ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

祈り

2013-11-12 00:08:42 | Weblog
11月7日、亡き母の誕生日より、不思議なめぐり合わせが続いている。
そして、一番素晴らしかったのは、ようやくすべてのピースが集まり1つの絵になりつつあること。
それを実感していること。

私にとって、我が家の最大の謎は、
なぜ父も母も離婚したくなかったのに、離婚したのか、ということだった。

ずっと私は、両親が離婚したのは自分のせいだと思ってた。
だから、私は自分がずっと赦せなかった。

でも、両親がいろんなときにつぶやいた一言を、いまふと思い出す。
そして、それらを繋ぎ合わせてみると、
彼らは無意識のうちに、私を守るために危険を事前に察知し、
離婚したんだと思えるようになった。

離婚してすぐに、父はすごい多額の借金を負った。
家に取り立ての人も来たけど、離婚していたから、あの家を手放さずにすんだ。
そして成人してから、最後のローンは私が返して、ちゃんと手元に残った。

母は、私が父を受け入れるまで、植物状態で14年も生きた。
その間、福祉を利用することによって、私はまがりなりにも普通の生活ができた。
そして、母は安心して逝った。

母が亡くなる少し前から、私と父は一緒にお酒を飲むようになった。
20年ぶりとは思えないほど気があって、いろんな話をした。
そして父は、いくつかすごく不思議な体験を話してくれた。

そうした父の話のひとつを、11月7日の友人との語らいで、偶然にも思い出した。

先日、バンコクの暁の寺に行き、『豊饒の海』を思い出してから、
「また会うぜ、滝の下で」という清顕の言葉が、頭の中でグルグル回っていた。
何かにめぐり会う前兆だと思った。

そんな気持ちからか、バンコクの街角では、
毎朝どこかのおじさんが丁寧にお清めしている仏像に向かって、
真夜中、自分でも気づかないうちに五体投地していた。

心から祈るというのは、気持ちがいい。

両親は、もともと私を産み育てるために一緒になって、
そして、別れてなんかもいなかった。
私たちの繋がりは、そういう次元じゃなかった。
彼らは、単に私を失わないことだけを願っていただけだったんだ。