(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

絵画<田村能里子展>

2008-11-09 | 時評
絵画<田村能里子展>

深秋の一日京都に遊び、高島屋で行われていた「田村能里子」展をみる機会を得た。”田村レッド”で知られる田村能里子が、天龍寺塔頭の宝厳院のふすま絵に挑んだ。田村は、この60メートル・58枚にもおよぶふすま絵の制作のため、仮設スタジオをアトリエとして、およそ一年半を費やした。禅寺では、女性はじめての襖絵である。”風河燦々 三三自在”と題されたふすま絵は、すべて絵の具で言えばカドミウム・スカーレットのような鮮やかなな朱、、日本の色で言えば鎌倉朱かいや真朱(まそほ)とでもいうような色で埋め尽くされていた。もちろん色は千変万化する。黄系統のかんぞう色のような黄赤系一色の絵には、白い蝶が舞っていた。

 ”真金吹く丹生の真朱(まそほ)の色に出て 言はなくのみそ
        吾(あ)が恋ふらくは” (万葉集)

 この歌のように表立って出すのではなく、内に秘めた恋の色であろうか。その描くところは中央アジアの砂漠であり、そこに佇つ女あり、ひとり風の声を聞く女、悠然と横たわる老人あり、いやこどもまでいる。そこに描かれた三十三体の像は、まるで人間の輪廻転生を物語っているのであろうか。東山魁偉が描くような静謐で沈潜したような絵とはまったく違う。シルクロードに生きている女性が中心にあるが、単なる女性像ではないようだ。田村に、このふすま絵の制作を依頼した宝厳院住職の田原義宣氏は、”まさしくこの襖絵の中に登場します三十三人老若男女は観音菩薩の化身・・”という。そんな気がしてくる。来年の初めには、宝厳院におさめられてしまう。公開されても、すべてが見られる訳ではない。最後の機会に、原画に触れ得たことは幸いであった。作者の熱気と思いが伝わってきた。



 このふすま絵の外にも、壁画制作50作を記念して、これまでに描いた油彩画も数多く展示されていたが、「青い糸」や「風に佇つ」、「壁の吐息」などなどいずれも独特の魅力で人を惹きつけるものがある。人物の素描も、シンプルにして柔らかく流れるような線描は味わい深い。

 宝厳院住職の、

 ”古来より寺院は心の癒しの場所であり、自己を取り戻す場所であって、その本来の姿に立ち返り、人々が気楽に集えるお寺とすることにしたい”

という言葉が、なぜか印象に残った。静かな感動を覚えた一日。たまたま会場に田村能里子さんが姿を現わしたので、一言ご挨拶させていただいた。好感のもてる素敵な人である。

      ~~~~~~~~~~~~~~

(旅にでる間際の急ぎばたらきのような記事で恐縮です。週末にもどりましたら、あらためてそのほかの絵もご紹介し、また画家田村能里子のことをもうすこし語ってみたいと思います)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする