goo blog サービス終了のお知らせ 

ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

秋を堪能

2014-11-22 17:12:09 | Weblog
昨日の昼休みに、かなり黄色くなった外苑前を歩いた。

 

歩いていて、バンコクを思い出した。
金色の仏塔が天に映える祈りの町。

バンコクはそれをタイルであらわしたけれど、
日本では、自然がその世界を見せてくれる。
バンコクのタイルは毎朝同じように太陽の光できらめくけれど、
日本のそれは、はかなく、でも毎年必ず訪れる美しい光景。
どちらも、美しい。

でも私は、日本の美しさが嬉しいな。

 

そして今日は、家の周りをうろうろ。

隣家のおじさんが大切に育てているお花たち。

 

おじさんに、「日本は空気がきれいで、とりわけ花も綺麗に見えるね」と言ったら、
「中国は、飛行機で空港に降り立つ時、下が真っ白に見えるもんね」という返事が来た。
そのとおりだ。

今年はとりわけ、日本の秋が目にしみる。堪能しよう。

 

帰ってきたんだなあ、と思う。

 

お決まりとして、一眼レフを覗いているうちに、
息を止めすぎて、苦しくなってきたので帰宅。

いまが一番好きな季節だ。

愚痴

2014-11-19 23:56:49 | Weblog
人間は弱いなあ、と、思う。

というのも、ここ数日、仕事が猛烈に忙しい。

というのも、コスパが悪い中国からベトナムに開発拠点を動かしたのだけど、
結局、安かろう悪かろうで、やっぱり完成度6割の仕事レベルであり、
しかも、中国に比べ言葉が通じないために、
ベトナムにはガツンと言ってやることもできず、イライラしている。

仲介している日本の企業に、どこに目をつけてんだ!と言ってやればいいのだが、
そんなんじゃ、ベトナムの現場は馬耳東風なんだろうと思うにつけ、
中国語で怒鳴り込むような強引さをベトナムに発揮できないことに、
ひたすら、、、、、歯がゆさを覚える。

この分だと、まず覚えるのは、喧嘩のための英語だなあ。
でも、東南アジアの場合、日本語で喧嘩したほうが影響力があるんだろな。

とにかく、そうならないことを祈るのみ、だ。

で。

朝一番からめんどくさいなあ、と思ったのはそんなことではなく、
最近入った新入社員だけど、私よりも10歳くらい年上の女性が、
人事評価制度が非常に不平等だと、朝一番から愚痴り始めたこと。

愚痴りたいことは、十分に理解する。
だけど、特定の例について話すのは、単なる悪口になるか、
または発展性がない愚痴になるのでノーコメントと言ったにもかかわらず、
相手はひとしきり愚痴を言わずには済まなかったとみえ、
ひたすら延々とまくしたてられたこと。

日本人の女性にだ。
こういう時の往生際の悪さは、中国人以上だろう。

そのあと、私は一日中、
聞いた話を上司と話し合って、具体的に解決すべきなのか、
そのまま、オフサイドだけどスルーするのか悩んだ。

ちなみに愚痴ってた本人には、
社内制度に関することは、私には権限がないので、
ある人に、ある言い方で相談したらいい、というアドバイスはした。
でも、実際に行動にうつさなかったから、
本当に愚痴りたかっただけなんだろう。

腐臭、だ。

弱さをさらけだす勇気を持とうよ。

弱いからこそ、素直になれば救ってもらえるんだと思う。

2014-11-15 00:38:22 | Weblog
上海の中国人の同僚に見せたら、すごく喜んだ写真。



会社からすぐ近くのイチョウ並木。
こんなにキレイな空の下で働けるなんて、うらやましい、と。

日本は美しい。



最近、和服がきれいに、きちんと着られるようになりたいなあ、と思う。
ちょっと不便かもしれないけど、和服を着て働いてみたいなあ。
和服の人と打ち合わせをしたら、ちょっと改まった感じがするだろう。
お金と効率ばかりを追って、小さなことに一喜一憂したりしなくて、
そのものの「あり方」について話し合えるような気がする。

