(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

コラム 絵の見方~ピカソの絵

2021-07-04 | コラム
コラム 絵の見方~ピカソの絵

 昨年の冬「絵の見方」という記事を書いたことがあります。そのいわんとするところを、かいつまんでご紹介しておきます。

 ”東京へ行くと渋谷にある「山種美術館」に立ち寄ることが多い。ここには、優れた日本画のコレクションがある。「奥入瀬渓谷の秋」と題する奥田元宋の絵を見た時は、あっ!といって、しばしその場に立ち尽くした。この絵に限らないが、絵は美しいもの、自然や草花や、また小磯良平のように美しい女性像を描くものが多い。 美が先立っている。西欧の絵にも、そういうものが多い。私の好きな「読書する少女像」(フラゴナール)もその最たるものである。

 

 ところで、西欧にはそういう範疇にはまったく入らない絵画がある。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」という絵がある。これは美的感動を描いたものではない。男たちが集まって、何やら話をしている。キリストという人物やキリスト教をしらない人間にとっては、なにを言おうとしているのかも分からない。

 

 また米国の画家トーマス・コール(ハドソン・リバー派)が描いた「破壊」と言う絵がある。これは架空の帝国の栄枯盛衰を描いたものだが、終末を思わせる光景が、迫りくる嵐を背景に繰り広げられている。立ち上がる炎、頭が落ちた巨像、兵士から逃げる女性・・・、かしいだモチーフからなる迫力ある構図が。混乱と残酷さを煽っている。

  

 この絵の詳しいことは、今回のコラムの本質から離れるので省略させていただく。いろんなジャンルの絵があるということだ。ところで今回取り上げたピカソの「酒場の女」という絵は、どんなジャンルに入るのであろうか。なかなか理解しがい絵ではある。この記事は、「祝祭の酒 日常の酒」と題するもので、画家にしてエッセイイストの玉村豊男氏が書かれたものである。それに、よれば、

 ”カウンターに置かれたアブサンのグラスを挟んで、二人の女の背中が揺れている。アブサンと通称される酒は、ニガヨモギやアニス、フェンネルなどの香草を加えて蒸留したリキュールで、19世紀末から20世紀初頭にかけてパリを中心に爆発的に流行した。ニガヨモギ(フランス語=アプサント)は古来薬草として用いられてきたが、幻覚や精神錯乱を生じさせる中毒性があるとして問題にされ、1915年にアブサンの製造販売は禁止された(現在は疑いが晴れて復活している)。

「緑色の妖精」と称(たた)えられたこの酒には、多くの画家や文学者が夢中になり、さまざまな作品のテーマとした。若きピカソもその一人で、この絵は「青の時代」と呼ばれる20代前半の作品。
アブサンに酔って意識が遠のく女たちのからだが揺れているのか、アブサンで酔った目に女たちの姿が異形に映っているのか、

それとも数年後にはキュビスムに向かうピカソの筆がすでに写実の枠を外れようとしているのか、揺れながらこのまま異次元の世界にワープしていきそうな線の動きが魅力的だ。”
(1902年、油彩、カンバス、80×91.5センチ、ひろしま美術館蔵)

こういう絵は、これまでに取り上げた絵のカテゴリーとどういう関係があるのであろう。いや、全く違うような気がする。ピカソは、いったい何を考えて、この絵を描いたのだろうか? 何をいわんとしたのであろう
か。

ところで「青の時代」というのを調べてみると、そのころの背景が分かった。ピカソは19歳のとき、親友のカサヘマスが自殺したことに大きなショックを受け、鬱屈した心象を、無機顔料のプロシア青を基調に使い、盲人、娼婦、乞食など社会の底辺に生きる人々を題材にした作品群を描いた。現在「青の時代」という言葉は、孤独で不安な青春時代を表す一般名詞のようになっている。

 ということなのですが、皆さんは、もし財力がおありでしたら、この「酒場の女」と言うピカソの作品を手に入れたいと思われるでしょうか? 私は、そういう気持ちにはなりませんが・・・。

     ~~~~~~~~~~~~~

 この絵と関係はありませんが、17世紀オランダの静物画家ピーテル・クラ-スの描いた「朝食画」という絵があります。

       

