(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

反田恭平、その光と影

2023-02-26 | 料理
「反田恭平ーその光と影」

2021年の10月、反田恭平はショパン国際ピアノコンクールで第二位に入賞した。これは、内田光子さんが1970年のショパン国際ピアノコンクールで第二位に入賞して以来のことである。

 →演奏の動画(ファイナルで反田恭平が弾いたショパンのピアノ協奏曲第1番ホ短調) 下記のurlをクリックして下さい。

 反田は、この入賞のために様々な努力と工夫を積み重ねた。三次予選では①三つのマズルカ②ソナタ第2番「葬送」③ラルゴ「神よポーランドをお守りください。④ポロネーズ第6番「英雄」を弾いた。

 ”この中で「神よポーランドを・・・」という副題のついたラルゴは、思い出深い一曲である。このラルゴは、ショパン通でほとんど知られていないマイナーな曲である。審査員のひとりも、”知らない”といっていた。彼らも何日間にわたるショパンの音楽を聴かされていると、どこかで必ず飽きがくる。会場の聴衆にも。”ショパンにもこういう曲があるんだよ”、と知って欲しい。”

"このラルゴは、ショパンが幼い頃に口ずさんで懐かしい聖歌を思い出して作ったのものだ。ポーランド人にとってはとても馴染み深いメロディが書かれている。ポーランドには教会がたくさんあり、毎日のようにミサが行われている。ワルシャワでそういう光景を毎日見てきたから、この曲を弾けば、ポーランド人に「反田恭平というピアニストは、わが国を心から愛してくれているのだ”、というメッセージが伝わる。そういう思いでプログラムにマズルカを加えたのだ。"

 本選ファイナルラウンドでは、

 ”このファイナルは、オーケストラとの共演である。ファイナルで演奏するのはショパンの「ピアノ協奏曲第1番 ホ短調」この世に存在するすべての曲の中で何よりも大好きな作品だ。この作品を弾ける喜びを10本の指で表現したい。”僕はこの曲を愛しているんです。心から大好きなんです”、という気持ちを強く持つ。あとは、思いきり演奏するだけではないか” 

 ”このコンチェルトは人間の内面や演奏家としての素質が映し出される作品だ。ソリストが暖かい心をもっていなければ、このコンチェルトは弾けない。なぜかというと、第三者が介在するからだ。これまでと違って指揮者もいてオーケストラもいる。ソリストとして、やるべきことは、自分が持っているショパンという概念、このピアノ協奏曲第1番の概念を伝え、ソリスト一人だけの力でオーケストラを変えなければならない。マインドを強く持って、こういう音を弾いて、こういうふうに弾きたいんだと伝えれば、オーケストラの音もそのように変わる。”


 ”実は、2019年11月ににピアノ協奏曲を共に演奏したのは、ショパンコンクールのファイナルと同じワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団である。しかもそのときの指揮者はコンクールファイナルと同じアンドレイ・ボレイコであった。コンクールのファイナルまで行けば、アンドレイ・ボレイコの指揮でワルシャワ国立フィルの演奏でピアノを弾くことになる。アンドレ・ボレイコがどんなマインドの人物か、どんな性格か。立ち居振る舞いからにじみ出るパーソナリティを全部記憶しておこう、と思った。そんな緊張感を以てステージに臨んだ。前年のあのコンサートがあったお陰で、他のピアニストよりも圧倒的な経験値の差を生み出すことができた。”


 反田恭平が第二位を取ることができた理由として、次のようなことを言っている。

 ”割り切れないことにこそ宝はある。モスクワやワルシャワで留学しながら、世界中からやってきた音楽家と濃密な時間を過ごせたのは人生の財産だ。とりわけモスクワ国立音楽院で寮生活を送り、男女問わず多くの友人と交友を結んだのは勉強になった。面白いことに、ピアノでもヴァイオリンでも楽器の練習ばかり長時間やっている人は、演奏の引き出しが少ない。”