気のせいかもしれないけど、そもそも日本ってさあ、という凛とした気持ちを
共有できそうな気がする。
男性と女性の違いも、ごく自然なこととして了解できそうな気もする。
おそらく私の言葉遣いも、もう少したおやかになるんじゃないだろうか。

まあ、無理か。

それにしても、秋は美しい。

事故

2014-11-09 22:48:35 | Weblog
いつかこういう事故が起きるだろうなあとは思っていた。
中国人は、他人の導線なんか考えない人種である。
ひたすら自分の領土だけを主張する人種である。

上海にいたころ、何度かフィギュアスケートを見に行ったけど、
いつもマナーがない中国人選手の態度に危険を感じていた。
ついに起きてしまったなあ、という感じだ。

それにしても、まさに日本人の中国嫌いに拍車をかけるような事故。
日本人のほとんどは「やりやがったな」と思ったろう。
そして、中国人のほとんどは「単なる事故」と思ったろう。

まあ、とりあえず私が思うのは、人生というのは帳尻が合うもので、
いいときもあれば悪い時もあり、
大いなる運命のいたずらは、個人の力ではいかんともしがたく、
諸行無常の響きを感じるということだ。

今、わたしたちは、この一年に結果を出せと言われる。
もっと短くて、3ヶ月単位、1ヶ月単位で結果を求められる人も多いだろう。
でも、2000年前と比べても、人間は、脈拍も呼吸も速度が上がっていない。

仏教が生まれた当時のように、
今生だけでなくて、来世の祝福を求めて少しずつ功徳を積むという心は、
人を救ってくれる道なのではないだろうか。

アメリカから入ってきた成果主義。
でもこれは、キリスト教の神との契約がない私たちの国に、
その形式だけを移入しても、無理が出るものだったと思う。

そして、中国はアメリカとそっくりだと思う時がある。
たぶん日本だけが特殊なんだろう。

そんな日本でいいじゃないか。
グローバル化なんてしなくていいじゃないか。

そう思う時が増えた。

自由

2014-11-03 22:32:42 | Weblog
日本は窮屈なのだろうか。

上海から帰ってきた当時は、自分の足音が聞こえてくる静かな街、
日本人特有の会話のテンポに戸惑ったけど、
そうしたものに慣れてきた今、やっぱり日本は自由な国だと思うようになった。

自由だと思う理由は一つで、
自分の考え方をはっきりと述べても、捕まることがない、という点だ。
属している団体から村八分になることはあっても、
まず刑務所に入ることはない。
思想犯として「改造」されることも、強制労働させられることもない。

形式があることと窮屈なことは違う。
私はやはり、中国の方が窮屈な国で、日本の方が自由な国だと思う。

中国は、拝金メンツ主義だから、お金儲けのために何をやってもよくて、
犯罪者でも金持ちがえらい!という価値観だから、
確かに「仕事」という面では自由度が高い。

でも、これはモラルが低いことと同じで、
日本の海域に宝石サンゴを密漁に来たり、
チベットからレアアース、ウイグルから石油を根こそぎとっていくのも同じ。
もっと言うと、北京のきれいな空気だって、平気で奪う。
なんでもありでお金を稼ぐ。

でも、チベットに自治を!と言っただけで捕まる。
これが自由で働きやすい国なのか、と思う。
中国が自由で働きやすいという人とは、私は自由を測る基準が違うんだと思った。
尺度というのは、人それぞれだ。

でも、中国も変わったなあ、と思うことがある。
今日ニュースを見ていたら、APECのために政府が自家用車の市内への乗り入れを規制しており、
それに対して市民が「たった13人の人間のために、多くの北京市民が不便を強いられるなんて」と
文句を言っていた。外国のメディアに対して。

こんなこと、20年前ではあり得なかっただろう。
もっと変わればいいのになあ。

一人笑い

2014-10-29 23:20:09 | Weblog
ここのところ仕事が忙しく、だいぶ疲れ気味だ。
体力の回復に時間がかかるようになった。

どうやら、私の労働とそれへの対価は、
普通の日本人にとって、驚愕するほどの「不平等条約」のようだ。
私が聞かれたままに事実を答えると、
それだけでネガティブキャンペーンになると、前に上司から言われたことがあったが、
最近は、逆じゃないかと思う。

