(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

気まぐれ日記/ヒラリー・クリントンの来日

2009-02-16 | 時評
 今夕、ヒラリー・クリントン米国務長官が来日しました。せっかくのことなので彼女に関するエピソードを一つご紹介しましょう。

 ”アメリカ軍がNATO軍と一緒にユーゴースラビアに出かけていった時に、ヒラリー・クリントンが兵隊さんに演説をしました。そのときヒラリー夫人は、こんな演説をしています。ユーゴが乱れてきたのは、いろいろな宗教、いろいろな民族が入っているからだ。わがアメリカにもいろいろな宗教があり、いろいろな民族がいる。しかしアメリカは一つになってやっている。ここにアメリカの価値がある。・・・・”

 アメリカ兵士はこれを聞いて感激したそうです。

 『知の愉しみ知の力』という、白川静と渡部昇一の対談をまとめた本(致知出版社)があります。そのなかに「世界の常識を百八十度転換させて日本の心学」という一節があり、渡部昇一がこの逸話を紹介していました。日本には、本地垂迹(ほんちすいじゃく)という説があって、神仏儒の区別をしない、人間の心を前提としてそれを立派にすためにはいかなる宗教をつかってもいい、という考え方があるそうです。そういえば”神さま仏さま、稲尾さま”などというように、日本ではあまり神仏の区別をしませんね。仏様も阿弥陀如来、お釈迦様、観音菩薩、大日如来・・・・、とそれほどシリアスに区別せず、手を合わせて拝んでいます。今はそんな”寛容”の精神が必要とされているのではないでしょうか。

 小沢党首が彼女と会うのか、会うとしたらどんな話をするのか推測すべくもありませんが、こんな会話でもされたら如何でしょうか?ついでのことに、こんな話もあります。

(日露戦争の終結策を漢詩で確認しあった伊藤博文と金子堅太郎)
 ”伊藤博文は日露戦争の早期終結を模索するために金子堅太郎をアメリカに派遣します。その時に伊藤が金子に詩を送るんです。その詩は「戦争回避のために動いてきたけれど、もはやどうにもならない。しかしアメリカの仲介があれば、戦争を早期終結させることができるかも知れない」という内容なのですが、アメリカという名前を出さずに言うわけです。それに対して金子堅太郎も詩で答えるんですね。当時の政治家には、そういう江戸幕末の教養の伝統というのが残っていたように思います・・・・”

 外交にも、風格がありますね。わが国の今の政治家や外交官はどうなのでしょうか。昭和37年10月、総理に就任まえの佐藤栄作はがケネディ大統領を表敬訪問しました。会ったとき、はじめはまったく儀礼的でとりつくしまもなかったケネディが、佐藤の引用したシュバイッツアーの言葉に心を動かされ、胸襟を開いて延々三時間話し合った、という出来事もありました。

 ”戦いに勝ちし国は敗れし国に対して、喪に服するの礼をもって処さねばならない”

アメリカはキューバ危機の真っ最中、日本は沖縄返還まえのアジアの一小国にすぎなかった。ちなみに、この言葉は『老子』にでてくるフレーズであるとか。
 

 

 
コメント (8)
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