(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

音楽/詩歌 合唱はお好きですか~女性合唱団「はづき」記念コンサート

2014-12-19 | 読書
(予定しておりました『文車日記』の記事は少し先送りさせていただきます。臨時のトピックスを一二取り上げます。気侭な振る舞い、お許しください)

音楽/詩歌 合唱はお好きですか~女性合唱団「はづき}記念コンサート

 過ぐる日曜日、大阪へでかけ女声合唱団の演奏を聞いてきました。そのことをすぐフェイスブックにアップしました。次のような記事です。

 ”大阪にクラシック音楽専用のホールがあります。いずみホール。東京のお茶の水に<カザルスホール>という室内楽専用のホールがありましたが、このいずみホールはパイプオルガンも備え、さらに素晴らしいホールです。ここで女性合唱団「はづき」が20周年記念コンサートを開きました。美しいハーモニーを誇る「はづき」の演奏の掉尾を飾ったのが、立原道造の詩6編に作曲家木下牧子が曲をつけた《光はここに》 素晴らしいレクイエムとなりました。男声合唱団「なにわコラリアーズ」が部厚いコーラスで加わり、パイプオルガンが咆哮する。そして闇から光へと向かう祈りが空の高みに上っていくような感動するエンディングでした。また歌いたくなりました! 合唱っていいなあ!”

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 じつは、2007年にこの同じ場所で<なにコラ・はづき きまぐれコンサート>というのが行われ、案内を頂いたので聞きに行った次第です。そのときは、男声合唱団「なにわコラリアーズ」とのジョイントでした。心の底からといってもいいほど感動しましたので、すぐにこのブログにアップしました。リンクの箇所をご覧ください。

     

 今回の演奏は、20周年記念コンサートというので、すこし力の入ったプログラムでした。なるほど美しいハーモニーを聞かせてくれました。ナンシー・テルファーの《マニフィカート》、また信長富貴作曲の《世界中の女たちよ》さらには村野四郎や立原道造、池澤夏樹などの詩に木下牧子が曲をつけたものなどなど。すこし退屈しました。(一生懸命歌っておられたみなさんには、ごめんなさい) ですが、先に書いたように最後のステージでの演奏に至って深い感動を覚えたのです。

 というような次第で、その作品《光はここに》の詩と立原道造のことなど音楽となった詩のことなどについて、詳しく紹介したくなりました。

 その前に作曲家の木下牧子さんですが、数多くの室内楽やピアノのための作品を書いていますが、声楽系作品はとくに人気があり、合唱曲・歌曲など数数の作品を世に送り出しています。その彼女が、親しい人を失ったことからレクイエムを書きたいと思い、またそのテキストには日本語の文学詩を取り上げたいと思ったそうです。しかしレクイエムといえば、モーツアルト・ヴェルディ・フォーレの作品のように大曲ばかりです。。木下は6編の詩からなる構成を意図したが、それに耐えうるような詩がすぐには見当たらなかった。そこで木下は立原道造のさまざまな詩を選び、レクイエムにあうように構成したのであります

 立原道造は昭和10年代に活躍した抒情詩人です。24歳8ヶ月という若さで病を得てこの世を去ってしまいた。しかし残した作品は多く、彼の詩集をひも解けばリリシズム溢れる詩が流れでて、人々の目を惹きつけるのです。私の好きな詩人の一人であります。

          


 ”音楽がよくきこえる
  だれも聞いていないのに
  ちいさなフーガが 花のあいだを
  草の葉のあひだを 染めてながれる

  窓をひらいて 窓にもたれればいい
  土の上に影があるのを 眺めればいい
  ああ 何もかも美しい! 私の身体の
  外に 私を囲んで暖かく香りよくにほふ人
  
  私は ささやく おまえにまた一度
  ーはかなさよ ああ このひとときもともにとどまれ
  うつろふものよ 美しさとともに滅びゆけ・・・・・”

                 (「優しき歌より 薄明かり)

 その彼が死の一年前に出会い結婚を約束した水戸部アサイとの交際の時期に、この《光はここに》のほとんどの詩が創られたのです。組曲は、全体を予感させる「序の歌」から、のびやかな明るい情景、それにつづく不気味な暗闇を経て、やがて溢れるばかりの光が輝く世界に至るのです。全6編のうち、その一部を掲載します。


 (序の歌)
  しづかな歌よ ゆるやかに
  おまへは どこから 来て
  どこへ 私を過ぎて
  消えて 行く?

