(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ 逆境に生きる

2015-03-23 | 読書
エッセイ 逆境に生きる

 伝記文学というジャンルの文学をつくりあげた小島直記という作家は、とても好きな人である。『出世を急がぬ男たち』とか『東京海上ロンドン支店』、また『異端の言説・石橋湛山』などなど枚挙にいとまがない。彼の作品を読んでいると、胸がスカッとしてくる。その作品の一つに『逆境を愛する男たち』(新潮社 昭和59年3月)という著作がある。

 この本には非常に興味ふかい人物が次々に登場する。たとえば戦後電力の再編成に取り組み「電力の鬼」といわれた松永 安左衞門。この人は鈴木大拙に教えられアーノルド・トインビーの『歴史の研究』とい名著があることを知り、広く日本人に読まれることになればと、80歳の時渡英しロンドンでトインビーから翻訳権を譲ってもらい全25巻の邦訳を成し遂げている。戦後シベリヤに抑留され、過酷な獄中生活を送った瀬島龍三のことも出てくる。さらに日本のケインズと呼ばれた石橋湛山のことや、明治政府のときに財政担当者になり、五箇条の誓文の起草をした由利公正のことが出てくる。その中でただ一人、女性のことが書かれている。

 (読書による自己形成)という章で宝塚歌劇12期生の高浪喜代子という生徒のことがでてくる。当時宝塚歌劇団の世話をしていた丸尾長顕の回想によると、次のようなエピソードがある。(須磨郁代と同期生である)

 ”高浪喜代子という生徒がいた。可愛いい子であったが、背は高くなく、おきゃんなところがあるかと思うと、また静かなところもある、というタイプだったらしい。その生徒から、「わたしはスターになりたいけれども、いっこうにスターになれない。しかし、スターになる方法があったら教えて欲しい」という相談をうけた著者は机上の本をさして、「この『ボヴァリー夫人』を読んだら、きっとすたーになる」と、とっさに言った。
フローベル原作のこの小説の当時の訳本は、訳が下手で読みづらいものだった。しかし、彼女がより知的になったら、その時にチャンスをつかむ女だと思って、あえてすすめたのだ。

 「そんなら読んできます」といって、彼女はその本をもって帰った。いっぺん読んできた。が、スターにならない。二度読んだ、まだスターにならない。著者の目には、まだ輝きが感じられなかった。三度読んできた。それでも、まだダメ。しかしながら、なんとなく知的な面が感じられるようになった。

 「三度読んだけれども、スターにならないじゃないの」という。「じゃ、もう一度だけ読んできてください。もう一度読めば、必ずスターになる。ならなかったら、私が切腹してみせる」 彼女はそういわれて、真剣になって、四度読んできた。そして、四度読んできた時にいったのである。

 「スターになろうと思って、四度も読んだ。だけれども、もう私はスターならなくてよろしい。この本を四度読んで感じたことは、人間の感情というものが、こんなにデリケートである、ということを知った。だから、丸尾さんにダマされてもいい。もうスターにならなくてもいい。この本を四度読んで、そういうことを理解しただけで、私は満足することにする。あなたにダマされたけれども、得はとった」 

 ところが、スターにならなくてもいい、と言った途端に、彼女はスターになったのである。なぜか? 「それはそうである。彼女はもう以前の高浪喜代子ではなかった。知的に輝きを増した目をしていた。それを作者は捨て置くはずはない。すぐ役がついた。目も輝いてきた。肩の力も抜けてきた。こうして高浪喜代子は、大スターにのしあがった」”


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  この話を読み返しながら考えた。逆境の中で生き抜き大きく伸びたり、活躍した女性は少なからずいる、と。たとえば歌人与謝野晶子。”柔肌の熱き血潮に触れもみで淋しからずや道を説く君”(みだれ髪)を引っさげてさっそうと歌壇に登場し、夫与謝野鉄幹を支えた彼女は12人の子供を育て婦人・教育問題でも活躍したが、反戦の歌を詠んで世間からは叩かれた。それにもひるまず己の信ずるところを貫いた。時代は下がって、宮尾登美子。妓楼に少女を斡旋することを生業とした家に生まれ、姉妹のように育った子どもたちが芸妓、娼妓となって悲しい末路をたどるのを見てきた。自らも結婚後、夫とともに満州に渡ったが、すぐ夫をなくし自らも長い病を得ながらも艱難辛苦の末、『櫂』『朱夏』などの名作を生み出す。その後70歳に達してから『平家物語』の取り組む。名作『錦』に至っては80歳の時の作品である。彼女たちが、逆境を”愛した”かどうかは分からないが、少なくとも”逆境を生き抜いて”きた。

          