この絵では、パンとワインのほかにレモンやブドウなどの果物、おそらくニシンと思われる魚の燻製(くんせい)が食卓に置かれています。が、朝食画には、果物のほかにもサーモンの燻製やブラックベリーのパイなど、メニューはさまざまである。が、パンが描かれていないことはあってもワインのない朝食はないとのことです。。

ワインが入っているのは古代ローマのグラスを模したレーマー(ローマン)グラスと呼ばれるもので、手づかみで肉などを食べていた古代ローマでは手がヌルヌルになるので、滑り止めのため脚に凹凸をつけたという。グラスは大型で、脚の部分にもワインが入る。古代ローマと同じように、みんなで回し飲みしたのだろうといわれています。
(1646年、油彩、板、60×84センチ、プーシキン美術館蔵)

 こんな絵を17世紀のオランダの人たちはでは愛好したたようですね。部屋に飾ってみたくなりますか? まあ、高橋由一の「鮭」という絵があるくらいですから、そのような絵を壁に飾ってみたくなる人がいるかも知れません。




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6 コメント

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ピカソは天才です (九分九厘)
2021-07-06 15:54:53
 日経新聞の文化欄でこの絵を見ました。新聞紙上の絵は今ひとつ色具合が定かでなく、アブサンの酒場雰囲気も感じられませんでしたが、このブログのおかげでよく分りました。ボリューム感が素晴らしいですね。
 記事にあるように、青の時代の後にピカソはキュービズムの「アヴィニオンの娘たち」(1907年)を描いて、それまでの西洋絵画の常識をひっくり返したことで有名です。MoMAで見た時に興奮したものです。従来の画家が神の代理人のごとき創造者となって、遠近図法による消失点を中心にした世界を眺望する絵画感を、ピカソは根底からひっくり返してしまった。アインシュタインの相対性原理の発見に匹敵するとも言われます。ピカソはパリのトロカデロ民族博物館でアフリカ黒人の仮面彫刻に出会って「なぜ自分が画家であるのかが分かった」と言います。絵画を現実の表象を超えた一種の「呪物」であると直感し、自分を未知の他者体験世界との媒介者として自認する。その画法は、遠近法を否定して多焦点の転移を誘発するものとなる・・・・・。
 ピカソほど死ぬまでその画法を変えていった人はいないのでしょう。ピカソの銅版画も見たことがあります。だけど正直なところ、そんなお金もないですが家に飾っておく気にはなれないですね。やはり気が休まる絵が良いです。現在、日経新聞が「本の装丁」シリーズを掲載していますが、手元に置いておきたい代物ばかりですね。最近こうした本に出会ったことがありません。自分で装丁の技術を習得できぬものかと目下思案中です。
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お礼 (うらぎ)
2021-07-07 11:27:45
九分九厘様
 いつもにまして舌鋒鋭いピカソ論をご披露頂き、感服いたしました。以前「マティス論」をこのブログで書いたことがありました。機会がありましたら、いつか大兄が「ピカソ論」を書かれて、ご披露頂けることを切望いたします。

 それはともかく、家に飾るなら、ははり「気の休まる」絵がいいですね。日経文化蘭の「本の装丁」シリーズ、いいですね。昨日でしたか、東郷青児の「紫の恋」という本の装丁が載っていましたが、こんな本なら一生の友としてそばに置いておきたくなりますね。シドニー・コレットの恋を偲びつつ。
返信する
正しく天才 (龍峰)
2021-07-07 23:43:16
ゆらぎ 様

今回取り上げられたピカソ「酒場の女」の評論並びに九分九厘さんと貴兄のピカソ談義を興味深く読ませて頂きました。

小生もピカソは正しく天才だと思います。彼の父親はご存知のように、バスク地方出身の画家で、絵の教師でした。
ピカソは少年時代から絵は得意でしたが、他の学科はからっきしだめだった。天才の片りんは、彼が10歳の時には、早くも父の絵の助手をしていたことで示される。ある時父の得意なモチーフの「鳩」の脚の部分を、父が出かけている間に描いて置けと言われ、実物を前にして彼は描いた。返ってきた父が、その絵を見て余りにも、絵の出来栄えが見事で、父は感動し、自分のパレットや絵筆や絵の具を全てピカソに与え、自分はもう絵を描かないと宣言したと。この逸話は伝説めいており、実際には父は、その後も絵の教師をしており、絵を放棄することはなかったとのこと。以上は高階秀爾「近代絵画史」のピカソの記述の一端ですが、伝説めいた話が残ることは、彼が少年時代には飛びぬけた画才を、既に示しており、正しく天才の誕生だと思う。