みんなが口を揃えて「他の会社に行ったほうがいいよ」と言う。
特に新しく入った人が、口を揃えてそう言う。
それを聞いて、傷口に塩を塗られたような気持ちになるのは、
私の方だ。

それでも、いろいろな理由があって、人はその会社にいるわけで、
それは誰もがそうなのだから、いいじゃん、と思う。

来週になれば、この忙しさもひと段落して、
またチベット語を1日30分は勉強する体力と気力が戻ってくるだろう。
自分でペース配分して、この時間が持てるのだから、あながち悪い環境でもない。

こうして、組織を少し離れたところから眺めてみると、
いろんな人のいろんな側面が見えてくることがある。

むかしから、おばさんに一目置かれない男は、大成しないと思っていたが、
40代の後半以上の年齢になった男性には、見事にその法則が当てはまる。

この「一目置かれる」の基準は、若い女性とおばさんで、まるで違う。
若い時にモテた、というか、遊んだ男は、
たいてい真っ逆さまに女性の評価が落ちる。
しかも、本人がそれに気がつかないオマケ付きだ。

おじさんに求められるのは、懐の深さと、ふとした言葉の重み。
そして、感情に流されず、踏みとどまる精神力だ。

おばさんにとっては、自分の旦那でもない男が、
いくらお金を持っていたって意味がない。
ご馳走してもらう喜びよりも、自分のお金でちょっと背伸びした食事をする方が
自分で本当に食べたいものが美味しく食べられると知っているからだ。

そして、それを「かわいくない」と言う男性がいる。
そしてそういう男を、頭悪いと思う女性がいる。

結局、年をとればとるほど、ライバルは同性になる。
でも、異性にもてている自分もキープして、もっと同性に差をつけたいという気持ちも残る。
この構図は、少し遠くから眺めると、けっこう一人笑いができる感じだ。

あまりにも疲れたので、久しぶりに発散で書きたくなった。

なんとかハラ

2014-10-26 15:33:14 | Weblog
この時期、ボーッとベランダにいると、ふと視線を感じそちらを見ると、
たいていカマキリがこちらをガン見している。
妊婦のカマキリが、お産できる場所を探しているのだ。

頼むから普通のところに産んでくれ、と思う。
一番嫌なのは物干し竿だ。

マタハラという言葉を、帰国後はじめて聞いた。
女性が出産後も仕事を続けられる環境をつくっていくことは大切だと思うが、
私が知っている友人の中で、
出産後、明らかに人格が変わった人が何人かいる。

当然のことながら、頭の中は120%が子どもで占められ、生活も子どもが中心となる。
そして、ある程度の役職にある人の中で、
部下の了解もないままに、出産を当然の権利として、
今まで以上に、部下に仕事を押しつける人も多い。
これは、現実だと思う。

だから、一般社員が出産するのと、役職者が出産するのでは、少し違うと思う。
出産後、職位に見合った仕事ができなくなるのであれば、
それは、その席を他の人に譲るべきだし、
そして何年かして子どもが手から離れたら、もう一度役職に戻るトライができること、
準備が整った時のトライが、何歳でもできることのほうが重要で、
ある職位にある人の職位を守ることが重要なんじゃないと思う。

私からすると、子どもを産みました。残業はできません。朝も遅くなることがあります。
でもお給料は元のままがほしいです。職位も降ろさないでください。は、
単なるワガママにしかみえない。

もしこれが、中国の国営企業のように、
朝はまず新聞を読んで茶をすするところから始まり、
お昼やすみが2時間以上あって、退社時間を勝手に早くしても怒られない、なんていう
いわゆる「共産主義国家」なのであれば、別だろうけど、
日本は資本主義なのだから、そうはいかないだろう。
言われたことをやるのではなくて、付加価値を生み出せる人が、
会社の中でどんどん取り立てられるべきだ。

いま、付加価値を生み出す余裕がないのなら、いったんその余裕を持っている人に譲る。
でも、その間の経験をもって、数年後には、
もう一度会社や社会のために、付加価値を生み出し貢献する。

本当に必要だと周囲が思ってくれているのであれば、席は失わない。
一度誰かに渡しても、また新しい席が回ってくる。
でも、こいつ、美味しいとこ取りしやがって、と思われれば、いずれ席を失う。

