党からお父さんが、
「あなたの仕事は高速道路を作ることなので、高速道路の下に住みなさい」と言われたら、
文句は言えないし、ありがたい、って言わなきゃいけない。
お父さんは、家族を幸せにしようと思って仕事を頑張るのに、
どんどんどんどん排気ガスのせいで、家族の気管支が悪くなったら、悲しい。
仕事や住むところを自由に選べる、というのは、
真の平等のために、とても大切なことなのよ。
人は、それぞれ違うのだから、と。
家族を大切にするということは、
自分以外の人を大切にする、ということ。
そして、町で出会った見ず知らずの人にも家族がいる、と思えることは、
やさしさが広がって行くこと。
だから、共産主義は、人間にとって一番大切なことを見失いがちなとても難しい思想だし、
根本的に「つくろうと思ってつくる」ものではなくて、
「中にいる人が気がつかないうちに出来ているはずのもの。しかも失ってはじめて気づくものなのだ」
と言っていた。
同様の理由から、お国のために死にましょうも大嫌いだった。
この世に、家族以上に大切なものはない、というのが母の口癖だった。
ということで、私が中国に留学したいと言った高校生のころ、
まず最初にちらりと否定的なことを言ったのは母だった。
原因は、機織り。
昨日、無理な体勢で縦糸を仕掛けていたためか、
ちょうどいい高さの椅子がなかったため、
キングスライムのようなバランスボールの上に座って2日間機織りをしたためか、
とにかく、腰と太もも(内側と裏側)が筋肉痛である。
なまっている。
さて、今朝、電車のなかで筋肉痛のため揺れに耐える立ち方を模索しながら、
頭の中がボーッとしていたときに、
ふと、母がものすごく共産主義を大嫌いだったことを思い出した。
小学生のとき、ソ連、中国、北朝鮮、東ドイツという存在を知った私は、
母に、これらの国のことを質問した。
母は、私に輪をかけて好き嫌いがハッキリした人だったので、
いきなり「共産主義は嫌いよ」から話し始めた。
感情論から始まるけど、よくよく聞いてみると、その話は魅力的なことが多い人だった。
嫌いな理由は単純。
共産主義は、家族を解体して、個人と党のつながりを最優先させる。
つまり、共産党の私のつながりの方が、母と私のつながりよりも優先される。
そんなのって、耐えられないし、人間としての本質に反している。
無理だという以前に、意味がない、と。
ぽかんとしている私に、母は追い打ちをかける。
例えば、と話が続く。
仕事も住むところも党が与えてくれるんだけど、
母も私も気管支が弱いのに、党からお父さんが、
「あなたの仕事は高速道路を作ることなので、高速道路の下に住みなさい」と言われたら、
文句は言えないし、ありがたい、って言わなきゃいけない。
お父さんは、家族を幸せにしようと思って仕事を頑張るのに、
どんどんどんどん排気ガスのせいで、家族の気管支が悪くなったら、悲しい。
仕事や住むところを自由に選べる、というのは、
真の平等のために、とても大切なことなのよ。
人は、それぞれ違うのだから、と。
家族を大切にするということは、
自分以外の人を大切にする、ということ。
そして、町で出会った見ず知らずの人にも家族がいる、と思えることは、
やさしさが広がって行くこと。
だから、共産主義は、人間にとって一番大切なことを見失いがちなとても難しい思想だし、
根本的に「つくろうと思ってつくる」ものではなくて、
「中にいる人が気がつかないうちに出来ているはずのもの。しかも失ってはじめて気づくものなのだ」
と言っていた。
同様の理由から、お国のために死にましょうも大嫌いだった。
この世に、家族以上に大切なものはない、というのが母の口癖だった。
ということで、私が中国に留学したいと言った高校生のころ、
まず最初にちらりと否定的なことを言ったのは母だった。