京口坂を下ります。
明治時代後期の町屋建築「森家住宅」
現代のマンションも町屋風
立派な鐘楼門の「光明寺」と「慈恩寺」…この辺りはお寺が多いです。
「明治天皇御召替所跡」
今は焼肉のお食事処になっていました。
日本橋から105里の「野村一里塚跡」
北側の塚のみ残っています。
樹齢400年の椋(むく)の巨木・・・全国で唯一の椋の一塚は大変貴重です
「分かっているという 思いが 闇をつくる」
「亀山藩大庄屋打田権四郎昌克旧宅跡」を通過すると・・・
旧東海道は分岐点を右へ。
参道の両脇に66基の常夜燈が並ぶ「布気皇館太(ふけこうたつだい)神社」
少し進むと町屋建築の「神辺簡易郵便局」
江戸時代、この辺りには立場茶屋がありました。
1690年(元禄3年)禅僧「道心坊能古」が開いた能古(のんこ)茶屋は特に有名で、奈良の茶飯、家伝の味噌、煮豆が好評でした。道心坊能古の友人、松尾芭蕉も能古茶屋に立ち寄り俳句を残しています。
「枯枝に鳥とまりたるや秋の暮」
「右白川道」の道標
平家の落ち武者が住み着いたと云われる「落針」地区・・・この道を進むと「白川」地区に行くことができます。
「昼寝観音」から緩やかな坂道を下ります。
昼寝観音・・・おもしろい名前の観音様ですね。本尊の石山観音は西国三十三観音霊場を決めるための会合に昼寝をして欠席・・・このため三十三観音霊場に入ることができなかったという伝説が残る観音様です。何とも微笑ましい逸話です。
観音坂の途中に「常夜燈」
かつて旧東海道はこのまま真っすぐ進むことができましたが、現在はこの先をJR関西本線と国道565号線が通っているので迂回しなければなりません。
左折し跨道(こどう)橋を渡ります。
1859年(安政6年)建立の常夜燈がありました。
再び旧東海道を進みます。
田植えの時期ですね。
鈴鹿川に出ました。
鈴鹿川の北側のこの土手は「大岡寺畷(だいこうじなわて)」と呼ばれ、約3.5km続く東海道一の長縄手(まっすぐな長い道)でした。
江戸時代は松並木で、鈴鹿おろし(鈴鹿山脈から吹く冷たい風)が旅人を悩ませ、松尾芭蕉も俳句を詠んでいます。
「から風の 大岡寺縄手 ふき通し 連(つれ)もちからも みな坐頭なり」
名阪国道と東名阪道の高架下を通過。
橋脚には東海道五十三次の浮世絵が描かれていました。
静かでのどかな景色・・・鈴鹿川を見ながら「大岡寺畷」を進みます。
土手で女性が作業をしていました。
「見て!ゼンマイがたくさん採れるのよ!」
「わ~!すごいですね!」
手にいっぱいのゼンマイを持っています。
「これ、良かったら持っていって!まだたくさん採れるから・・・」
「ありがとうございます。でも旅の途中なので、頂いてもすぐに料理ができないのです。写真だけ撮っても良いですか?」
「あら~残念ね。こんなにたくさん採れるのに・・・」
少しお話しをして・・・再出発です。
(つづく)
明治時代後期の町屋建築「森家住宅」
現代のマンションも町屋風
立派な鐘楼門の「光明寺」と「慈恩寺」…この辺りはお寺が多いです。
「明治天皇御召替所跡」
今は焼肉のお食事処になっていました。
日本橋から105里の「野村一里塚跡」
北側の塚のみ残っています。
樹齢400年の椋(むく)の巨木・・・全国で唯一の椋の一塚は大変貴重です
「分かっているという 思いが 闇をつくる」
「亀山藩大庄屋打田権四郎昌克旧宅跡」を通過すると・・・
旧東海道は分岐点を右へ。
参道の両脇に66基の常夜燈が並ぶ「布気皇館太(ふけこうたつだい)神社」
少し進むと町屋建築の「神辺簡易郵便局」
江戸時代、この辺りには立場茶屋がありました。
1690年(元禄3年)禅僧「道心坊能古」が開いた能古(のんこ)茶屋は特に有名で、奈良の茶飯、家伝の味噌、煮豆が好評でした。道心坊能古の友人、松尾芭蕉も能古茶屋に立ち寄り俳句を残しています。
「枯枝に鳥とまりたるや秋の暮」
「右白川道」の道標
平家の落ち武者が住み着いたと云われる「落針」地区・・・この道を進むと「白川」地区に行くことができます。
「昼寝観音」から緩やかな坂道を下ります。
昼寝観音・・・おもしろい名前の観音様ですね。本尊の石山観音は西国三十三観音霊場を決めるための会合に昼寝をして欠席・・・このため三十三観音霊場に入ることができなかったという伝説が残る観音様です。何とも微笑ましい逸話です。
観音坂の途中に「常夜燈」
かつて旧東海道はこのまま真っすぐ進むことができましたが、現在はこの先をJR関西本線と国道565号線が通っているので迂回しなければなりません。
左折し跨道(こどう)橋を渡ります。
1859年(安政6年)建立の常夜燈がありました。
再び旧東海道を進みます。
田植えの時期ですね。
鈴鹿川に出ました。
鈴鹿川の北側のこの土手は「大岡寺畷(だいこうじなわて)」と呼ばれ、約3.5km続く東海道一の長縄手(まっすぐな長い道)でした。
江戸時代は松並木で、鈴鹿おろし(鈴鹿山脈から吹く冷たい風)が旅人を悩ませ、松尾芭蕉も俳句を詠んでいます。
「から風の 大岡寺縄手 ふき通し 連(つれ)もちからも みな坐頭なり」
名阪国道と東名阪道の高架下を通過。
橋脚には東海道五十三次の浮世絵が描かれていました。
静かでのどかな景色・・・鈴鹿川を見ながら「大岡寺畷」を進みます。
土手で女性が作業をしていました。
「見て!ゼンマイがたくさん採れるのよ!」
「わ~!すごいですね!」
手にいっぱいのゼンマイを持っています。
「これ、良かったら持っていって!まだたくさん採れるから・・・」
「ありがとうございます。でも旅の途中なので、頂いてもすぐに料理ができないのです。写真だけ撮っても良いですか?」
「あら~残念ね。こんなにたくさん採れるのに・・・」
少しお話しをして・・・再出発です。
(つづく)