           しかしいずれも故人である。では今の時代に逆境を生きる人はいないのかと思案した。ちょうどそのとき、日経新聞で佐賀市長選のことが報じられた、有力と思われていた人物が思わぬ敗退をしたのだ。そのことを電子版でプライム・インタビューとして報じたのである。本年1月の佐賀県知事選で敗れた前市長の樋渡啓祐(ひわたし・けいすけ)のことである。((企業報道部 香月夏子氏の記事))

彼は佐賀にTSUTAYA図書館をつくった男である。これはとても優れたインタビュー記事であり、電子版の特性上あまり多くの人の目に触れない可能性もあるので、ここに記事のほぼ全文を載せることにした。このTSUYAについては以前このブログで取り上げたことがある。<本を買いに行きたくなる書店 代官山蔦屋書店>(2013年10月13日)東京の代官山にこれをつくったカルチュア・コンビニエンス・クラブ代表取締役の増田宗昭氏のことは、ブログ記事で詳説してあるのでそちらをご覧いただきたい。いずれにしろ彼の考え方には深い共感を覚えている。


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(TSUTAYA図書館作った市長、「佐賀の乱」敗戦記 )


 今年1月11日の佐賀県知事選は「佐賀の乱」と称される。保守分裂の末、自民公明両党の推薦候補が、地元農協の政治団体の推薦を受けた新人に4万票の大差で敗れたからだ。敗北したのは佐賀県西部にある武雄市の前市長、樋渡啓祐(ひわたし・けいすけ)。DVDレンタル「TSUTAYA」の企業への図書館の運営受託、市内全小中学生へのタブレット端末配布など、特異な手法で改革を推し進めた名物市長だ。中堅どころの温泉地としてしか知られていなかった同市を一躍全国区に押し上げた剛腕と抜群の知名度が、なぜ通じなかったのか。知事選敗北後、樋渡が初めてインタビューに応じた。


     


  ”武雄市は人材も育ってきており独り立ちできる。今度は佐賀県が抱える問題の解決をお手伝いできればと思った。ただ白黒つける僕のやり方が選挙に向いてなかったみたい。僕のことを嫌いな人たちは絶対に投票に行くから”

 樋渡は武雄市の出身。県立武雄高校から東大経済学部を経て1993年に総務庁(現総務省)に入った。2005年に退官し、翌年、市長選に出馬し初当選。今回の県知事選に出るまでに3期務めた。

 昨年11月、首相の安倍晋三による突然の衆院解散で幕が開いた。前佐賀県知事の古川康が衆院選への出馬を決め辞任。樋渡は自民党からの強い要請を受けて県政へのくら替えを決める。年末年始を挟んだ慌ただしい県知事選となった。自民・公明両党の推薦を受け序盤戦は順調だったが、年明けを境に雰囲気が変わった。県内農協の政治団体「県農政協議会」の推薦を受けた元総務官僚の山口祥義が急激に追い上げてきたのだ。

 安倍政権は佐賀知事選を農協改革の一里塚と考えていた。樋渡を改革派、農協が支持する山口を抵抗勢力と位置づけ、樋渡が勝利することで改革に弾みをつけるシナリオを描いていた。だが、地元農協の結束は固く、中央が地方の意向を聞こうとしないというイメージも関連団体の反感を買った。先鋭的な改革手法が保守派の目には「ヨソモノ」と映ったことも災いした。樋渡と山口の政策にほとんど違いは無かったが、「佐賀のことは佐賀が決める」という言葉の前に樋渡は支持を失った。


当選すると確信していたので、落選が決まった瞬間には(今後の進路は)全くの白紙でしたよ。でもね、落選の2日後にはもう次の道が決まった。朝5時、目覚めた瞬間にひらめいたんです。『そうだ、起業しよう』って。ワクワクしている


 選挙はすでに過去のことだと、晴れ晴れと語る。今度は「民」の立場から地方の活性化に取り組もうと、まちづくり会社「樋渡社中」を立ち上げた。登記も2月2日に完了したという。樋渡のもとにはすでに100を超える企業から地方事業の監修依頼が舞い込む。人口約5万人の一地方都市だった武雄市の名を全国に知らしめた手腕を評価する声は多い。

 さかのぼること9年前。樋渡は当時としては最年少で武雄市長に就任した。武雄市は佐賀では古くからの温泉街として親しまれているが、とりたてて個性のある町ではなかった。その武雄市が今では樋渡の名とともに全国区になった。樋渡は就任以来、次々と突き抜けた政策を実行してきた。その最たる例が公立図書館の改革だ。「TSUTAYA」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)に運営を委託した。休館日がなく、音楽が流れる館内は私語もOK。スターバックスも併設し、コーヒー片手に本のページをめくることも可能だ。