 ”音楽に関係がないことに平気で時間を費やし、多趣味な人ほど演奏の引き出しが多いものだ。古今東西の文学作品を乱読し、自ら詩も書く。コンサートホールに足を運んでオーケストラやオペラやバレーを生で鑑賞するだけでなく、美術館や博物館に出かけて十分に刺激を受ける。そうした体験は、すべて音楽家にとって財産になる。”


 反田恭平は、ピアニストとしてだけでなく様々な分野でも積極的に活躍している。彼はピアニストという地位にとどまらない。2018年11月、(株)NEXUSを設立した。反田恭平/務川慧悟/岡本誠司の三人が所属している。反田が掲げるメッセージに賛同する音楽家とスタッフを、この会社を媒介としてつないでいく。

 2019年7月には、イープラスとの共同企画でとして、自身のレーベル「Nova Record」を設立した。自前のレーベルを作ったのは、日本のクラシック音楽界で初めてのことである。

 2021年にはジャパンナショナル・オーケストラ(JNO)を設立、株式会社にして法人化した。20人のアーティストが所属しており、一人ひとりのアーティトにリサイタルを開くように求めている。JNOは奈良で定期演奏会を開くだけでなく。メンバーのリサイタルシリーズを年間50回のベースで開催する。

 クラシック業界初のオンラインコンサートも開いた。2週間足らずでウエブページを作り、チケット購入窓口を準備した。サントリーホールを抑え、当日演奏できるメンバーを募った。そこに、新型コロナの猛威が恐ろしい勢いで進んだため、プログラムを急遽変更した。ピアノ、サクソフォンやクラリネット、オーボエ、ファゴット、フルートの演奏者を集め、8名でオンラインコンサートを開いた。オンラインコンサートと言ってもスタッフが集まれば密になる。このコンサートによって感染者を生み出すことになるのではないか、という批判もあった。プログラムを大きく変更し、一度に多人数が密状態にならないよう配慮した。万全の対策を打ってオンラインコンサートを決行した。平日の水曜日、午後7時スタートという時間設定だったにもかかわらず、2000人を超える人々が配信チケットを買ってくれた。当日使用した会場のキャパの何倍にもあたる人数だ。

 音楽業界で初めての挑戦は雇用と大きな利益を生み、パンデミックの渦中でも音楽家が活動していくモデルケースとなった。暗闇の中に身を投じる精神が、パンデミック時代のエンタメの可能性を切り拓いたのだ。


 2020年5月、実験的プロジェクトに挑戦した。「note」にブルグミュラーが 作曲した”25の練習曲”の音源をアップした。「note」は文章に限らず、写真や音楽、動画など作品を何でも手軽に配信できる。無料で見せることもできるし、課金制にしたり、投げ銭(チップ)を受け付ける事もできる。演奏は自宅で収録し、録音も編集も行った。価格はブルグミュラーの生まれたとしにちなみ「1800円」に設定した。このプロジェクトは評判を呼び、僅か1週間で100万円以上の収益をあげた。その後も売れ続け、2022年の今も商品価値をもつロングセラーになった。


「文化芸術後進国・日本の怠慢」として反田恭平は声を挙げた

 ”ショパンコンクールで第2位を受賞した直後、文科省や文化庁から、”反田さんの意見を聞かせて欲しい”、とのことで懇談会に呼ばれた。そこで、”これまで過去半世紀、文科省や文化庁は一体何をやってきたんですか”と、ダメだしをした。文化・芸術振興予算は増やすべきだ。”と言った。隣国である韓国では、「我々は文化・芸術のソフトパワーによって発展していく」と旗幟鮮明にしている。だから、ボン・ジュノ監督の映画「パラサイト」が米国アカデミー賞で作品賞・監督賞・脚本賞を総なめにし、カンヌ国際映画祭で最高賞に輝いた。映画、演劇、音楽などの文化・芸術を、国家を挙げて応援する。その努力が結果として結実しているのだ。政治家の皆さんに、政策を思い切って方向転換するべきだ、と申し上げたい”

