(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

コラム 絵の見方

2020-11-23 | コラム
コラム 絵の見方

 東京へ行くと渋谷にある「山種美術館」に立ち寄ることが多い。ここには、優れた日本画のコレクションがある。上掲の「奥入瀬渓谷の秋」と題する奥田元宋の絵を見た時は、あっ!といって、しばしその場に立ち尽くした。この絵に限らないが、絵は美しいもの、自然や草花や、また小磯良平のように美しい女性像を描くものが多い。 美が先立っている。西欧の絵にも、そういうものが多い。私の好きな「読書する少女像」(フラゴナール)もその最たるものである。

 ところで、西欧にはそういう範疇にはまったく入らない絵画がある。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」という絵がある。これは美的感動を描いたものではない。男たちが集まって、何やら話をしている。キリストという人物やキリスト教をしらない人間にとっては、なにを言おうとしているのかも分からない。

  


ところが、何を言おうとしているのかが明瞭にあらわれている絵がある。たとえば、ニコライ・プッサンの描いた「アシドドのペスト」は、パンデミック下の都市の壮絶な風景を描いている。恐怖映画さながらの緊迫感がある。この作品が制作された1630年、イタリアでは実際に17世紀最悪のペストの蔓延があった。悲惨な病を想像する精神的苦痛が、実際の病を引き起こす、いわゆる”病は気から”、との概念がルネサンス期から17世紀初頭の医学界における見解だった。この絵の作者、ニコライ・プッサンは、想像力は凶器にもなりうるとの認識下、彼はこの壮絶な作品を描いた。プッサンは、実はアリストテレスがに『詩学』に著した、”悲劇”は鑑賞者の精神を浄化させる、というカタルシス的逆説作用を絵にこめたと言われている。(1630年 ルーブル美術館臧)

          



さらにトーマス・コールが描いた「破壊」(”帝国の推移”連作より)と言う絵がある。これは架空の帝国の栄枯盛衰を描いたものだが、終末を思わせる光景が、迫りくる嵐を背景に繰り広げられている。立ち上がる炎、頭が落ちた巨像、兵士から逃げる女性・・・、かしいだモチーフからなる迫力ある構図が。混乱と残酷さを煽っている。

     

 1801年英国生まれのトマス・コールは十代で家族と共に米国へ渡る。産業革命最盛期の英国を知るコールの目には、定住地となったニューヨーク州の豊かな自然は、パラダイスと映った。しかし1936年に3年の欧州巡遊旅行から帰国したコールが目にしたのは、変わりつつある米国の姿だった。

 ジャクソン大統領下の経済最優先のスローガンであらゆるものの破壊が正当化された結果、貧富の差は拡大し社会は分断され、自然は荒廃の道をたどっていた。

 美と善と精神の向上の密接性が信条のコール。憂慮すべき国家の危機を悟った彼は、架空の『帝国』を描くことで現実に警告したのだった。悪か財か。富を握る上流1パーセントの選択に『帝国]の未来は委ねられている。

  注)コールの絵と解説は、日経電子版(11月2日朝刊)の記事によらせて頂きました。解説文はアートエデユケーターの宮本由紀氏。ニコライ・プッサンのペストの絵も宮本氏の解説による) 

 この絵を見て、ゆらぎは二重の衝撃を受けた。一つには、画家が、ある意味政治の世界にまで踏み込んできたことである。画家のトーマス・コールはアメリカの画家、ハドソン・リバー派の画家である。ハドソンリバー派は、19世紀中頃のアメリカ風景画家たちの美術運動。彼らはニューヨークを流れるハドソン渓谷などを描き、自然と共存する牧歌的な世界として描かれている。ハドソン・リバー派の画家たちは宗教上の信仰の深さはそれぞれであったが一般的にアメリカの風景という自然の中に神の偉大さの顕れを観ていた。

このハドソンリバー派の絵画は、ニューヨークのメトロポリタン美術館の一角に飾られており、ニーヨーク滞在中も鑑賞して、”アメリカの自然の美しさに感嘆を覚えた思い出がある。

 
 そしてもう一つは、この絵の描くところは現代の世相と酷似しており、私たちはコールの言うところに耳を傾けなければならないのではないか。たしかに貧富の差は拡大し、働こうにも職がみつからない若い人たちが多い。また高齢者への健康保険や介護保険給付への支払い負担も求められている。また、災害対策として大金が投じられているが、その陰で自然環境は歪められていく。まさに政治の問題である。さらに国際情勢に目をやれば、アメリカやロシア、中国は軍拡の時代に入っている。ロシア、アメリカ、中国などを筆頭にして核爆弾は世界に溢れている。憂慮すべき、日本の、いや世界という「帝国」の危機である。

     ~~~~~~~~~~~~~~


と、いう訳ですが、みなさんはどう思われますかか?私としては、やはり心安らぐ絵を見たいので美しい風景や美女を描いた絵がいいですね。もちろん、美女に限りません(笑)。 和田三造の「南風」に描かれた男のたくましさには、見とれます。 

              

さはさりながら、時には世相のあり方を考えさせられるような絵も、この目でしっかり見たいものです。









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6 コメント

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感想 (龍峰)
2020-11-25 14:46:56
ゆらぎ 様

