「ホテルと大阪タワーは撤去予定やねんて。せつないねぇ。」
娘からメールが来た。
ホテルプラザを検索してみたら・・・・やっぱり。
心の中に封印していたメモリーが溢れ出てきた。
ホテルプラザを愛した顧客は多かったと思う。
10年近くも前のこと
クローズを惜しむゲストでホテルは溢れたそうだが、オープン以来、ずっと顧客として大切に扱ってくれたホテルのスタッフの顔を見るのがつらくて、とてもとても、今までのような気持ちでいられず、食事にも泊りにも行けなかった。
ホテルプラザがホテルとして存在した最後の最後の日の夕方、息子と大阪駅のホテルプラザのバスストップから、慣れ親しんだピンクのバスに乗った。
いつものドライバーさんが、
「もう営業を終わっていますよ。このバスも最後の運行です。」
「じゃあ、最後の乗客になるわね」
無言でバスに乗っていた。残念で仕方なかった。
ホテルプラザの玄関の明かりも、いつも迎えてくれたロビーの証明も消えていた。
当然笑顔で迎えてくれていたドアマンもいない。
「最後に、ビーフピラフ食べたかったなぁ」
ぽつりまだ高校生だった息子がつぶやいた。
「これでホテルプラザのバスも最後です。その後は車庫に入ります。」
2度と運行されないピンクのバスにまた乗って大阪駅まで。
そして降りてからも、バスが見えなくなるまで見送った。
顧客を満足させるホテルサービスの真髄があったホテルだった。
いい顧客に恵まれ、世界中からも評価されていたのに。
顧客との息の合ったサービス、顧客を大事にするコンセプトがきちんとあるホテルを大阪は失ってしまったと思った。
電話をかけても、「もしもし」だけで、透き通った声のオペレーターは、私だとわかる。
年末年始は毎年のように宿泊して家族で楽しめた。
ニューイヤーズイヴコンサートを、隣のシンフォニーホールに大人たちで聴きに行っている間、ちゃんと小さい子供達を、年越しそばも食べさせて寝かしつけておいてくれたこともあったっけ。
トレンドを追う日本で無かったら、ホテルプラザは今でも、堂々とその存在を示していたに違いない。
ホテルプラザよ永遠に・・・
あの慣れ親しんだコーナークイーン、深い海の中にいるようなブルーの部屋で、極上の眠りをもう一度味わいたい。
娘からメールが来た。
ホテルプラザを検索してみたら・・・・やっぱり。
心の中に封印していたメモリーが溢れ出てきた。
ホテルプラザを愛した顧客は多かったと思う。
10年近くも前のこと
クローズを惜しむゲストでホテルは溢れたそうだが、オープン以来、ずっと顧客として大切に扱ってくれたホテルのスタッフの顔を見るのがつらくて、とてもとても、今までのような気持ちでいられず、食事にも泊りにも行けなかった。
ホテルプラザがホテルとして存在した最後の最後の日の夕方、息子と大阪駅のホテルプラザのバスストップから、慣れ親しんだピンクのバスに乗った。
いつものドライバーさんが、
「もう営業を終わっていますよ。このバスも最後の運行です。」
「じゃあ、最後の乗客になるわね」
無言でバスに乗っていた。残念で仕方なかった。
ホテルプラザの玄関の明かりも、いつも迎えてくれたロビーの証明も消えていた。
当然笑顔で迎えてくれていたドアマンもいない。
「最後に、ビーフピラフ食べたかったなぁ」
ぽつりまだ高校生だった息子がつぶやいた。
「これでホテルプラザのバスも最後です。その後は車庫に入ります。」
2度と運行されないピンクのバスにまた乗って大阪駅まで。
そして降りてからも、バスが見えなくなるまで見送った。
顧客を満足させるホテルサービスの真髄があったホテルだった。
いい顧客に恵まれ、世界中からも評価されていたのに。
顧客との息の合ったサービス、顧客を大事にするコンセプトがきちんとあるホテルを大阪は失ってしまったと思った。
電話をかけても、「もしもし」だけで、透き通った声のオペレーターは、私だとわかる。
年末年始は毎年のように宿泊して家族で楽しめた。
ニューイヤーズイヴコンサートを、隣のシンフォニーホールに大人たちで聴きに行っている間、ちゃんと小さい子供達を、年越しそばも食べさせて寝かしつけておいてくれたこともあったっけ。
トレンドを追う日本で無かったら、ホテルプラザは今でも、堂々とその存在を示していたに違いない。
ホテルプラザよ永遠に・・・
あの慣れ親しんだコーナークイーン、深い海の中にいるようなブルーの部屋で、極上の眠りをもう一度味わいたい。