  夕映えが一日を終わらせよう
  と するときにー
  星が 力なく 空にみち
  かすかに囁きはじめるときに

  そして 高まって むせび泣く
  弦のように おまへ 優しい歌よ
  私のうちの どこに 住む?

  それをどうして おまへのうちに
  私は かへそう 夜ふかく
  明るい闇の みちるときに

 (鳥啼くときに)
  ある日 小鳥をきいたとき
  私の胸は ときめいた
  耳を浸した沈黙(しじま)のなかに
  なんと優しい笑ひ声だ!

  にほひのままの 花のいろ
  飛びゆく雲の ながれかた
  指さし 目で追ひー心なく
  草のあいだに 憩(やす)んでいた
  
  思ひきりうっとりとして 羽虫の
  うなりに耳傾けた 小さい弓を描いて
  その歌もやっぱりあの空に消えて行く・・・

 (ひとり林に・・・)
  だれも 見ていないのに
  咲いている 花と花
  だれも きいていないのに
  啼いている 鳥と鳥

  通りおくれた雲が 梢の
  空たかく ながされて行く
  青い青いあそこには 風が
  ささやき すぎるのだろう

  草の葉には 草の葉のかげ
  うごかないそれの ふかみには
  てんとうむしが ねむっている
  
  うたうような沈黙(しじま)に ひたり
  私の胸は 溢れる泉! かたく
  脈打つひびきが時を すすめる

 (この闇のなかで)
  この闇のなかで わたしに
  うたへ と呼びかけるもの 
  この闇のなかで だれかが
  うたへ と呼びかけるのか

  時はしづかだ 私らの
  ちいさいささやきに耐えぬほど
  時はみちている 私らの
  ひとつの声で 溢れでるほど

  とほい涯のように闇が
  私らを拒んでいる つめたく
  身体は 彫像のようだ

  しかし すでに この闇の底に
  信じられない光が 信じられる
  私らの声を それは 待っている!


 (アダジオ)
  光あれと ねがふとき
  光はここにあった!
  鳥はすべてふたたび私の空へかへり
  花はふたたび野にみちる
  私はなおこの気層にとどまることを好む
  空は澄み 雲は白く 風は聖(きよ)らかだ


     ~~~~~~~~~~~~~~~~~  

 この立原道造の詩も素晴らしいのですが、木下牧子の曲も素晴らしい! もう一度聴いてみたい思っていたところ、何と「光はここに」の全曲演奏がYouTubeにアップされていたのを見つけました。

  《光はここに》→  https://www.youtube.com/playlist?list=PLmNqDpe8uB2J4jGNIXDMykVLbegOOCT8D

                 注)なぜか、うまくこのブログにはアップでません。このURLをエディターかワードにコピー&ペーストしてお聞ききください。

 ぜひ聴いてみてください。とくに第5曲の(この闇のなかで)の最後のパート(最後の3行)からフィナーレの(アダジオ)。聴き入っていると、コンサートの時もそうでしたが胸に迫るものがあり、熱くなり目が潤んできてしまいました。

 いやあ、音楽っていいですね。そしてぜひライブに出かけましょう!


      ~~~~~~~~~~~~~~~~~


(余滴)
 多くの詩が歌となった例としたは、阪田寛夫の詩があります。<夜のうた>
 昭和30年代に合唱の演奏会のクロージングソングとして人気がありました。とてもい い歌です。ひところ一世を風靡した「遥かな友に」にとってかわろうというくらいでし た。佐々木伸尚の曲が素晴らしい!


 詩のみご紹介します。演奏はいずれ・・。同志社グリーの演奏が心に染みてきます。

  ”暗い地球に あかりがともる
   光の輪のなかに ほほえみがある
   さびしいけれど ひとりぼっちぢゃない夜
   おやすみ今日の日 おやすみ仲間 ”







コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 絵画/日記 アートな一日 | トップ | 読書 『幸福論』(河合隼雄... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事