絵を鑑賞するポイントを教えて頂きました。
改めて思うのは、絵は人間の歴史、文明の発達と共にその意味するところ、役目が変遷してきたように思います。その役目は記録、報道、権威付け、プロパガンダ―、癒し、美の追求、自己表現等など。太古の原始時代の洞窟絵画を欧州で1度見たが、今の我々が想像するものと彼らが描いた目的と合っているかどうかは分からない。ご紹介の中世の時代は報道記録、絵を通して悲惨さを人々に知らせ、後世に記録として伝えようとしたのでしょうか。今の時代では、写真も映画もビデオもあり、記録報道には向いており、絵の役目も変わったように思う。そして絵はもっぱら自己表現と美の追求そして画家のインスピレーションによる近未来の人間社会の予告をしているように思う。
絵は人間が己の手で摘む出すものであり、それだけに時代を超えて、面白い。
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知の世界への刺激 (葉有露)
2020-11-26 10:27:52
ゆらぎ様

 いつもながら、新鮮な刺激を与えていただきありがとうございます。
 4枚種類の絵画を見ておりますと、絵画の果たす役割の幅の広さ、時代性を感じます。
 その点で,龍峰様の「絵はもっぱら自己表現と美の追求そして画家のインスピレーションによる近未来の人間社会の予告しているように思う。」
との言に同感です。

 「最後の晩餐」について,私見を述べたいと思います。ご承知のように、この作品はミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツイエ修道院の食堂に描かれています。また、ほとんどが未完といわれるレオナルド作品の中で、数少ない完成少ない作品の一つと言われいます。
 小生の独断ですが、この作品は修道院の依頼により、修道士への教義のメッセージとして描かれた。この絵画の主人公は、キリストと見えるが実は裏切り者ユダではないか。修道士として、修練を重ねて行き、ユダのように脱落、裏切りに落ちらないよう啓示を与えているのではないか。
 修道院にとって欠かせない絵画となっている。

 有難うございました。次回を楽しみにしています。
            葉有露拝
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遅ればせのお礼 (ゆらぎ)
2020-11-26 11:52:56
龍峰様
 光彩会に限りませんが、美術展覧会をみていると、いつも”どうして人間は絵を描き続けるんだろうか”と考え込む時があります。ご指摘の自己表現欲というものがあるのでしょうね。それから、俳句も詩も音楽も、もし無人島に独りでいて誰も見てくれない、誰も聴いてくれないとなると、それでも創作意欲が湧くのでしょうか。そんなことを時々、考え込んでいます。

”中世の時代は後世に報道記録記録として絵を通じて悲惨さを人々に伝えようとした・・・”との貴兄の問いかけは、なるほどと思いました。
でも、「原爆の図」で知られる丸木美術館では、原爆が落とされて75年経った今でも、原爆で苦しんだ人々の絵を描き続けています。単なる報道記録ではなく、画家の思いが込められているからこそ、描き続けるのではないかと思います。

鋭いご指摘ありがとうございました。
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お礼 (ゆらぎ)
2020-11-26 15:55:26
葉有露様
 早速、覗いて頂きありがとうございました。「絵の見方」などど大それたことを申し上げましたが、見方は人それぞれでいいのかな思っています。ただ、美術展でもそうですが、人が絵を見るときに、まず作者の名前や説明文を見て、それから絵を鑑賞する人が多いようです。これでは、先入観が入ってしまいますね。まず、絵を見ることが大切なように思います。

「最後の晩餐」について、貴重なご説明を頂きありがとうございました。私の若い知人~女性ですが~大のイタリア好きで、1977年から1995年の大修復工事が行われましたが、これが終わると早速イタリアに飛んで行きました。彼女はキリスト教徒でもなく、キリスト教のこともよく知りませんが、この絵はそれほど魅力があるようですね。
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素晴らしい絵を堪能しました。 (九分九厘)
2020-11-28 11:36:43
ゆらぎさま
 「ハドソンリバー派」なる19世期のアメリカ画家たちは全く知りませんでした。創始者のトマス・コールの絵をGooBlogの動画で楽しみました。100枚以上の絵画が一挙にみることができました。アメリカの風景とは思えないが、どこか既視感のある宗教的な風景画です。人物が小さく添えられていて、自然の偉大さと神の天啓が見て取れる絵です。ほとんどが風景画ですが、貴兄のブログにある人間の怒りやエネルギー体を直接描く絵は、むしろ少ないようです。しかし、風景画そのものに、同じ姿のエネルギー体が見てとれます。素晴らしい画家たちを紹介してもらいありがとうございました。
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お礼 (ゆらぎ)
2020-11-28 17:21:00
九分九厘様
 トーマス・コールの絵を楽しんでいただけたようで、嬉しく思います。先年、メトロポリタン美術館で「ハドソン・リバー派」の絵を眺める機会がありましたが、今回の「破壊」のような絵を見るのは初めてです。びっくりしました。

日経新聞の電子版のアートのところに、いろんな絵が掲載されます。今回、ひときわ興味を惹かれましたので駄文を草しました。お目通しいただき、恐縮です。日本の絵には、「破壊」のような社会的な意味を持つ絵はほどんどありませんね。
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