彼は最初のパリへの旅行を親友のカサヘマスと云ったが失恋で自殺騒ぎを起こして、数か月でバロセロナにへ戻ったが、その翌年からパリへ出かけ、4年後にはパリに移り住んだ。そして後に青の時代と言われる「次第に濃いくらい青を主調として貧しい人々や老人、乞食、身障者など、社会の裏側に住む人々を陰鬱な叙情的筆遣いで歌い上げたいわゆる「青の時代」を築き上げていた。」と高階は紹介している。

もともと彼は人々を驚かせた「ラファエルロのような」正確な表現技術を有している。しかし、それに満足せず、次々と既成の表現技術を棄てて別の表現技術探し求めたと。
「人は、誰しも鋭敏な感受性に恵まれていればいるほど、若い時に人間の生き方について深刻な悩みを体験する者である。」と高階。
正にピカソがその青年時代に、悩める青年時代を通過したのではないだろうか。
「酒場の女」もそのような彼の悩める姿の発露したものだろう。

やがて、「青青の時代」から「ばらの時代」を通過して、キュビズムに入って行った。
先年MoMaを訪ねたが「アヴィニヨンの女」の絵の前は人だかりで、絶えることはなかった。
また、プーシキン美術館にはピカソの「玉乗りの少女」があり、キュビズムへの移行期の過程が表現されていると云う。
実は45年ほど前にこの美術館を訪れたが、この絵の記憶は全くなく、印象派の絵画沢山あった事だけを覚えている。こちらは、正に猫に小判でした。
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お礼 (ゆらぎ)
2021-07-08 14:23:24
0708龍峰様
 大兄の描かれる絵が着々と進歩を遂げておられることはさることながら、その背景には絵画史ににまで及ぶ勉学の跡が感じられて、なるほどと感嘆いたしました。

”ピカソは天才”~たしかに画風が変遷しつつ、それぞれの画風で名作を生み出してきました。また多作ですね。(多妻でもありますが・・・(笑))

「酒場の女」については、私にはよく分かりませんが、かつて岡本太郎がひろしま美術館でこの絵を見た時の感想として、次のように云っています。

”ピカソの本物の作品を観たのは、ひろしま美術館で。「酒場の二人の女」でした。80 × 91.5cm とそこそこの大きさです。迫力のある絵ではありませんが、もの悲しさがひしひしと伝わってくる絵です。特に右側の女性のうつむき加減が、悲しみの深さを訴えかけて来ます。”

彼がいうように、絵が訴えるところを深く感じ取らなければなりませんね。それにしても、この「青の時代」からはじまって、晩年の「ゲルニカ」に至るピカソという画家の凄みを感じます。
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美的・知的世界へ (葉有露)
2021-07-08 17:20:26
ゆらぎ様
 今回も、美的・私的刺激を有難うございます。
今回の「絵の見方」は、2020年11月が初出故、「最後の晩餐」については、同じコメントになりますので、今回は差し控えます。敢えて触れるとすれば、教会礼拝に於ける聖餐式は、この絵の描く「主の晩餐」を由来とし、福音書に出て来る箇所です。

 首題の「酒場の二人の女」は、今回は初めて知りました。ピカソの本物の絵は、一度だけでスペイン旅行の際、バルセロナのピカソ美術館に行った時だけです。この絵の現物が広島美術館にあるとのことで、一度行って見たいものです。
 何時もながら、色んな世界を見せて頂き感謝しております。
              葉有露拝
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お礼 (ゆらぎ)
2021-07-09 11:36:41
葉有露様
 駄文をお読み頂きありがとうございました。ピカソの「酒場の女」を所蔵している広島美術館はいいところですね。コレクションにロマン派、印象派、ポスト印象派、それに加えて上村松園などの日本画もあり、一日楽しめます。ぜひお出かけください。

お泊りの節は、広島駅前にある「ダイワロイネット広島駅」をおすすめします。安くて、清潔で、朝食がとても美味しいいですよ。
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