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 反田恭平のことは、このくらいにして、同年のショパン国際コンクールで第一位(優勝)を勝ち取ったカナダのピアニスト、ブルース・リウ氏の語ることに耳を傾けてみたい


 →動画のURL (彼が弾いたのと同じショパンのピアノ協奏曲第一番ホ短調を演奏)



 ”予選3ラウンドではすべての審査員から「イエス(次のラウンドに進ませたい)」を獲得し、本選で演奏したピアノ協奏曲第1番も聴衆を魅了した。演奏技術の高さ、明るく新鮮なショパンは大いに注目を集めた。コンクール優勝を機に日本でも知られるようになり、来日公演のチケットは完売。2022年12月のリサイタルでは、ショパン、ラヴェル、リストの曲から成るプログラムに加え、アンコールで5曲もの演奏を行った。


リスト「ドン・ジョヴァンニの回想」の演奏が終わると、割れんばかりの拍手が送られた。続くアンコールでも、彼が1曲弾き終えるごとにスタンディングオベーションが起こった。最後の曲はリストの難曲「ラ・カンパネラ」。その演奏が始まって3音目、彼が演奏しようとする曲目が何であるのかに気づいた会場がどよめいた。聴衆の驚きと期待がコンサートホールに満ちていくような時間だった。


ピアノを始めたのは8歳。ピアニストを目指すには遅めだが、コンクールに出場するようになって以降、多くの高い評価を受ける。

カナダのモントリオール大学では、アジア人として初めてショパンコンクールで優勝したダン・タイ・ソンに師事し、個性を伸ばしながらショパンを学んだという。「ピアノはたくさんある選択肢の1つ」と語る25歳のピアニストは、今何を考えているのか。

音楽を弾く喜びやエネルギーを失わない
―ショパンコンクール優勝から1年と少し経ちました。優勝後、身の回りに変化はありましたか。演奏活動の中で感じていることは?

 ”一番の違いは時間の使い方ですね。”

”コンクール前は「次に何をしようかな」と余裕を持って計画を立てていたのですが、優勝後は「次に休憩を取れるのはいつか」を考えなければならないくらい、緻密なスケジュールが必要になった。さらに、短期だけでなく、長期的な計画も要る。3年後に自分が何を弾くのかまで考えなければいけない。


 このようにブルース・リウは、演奏を長期的な視点で考えているようだ。本格的なピアニストとして、さらなる高みを目指すならば、演奏をそして練習を長い時間続けなければならないだろう。その点、色んな事業を展開する反田恭平とは違う道を歩んでいくような気がする。

 ことのついでに、1970年のショパンピアノ国際コンクールで2位に入賞した内田光子さんのことに触れておきたい。デビューは果たしたものの、1970年代はかなり不遇の時代を過ごした。1980年代に入ると、様変わりして称賛の嵐となった。これは、1980年以降に行ったモーツアルトの演奏が英国の批評家に絶賛され一躍時代の寵児となったからだ。名実ともに国際的な主要オーケストラの定期演奏会や、その後世界的な音楽祭の常連となり、今や世界の巨匠になりつつある。


→内田光子のショパン(?)の演奏(動画)・・・動画が見つかり次第、アップします。


 反田恭平が、内田光子のような巨匠への道を歩むことになるのかどうか、現時点では見通せない。

 反田は、単なるピアニストとしての範疇にとどまらず、指揮者として、また音楽配信などのビジネスにも取り組んでいる。それに留まらず、日本の文化行政について文科省に意見を具申している。将来は、さらに他の分野でも活躍するのではないだろうか。いずれは、政治の世界でも前向きな発言をして、より良き日本を築き上げるために活躍してくれるかも知れない。そんな期待をも抱かせてくれる。まさに有為の人材である。


 くれぐれも体調に気をつけて、今後も新風を巻き起こして欲しい! 祈るや切!

コメント (6)
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