 図書館の既成概念の破壊。ただ、樋渡は話題づくりのために目新しいことをしようと思ったわけではない。一般的な図書館では少ししゃべっただけで怒られるし、夕方には閉まってしまう。閉鎖的な雰囲気を変えたかったという。樋渡自身も本が好きで「自分も行きたくなるような多くの人が集まる図書館をつくろうとしたら、結果として前例のない取り組みになった」

 新しい図書館は人々に受け入れられた。両手に絵本を抱えた子供やコーヒーを楽しむ女子学生。ここには若い人も集まる。近隣の唐津市や佐賀市からも団体客がバスで乗り付ける。13年度の来館者数は92万人と改革前の11年度に比べ4倍近くに増え、本の貸出数も1.6倍になった。視察も含めると市への経済効果は36億円にのぼる。


 ”市民病院の民間移譲を決めたとき)反対運動が起こることは予想できたが、存続には  これしかなかった。反対派はたたきつぶす相手ではない。とにかく自分のやっている  ことを説明して賛同者の分母を増やすしかない”


 こうした実績が支持を集める一方で、批判の声が大きいのも事実だ。「人の意見を聞かない」「独善的」。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で市政批判に激しく反論する姿勢に、眉をひそめる関係者も少なくなかった。


 授業でタブレット端末を使う武雄市朝日小学校の児童。樋渡が導入を決めた

     

 また、しがらみに切り込む改革には時に大きな衝突を招く。08年に、赤字が続いていた市民病院の経営改革に取り組んだ時もそうだった。赤字額は5億円超。常勤医が不足し、一時は急患対応できないほどに追い込まれた。病院を存続させるためには民間移譲しかないと思い民営化を決断したが、地元医師会を中心に猛烈な反発が起きた。それでも樋渡は妥協を嫌い、ゴールに向かって突っ走る姿勢を貫いた。

 結局、反対運動はリコールの動きに発展。樋渡は任期途中の辞任と出直し選挙で対抗した。病院の現状となぜ民営化が必要なのか説いて回り、出直し選挙は僅差ながら勝利。病院は一般社団法人、巨樹の会に移譲された。

 「独善的」といわれることが多い樋渡だが、その逆の面を指摘する者もいる。「いつ見ても市長室にいない。町内をまわっていろんな人に声をかけていた」。武雄市副市長で樋渡と共に市民病院の民営化に取り組んだ前田敏美はこう話す。

 独善か協調かの評価は別として、結果は数字に出ている。現在、病院は年間数億円の黒字を計上し、武雄市の税収にも貢献する。14年4月1日時点の職員数は453人と移譲前の08年度に比べ2倍以上の水準。外来患者数も3倍近くに増えた。


 樋渡の辣腕スタイルの原点は何か。今でこそ自信にあふれる樋渡だが、学生時代はコンプレックスの塊で不登校気味だったという。転機は、たまたま高校に講演にきた当時の西有田町(現有田町)の町長との出会いだった。車いすマラソンや棚田ウオーキングなどのイベントを企画して町を盛り上げようとしている改革派。自らを首長と称し、仕事を心底楽しんでいる姿に心を打たれた。

 首長になるための第一歩は東京大学に入学することだと猛勉強し、一年の浪人を経て合格。順調に進むかのように思えたが、大学に入学後は勉強についていけず、引きこもった。ほとんど寝たきりになってしまった樋渡を救ったのはNHKの受信料徴収員だった。徴収に訪れた際にいきなり体を触られて、あっけにとられていると「合格」と宣言された。自信を無くしていたときにかけられたポジティブな声。徴収員のアルバイトを始めるきっかけになった。

 最初は全く徴収できなかった。やけになって自分を誘った徴収員のまねをした。しゃべり方から、食堂で選ぶメニュー、読む本まで。そうしているうちに少しずつ仕事ができるようになり、最後はトップの成績を収めるまでになった。

 得たものは大きかった。アルバイトでためた金で旅をし、本を読み、いろんな人に会った。「このときに磨かれた自分の感性は今の仕事にも生きていると思う」と話す。

 大学を卒業した樋渡は国家公務員になった。将来何になるにしても、その過程として、公務員の経験はよい勉強になると思ったからだ。だが上司にたてついてしまい、沖縄県への異動を命じられる。任された仕事は米軍普天間基地の移設に向けた地元への聞き取り調査だった。その後、実績が認められ本庁に戻った。時を同じくしてたまたま出席した友人の結婚式でのスピーチが地元有力者の目に留まり、担ぎ出されるかたちで06年に武雄市長選への出馬を決めた。