楽そうに見える共産主義国家だって、内ゲバでいずれは席を失う。
情けは人の為ならず。
人生はいずれ、帳尻が合うのだから。

参詣

2014-10-25 17:18:23 | Weblog
大学で中国文学を専攻した。中国留学もした。
いまでも中国語を話す。仕事でも中国と関係がある。
ついでに、ついこの前まで3年間中国で暮らしていた。

と言うと、たいていの人は私のことを「中国が好きな人」と思うのだが、
最近はきっぱりと「私は中国が嫌いです」と言うようにした。中国人にも。

正確に言うと、中国から漢民族がいなくなったら、きっと中国が好きになるだろう、という感じなのだが、
なかなかうまく表現できないので、中国が嫌いと、シンプルに表現している。

私が大学で中国語をやりたいと言ったとき、母は高校生の私にこう言った。
「たぶん、あなたが思うような中国人は、いまの中国にはもういないし、
 あなたの興味がある中国は、もう中国に残ってないわよ」と。

母は、もちろん中国には行ったことがなかったわけだが、この的中率、すごい。

それでも勉強したいという私のために、母は身を粉にして働いた結果、倒れたわけなので、
私はずっと中国が嫌いとは言えず、なんとか好きになろうと思っていたのだが、
1992年に初めて中国に行って以来、そして今日まで一貫して、やっぱり中国を好きではなかった。

先日、母の位牌の前で、「ごめんなさい。お母さんの言った通りでした」と報告し、
非常に肩の荷が軽くなったところだ。
嫌いなものは嫌いでしょうがない。

まあ、何と言っても、母が最終的に彼女自身を納得させた理由は、
「中国語ができれば、これから先、仕事には困らないんじゃない?」だったから、
仕事で使っているので、許してくれ。

母は、サルトルやマルクスを読んだ上で、阿呆らしいから毛沢東語録は読まないと言い、
その後、万葉集に戻った。
中国の思想家では、韓非子を「かんぴー」と黄色い声で呼び、漢文を白文で読めて、
東大寺でばったり会ったアメリカのバックパッカー女子に、
奈良時代の歴史と天皇を中心とした日本の歴史について、英語で説明できちゃう人だった。
これで高卒だったんだから、いったいどんだけすごいんだよ。

母と一緒に小学生の頃に見たドキュメンタリー映画「東京裁判」。
あの証言台に立った愛新覚羅溥儀の姿を見て、嘘をついてる。この人の言葉を学ばなければ、
とさえ私も思わなければ、
私も中国語をやることはなかったわけなので、責任の一端は母にもあるし、
私も30年かけて一巡して戻ってきたから、まあいいか。

今日は、中国からの帰国後、はじめて靖國神社に参詣した。



ここの境内に入ると、いつでも背筋が伸びる。



ピシッと美しく二礼、二拍手、一礼ができると、気持ちがいい。

そして約15年ぶりに、遊就館へ。
そう。私たちの国は、大東亜戦争と呼んだ。



零式艦上戦闘機。

 

リニューアルしてから初めて訪れたけど、訪れている人には、若い人も結構多かった。
高校生くらいの子供と両親、または若い女性一人、あとが白人が今日は多くて、
最近増えているという、中国人民と朝鮮人は少なかったと思う。

もともと明治維新の際の烈士を祀ることから始まり、
国に殉じた人を英霊として祀る神社となった靖國神社。

おかげさまで、かろうじて、いま日本は平和です、と報告するとともに、
改めて中国大陸の動乱に翻弄されているのが日本なんだと思った。
植民地時代、赤い時代、そしていまの拝金主義時代。

この百年の中国大陸の地図を見ると、ここ2年くらいで訪れた中国の風景が思い出される。
日露戦争時代の旅順や奉天。上海事変の際のクリーク。
敵も味方も、多くの人が亡くなった。
そして、太平洋の海。絶対国防線。

