(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書『邂逅』

2008-11-23 | 時評
読書『邂逅』(多田富雄・鶴見和子 藤原書店 2003年6月)

 免疫学者でとして有名な多田富雄と社会学者の鶴見和子、この二人の手になる往復書簡による対話は、二人がそれぞれ脳梗塞と脳出血で倒れた後に行われたものである。当初は二人の対談という形をとることになっていたが、多田富雄が右半身の不随と声を失いさらには嚥下障害という問題を抱え、一方鶴見和子は運動神経が壊滅的状態となり半身麻痺、車椅子でリハビリを迫られるという状況になって、止むを得ず書簡の交換ということになった。しかしそのお陰で時間をゆっくりかけて、二人の巨人が対話をすることになり、大変に内容の濃い対話となった。鶴見和子は、この3年後に世を去っている。

 ”絶え間なく変身しつつアイデンティティ保つかぎりは生きている「自己」”
 ”我がうちの埋蔵資源発掘し新しき象(かたち)創りてゆかむ”
                                       ー(和子)

二人の思索の跡を手紙の中から辿ってみたい。

 ”1997年は、私にとって回生ー本当の意味の回生元年になりました。それ以前とそれ以後の違いを考えてみると、人間は倒れてのちに始まりがある。決して倒れてそのまま熄む(やむ)のではない、ということを今しきりに考えています。それは何かというと、人間にとって「歩く」ということは、生きることの基本的な力になる、したがってもしその潜在能力が少しでも残っているならば、とうしても「歩く」ことが生きるために必要になります” (鶴見)

 ーこれに対し多田も「歩くという行為が人間の条件の一つ」と共感する。

鶴見は倒れたけれど、幸い言語能力と認識能力は完全に残った。そして倒れてから一時も意識を失うことがなく、その晩から言葉が短歌かたちで湧きだしてきた(幼少より佐々木信綱門下で短歌に親しんできた)。そして監視付ではあるが杖をついて、歩くようになると「活性化」がおこり、全身に血が巡る。酸素がゆきわたる。そういう感じが身体の中に漲ってくることによって、頭もはっきりしていた、と語る。そして片脚麻痺は回復しない重度障害者と告げられても、「後へ戻れないならば前へ進むよりしょうがない、つまり新しい人生を切り開く」と覚悟を決めた。

 二人の話題は、多田の書いた能の世界のことに移る。ご存じのように多田富雄は能に造詣が深く、新作能の脚本もいくつか書いている。

 ”あれ(新作能『無明の井』)をNYにもってらしてニューヨーク・タイムズ紙に素晴らしい評が出ました。伝統芸能としての能が、現代の先端医学の問題である臓器移植の問題を、実に深く描き出している。古いものと新しいものとのつながりの美しさ、それに感動しました。その次の『望恨歌(マンハンガ)』。強制連行された韓国・朝鮮人と、その残された妻の物語ですね。戦争責任をあのようなかたちで美しく、しかも鎮魂歌として描かれた。これには驚きました。・・・・このように非常に新しい問題と古い伝統文化との、まことに見事なつながりを実作していらっしゃる。そのことが『生命の意味論』という難しい本の中にもちゃんと出てくるのが驚きでした”

これに対する多田のコメントも興味深い。

 ”私は新作能など作る気はなかったのですが、『無明の井』を書いたとき、能という演劇が強い同時代性を持っていることに驚きました。伝統文化といいいますが、長いあいだ伝えられるその時々に、いつも優れた同時代性を発揮しなければ、到底時代の動きに打ち勝って生き延びることはできなかったと思います。そういう適応力と破壊力に裏打ちされた創造性を感じたのです。


          ~~~~~~~~~~~~~~

 興味深い対話がつづきますが、長くなりますので、つづきは次回に。その前に今は落葉の季節ですので、それにちなんで<アポトーシス>(細胞死)のことについてかんたんに触れておきます。

 ”(『生命の意味論』を読んで)人間は3兆個の細胞によってなりたっているけれども、その中の3千億個くらいは毎日死んでいるとお書きになっています。アポトーシス(細胞死)というものがいつでも起こって、それが新しい細胞が生成されるのに役だっている。その死骸は他の細胞が食べてしまう場合もあるし、そのまま断片が身体の中に残っていることもある。そうすると死んだ細胞の断片が、新しい細胞とくっついてまた新しい細胞をつくる。面白いなあと思ったのは、文化の中でも、もう死んでしまった、過去のものだと思っているものが、いつか発掘されて、新しい文明なり思想なりを形成する時に役立つ。生死の循環構造というものが、人間の体の中にでも、生命現象の中にでも現われている。そういうことが、言えるのかと思って
・・・・”ー(鶴見和子)


 アポトーシスという言葉は、ギリシャ語のアポ(下に、後に)とプトーシス(垂れる、落ちる)の合成語で、もともとはは医学の祖といわれるヒポクラテスが用いたとされいる。アポトーシスはもとは、秋とともに始まる落ち葉という現象をさしたものと言われている。落ち葉は風のような外力によって引き起こされるものではなくて、季節のめぐりとともに植物の葉の付け根の細胞におこる生理的細胞死の結果生ずるものである・・・・”ー『生命の意味論』(多田富雄 新潮社 1997年)より


                                (つづく)









コメント (4)
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