 もう少し先だと思っていた夢の首長。当選を素直に喜んだ。それから9年弱、改革派市長として走り回り、実績を積み重ねていく。


 今考えているのがふるさと納税を活用した地方自治体の事業の後押しだ。地方には良いコンテンツがある。ただ経営基盤が弱い地方自治体にとって事業の拡張や強化はハードルが高い。ふるさと納税を通じて全国各地の企業から資金を集められるしくみをつくる。企業にとってはブランド価値の向上につながり、両者にメリットがある


 1月11日、樋渡は佐賀県知事選で落選し支持者に頭を下げた。一般市民に戻った樋渡は今、これまでの経験を生かし、公と民の橋渡しをすることで地域の活性化を図ろうとしている。

 アイデアの原点は昨年9月に訪れた米ニューヨーク市のメトロポリタン美術館。民間からの寄付で成り立っていることを知り、感銘をうけた。(注 私自身もここメンバーとなっている。わずかでもこの美術館の維持に役に立てるのは嬉しいことである)

          


 「地元だけでやっていたらいずれ手詰まりになってしまう。いいものはみんなが応援すればいい」とも話す。外部の人も巻き込むことで地方の魅力を磨く狙いだ。様々な人を呼び込み、つなげることで、前例にとらわれ閉鎖的になりがちな地方行政に新風を吹き込むのが樋渡のやり方。自治体と企業の人材交換や地域通貨の新しい活用法などアイデアは尽きない。地方自治体からアドバイザー料は徴収しない方針だ。地方創生を食い物にはしないとし、企業との協力事業などで生計をたてる考えだという。


 ”まちづくりは僕の人生そのもの。「公」だとか「民」だとかは関係ない。僕が築いて  きたオールジャパンのネットワークと経験をいかしていきたい”


 今回、樋渡の強すぎる個性を佐賀県民は拒絶した。だがそれは、劇的な変化を嫌う層による、行政の長としての資質の不承認であり、異端の改革者に対する評価ではない。保守分裂の知事選挙「佐賀の乱」は結局、安倍政権の農協改革への闘志をかき立て、全国農業協同組合中央会(JA全中)の地域農協への指導・監査権がなくなるという結果につながった。在野に立った樋渡は、これからいったいどのようなムーブメントを引き起こすのだろうか。


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 さて、このような変化を恐れぬ樋渡のような男の姿勢をどうみるのか? あなたが佐賀県に住んでいるとして知事選で樋渡を選ぶのだろうか? 言い方はいささか申し訳ないが、佐賀県のような地方都市では、どうしても人々は保守的は考え方に陥り、変化を嫌う傾向がある。そのままの状況を継続してゆけば安定はするだろう。しかし果たしてそれでよいのだろうか? 『進化論』で有名なチャールズ・ダーウインの言葉を思い起こしてみよう。彼はこう言っている。

 ”最も強い者が生き残るのではなく、
最も賢い者が生き延びるのでもない。

唯一生き残ることが出来るのは、
変化できる者である”


 ダーウインが言ったのは生物としての種のことである。しかし、この言葉は組織にも、企業にも経営にも、また自治体にも。そして日本という国にも当てはまるのである。

 ダーウインの生物学的な話でなくても、ずばり変化の必要性を指摘している言葉がある。アメリカ第3代大統領トーマス・ジェファーソンのことばである。これもまた以前に
当ブログで書いたことがあるが再掲させていただく。


 ”先年ワシントンを訪れたとき、トーマス・ジェファーソン・メモリアルをに足を運びました。彼は、独立宣言の起草者で、建国の父と言われています。このホールの中の壁にはジェファーソンの言葉が彫り込まれていて、それをみて深い感銘を受け、しばし立ち尽していました。南東の壁、パネル4には次のような言葉が刻まれています。


          

 "I am not an advocate for frequent changes in laws and constitutions , but laws and constitutions must go hand in hand with the progress of the human mind. As  that becomes more developed, more enlightened, as new discoveries are made, new truths discovered and manners and  opinions change, with the change of  circumstances, institutions must advance also to keep pace with the times. We  might as well require  a man to wear still the coat which fitted him when a boy  as a civilized society to remain ever under the regimen of their barbarous ancestors"

 すこしかんたんに言えば、法や憲法は人間の知性(人間の心)の進歩と共に、また時代にあわせて進歩しなければならぬ、と言っているのです。”



 今の激しい変化の時代に旧来の陋習を守っているだけでは、進歩がありません。組織もまた自分自身も変化しつつ進歩してゆかなければならないと思うのです。


     ~~~~~終わり~~~~~


 今日も辛抱強く長文、駄文にお目通しいただきありがとうございました。












 


 

  








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