A級戦犯の写真が、他の英霊と分けて展示されるようになって初めて行ったけど、
東京裁判史観を脱する意志を感じるといえば、感じられた。
パール判事も祀られていたし。



そして、靖國神社には、軍犬と軍馬の像もあり、
その前でも手を合わせる日本人がたくさんいた。



いまもむかしも、人間を消耗品として扱う上司というのはいる。
別に昔の日本人が悪かったわけでもなければ、
アメリカナイズされたいまのカタカナ言葉多用のサラリーマンが先進的なわけでもない。

私たちは、何も変わっていないし、変わりたくても、変われないのだ。

北京色

2014-10-21 21:23:03 | Weblog
香港の学生たちの主張を見ていて、
そういや、もとから共産党の支配下で生まれた人以外で、
「中国人民」になりたいと言う人はいないと思った。

私が知ってる上海人は、自分を「上海人」だと思っていて、中国人民とは思っていない。
外省のアホどもと一緒にするな、ぐらいな勢いだ。
ついでに、香港人は自分たちよりも「ハイカラ」なので、目の上のたんこぶくらいな感じ。
中国人民だと思うのは、抗日のスローガンを叫んでいるときくらいじゃないだろうか。
それすら、上海人はダサいからやらないだろう。
だから上海だけで独立したい、などと言い出す。

それにしても、香港の学生は、粘るし、すごいなあ、と思う。
大陸の大学生たちは、もうすっかり、あきらめきっている。
天安門事件のようなパワーの発露はなく、長いものに巻かれつつ、
もうバブルは終わった後の世代なので、とりあえずなんとなく、という感じだろうか。

バブルのツケと言うべきか、北京はすごい大気汚染だ。
今日は上海も空気が灰色だったらしい。
上海のスタッフが、灰色のことを、「北京色」または「PM2.5色」と言っていた。
それでイメージが共有できるくらいだ。

そんな昨今、日本と中国が違うなあと思うことがある。
日本では、もし首都東京が北京並みの空気汚染だったら、東京人は差別されるだろう。
日本は1945年の頃から、被爆者に対する偏見と、
原爆の被害地の人たちには言われのない差別があった。
高度経済成長期には、公害発生地区の人も。
そして、いまは福島の原発が同じような差別を生み出しているという。

でも、中国ではそういう話を、あまり聞かない。
もっとも、ぜんぜん違う差別はある。
出身地による差別は、それこそ日本よりひどいだろう。
でも、環境汚染をネタに、その地域すべてを差別する、
しかもそれが都市レベルであることは、あまり聞かない。

とにかく、汚染がひどい地域からは「逃げ出せる」人が勝ち組、
逃げ出せない人は負け組、くらいな違いだ。
だから、一番は、中国という国から逃げ出せる人が勝ち組だ。
香港の人たちとは、自分の生まれ育った土地に対する愛着心が全然違うと思う。

だからこそ、中国人が日本に対して抗日運動をやると、
最近はすごく猜疑的に眺めてしまう。
あんたらそこまで、愛国心あるっけ? 自分の故郷に愛着あるっけ?と。

でもそれは、実際に抗日戦争を戦った人たちの想いとは違うと思う。
あの時代の人たちは、どこの国の人たちも、
自分の国のために一生懸命戦ったと思う。
日本も、中国も、韓国も、そして他の国の人たちも。
それは、否定されるべきことではないだろう。

充実

2014-10-18 19:29:30 | Weblog
今日は有意義な1日だった。台風が来ない週末は、いい。
洗濯、掃除、そして、macへのYosemiteインストール。
もしまだ中国にいたら、Yosemiteのダウンロードとインストールで丸2日必要だったろう。
日本にいると、物欲が高まる。

いまのところ、Yosemiteのインターフェイスは好きだ。軽やかな感じで。
機能は、まだよくわからない。。。
そもそも、ふだんの生活で電話もかかってこないので、
iPhoneにかかってきた電話をmacで受けることもなく、あまり感激もなければ、
この機能いらない!と思うこともない。

iPhoneがあれば、デジカメはいらない、と思う瞬間。



先日、会社の裏で撮った白い花の写真。
iPhone5で、十分じゃないか。



微妙な色合いもちゃんときれいに出るし、



透明感もバッチリだ。

モニターで見る分には、十分すぎる品質。

次に6sを買うときには、メモリが一番大きいのにしよう。