りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その44-⑥ 井田川駅~

2020-06-11 07:40:00 | 旧東海道散歩
踏切と歩道橋を渡り・・・


国道1号線沿いを進むと・・・


大きな「関宿」の看板。右側の脇道に入ります。


ここで少し休憩。


先ほどから、少し前を歩かれていたお仲間も休憩されていました。お話しを伺うと、何と南米を徒歩で旅行されたご経験もある大ベテランrun すごいですね~meromero2

「関の小万のもたれ松」

niko小万は江戸時代中期に(母の遺志を継ぎ)父の仇討を遂げ、有名になった女性です。子供の頃、亀山城下で武術を修行し、ここまで帰って来た時に若者の悪戯から逃げるためにこの松にもたれ姿を隠したと云われます。

この仇討はあっと云う間に全国に知れ渡り、評判になりました。さらに小万は絶世の美人。多くの旅人が小万に会うために(養女となった)山田屋に宿泊し、宿は大変繁盛そうですが、38歳という若さで亡くなってしまいました。

小万は「鈴鹿馬子唄」の歌詞にも登場します。
「坂は照る照る鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る 馬がものいうた鈴鹿の坂で おさん女郎なら乗しよというた 坂の下では大竹小竹 宿がとりたや小竹屋に 手綱片手の浮雲ぐらし 馬の鼻唄通り雨 与作思えば照る日も曇る 関の小万の涙雨 関の小万が亀山通い 月に雪駄が二十五足 関の小万の米かす音は 一里聞こえて二里ひびく 馬はいんだにお主は見えぬ 関の小万がとめたやら 昔恋しい鈴鹿を越えりゃ 関の小万の声がする」

馬子の皆さんの間でも、小万は伝説のアイドルのような存在だったのかもしれませんねwink



関宿の東側入口「東追分」


歌川広重 竪絵「参宮道追分」

niko東海道から伊勢別街道(参宮道)が分岐していた場所で、「一の鳥居」と常夜燈、一里塚が描かれています。現在もほぼ同じ景色ですね。

「一の鳥居」は20年に1度の伊勢神宮の式年遷宮の際、内宮宇治橋のたもとにあった鳥居をこの場所に移築するのがならわしになっているそうです。

nikoこの鳥居を通り、伊勢別街道(参宮道)から伊勢神宮へ向かう人が多かったので、石薬師宿、庄野宿、亀山宿を利用する旅人の数は少なかったのですね。

日本橋から106里の「関一里塚跡」

bikkuri常夜燈の後ろにひっそりと・・・危うく見落とすところでした。

東追分の北側、200年以上前から石垣の上に建つ「岩間家住宅」

niko屋号「白木屋」で、東追分で稼ぐ人足や車夫の常宿でした。

関宿は昭和59年国の「重要伝統的構造物保存地区」に選定され、約1.8㎞の街道沿いに江戸時代から明治時代に建てられた200軒ほどの古い町屋が残っています。


三関(さんげん:古代の日本で設けられた関所。他は近江の相坂の関、美濃の不破の関)の1つ「鈴鹿関」が置かれていたことが「関宿」の由来です。

niko街道沿いは民家が多くお土産屋さんなどは見当たりません。

「御馳走場跡」

niko宿場の役人が関宿に出入りする大名行列の出迎えや見送りを行った場所です。関宿にはこのような御馳走場が4カ所ありました。

「せきのやまかいかん」という表札と山車倉があったのですが何も説明がないhekomi

wink調べたところ・・・我々が訪れた約2か月後の2019年7月6日に「関宿祇園夏祭り」で曳き出される山車を常設展示する施設としてオープンしたそうです。訪れるのが少し早すぎましたase2



ところで「〇〇するのは関の山だ」などと使われるこの言葉・・・この関宿の山車が語源とは知りませんでした。
江戸時代、最盛期には関宿の山車は16基あり、山車が勢揃いするとこの狭い街道はそれだけで埋まってしまい、身動きもとれないほどであったことから、精いっぱいの意味で用いられるようになったそうです。


銀行も町並みに配慮して建てられています。


お腹が空いてきたところにタイミング良く発見した「御食事処 山石」

niko幕末の建築で、かつては料亭だったそうです。

店内もレトロ・・・ほぼ満席で、カウンターの隅に案内されました。先を急ぐ我々・・・これはかなりまずい状況ですaseできるだけ早くできそうなメニューを注文しましたが、食べている人が少ないということは・・・これはかなり時間がかかりそうな予感alien

お店のお父さん一人でお料理を作っています。(お母さんはお客さんを気遣って)お父さんをせかす・・・でもお父さん超マイペースで時々お母さんに怒られてます。
この光景を見ていたら・・・不思議と焦る気持ちが無くなってきました。お父さん、ファイトgoo

手持ち無沙汰な我々にお母さんが声をかけてくれました。
smile「今日は関宿の観光?」
口調はシャキシャキしているのですが、気遣いの女性です。
日本橋から歩いていることを説明すると・・・
smile「へーbikkuri そういえば、自転車で東海道走ってる人もいたわね」
と話しながら・・・
smile「お父さん!弁当は?できた?」
とチェックも忘れません。でもお父さん、聞こえないのか・・・無視。
niko「きれいな町並みですよね」
smile「そう?お店が忙しくて、嫁に来てからゆっくり町を見て廻ったことなんかないのよ。・・・お父さん、弁当!」

すると奥からお父さんがやってきて・・・
smile「待たせちゃって、悪いね。これサービスだから・・・食べて待っててね。」
と玉子焼きを出してくれました。
お母さんにせかされながらもお父さんが黙々と作っていたのはこの玉子焼きだったのですねhorori
ありがとう・・・お父さん。甘い玉子焼きは最高に美味しかったですmeromero2(でも写真は撮り忘れましたase


お店の奥にもカラオケ用の広間があるそうで、終始お母さんは忙しそうに働き、お父さんはマイペース・・・微笑ましい光景に、ほっこり気分でお店を後にしました。

(つづく)
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