手作り人形ドレスGOUDADA

ジェニーサイズ人形手作りドレスを楽しむゆるゆるブログ

1990号こもりくの

2015-11-29 04:59:12 | Weblog
社の休憩室で昼休み『バイきんぐ』をつい見ます。先日から「受験は母親が9割」著者 3人の息子を東大理Ⅲに合格させた専業主婦佐藤亮子さん出演中。彼女に批判的なおぎママとの生対決は、独身の同僚の耳目も集めました。「このひと一般人なのにしっかり言い返してる」「なんか可愛げが無いよね」これから子どもさんが受験のパート、受験中や受験が終わったばかりのパートも黙ってつい見てしまう。俺はおバアでもう長女の受験が十年前だ。去年孫生まれたし。何も言えねえ。でもやっぱりつい見る。
佐藤亮子ママの優秀なヒールっぷりには舌を巻きます。子どもさんが金メダルアスリートやドラフト1位の選手レベルになると、家庭での支援並み大抵では無くやはり小さい子を持つ身はその育児に関心がある。が、皆がそうなれないことを母子で身をもって知る過程が育児でもある。
こと受験に関しては(日本では十代の時の才能気力体力運が大きく社会人になってから大学に入るチャンスが少ない)ほとんどの親御さんが内心『有名大学に入って欲しい』と願っている。その本音を実現し、独自の具体策を展開し理論的に説明する専業主婦はやはりスゴい。3人息子合格の時点で、まあ普通のお母様なら褒めそやされても謙遜するか子の手柄にするのでは?佐藤亮子ママは、一般の母親の『子どもに高学歴を望みながら受験に対する取組が甘い』態度を一刀両断して嫌われている。
東大合格に最大の価値を置く(他の大学でもいんですが)と、定数があり合格不合格しか無い世界です。そこで『受験に無駄なお手伝い教育や恋愛は不必要』と言い切る。あくまで受験戦争に勝ったいち母親の意見。そしてこれがもし浅田真央さんレベルの選手のコーチが『スケート以外の時間を短縮し恋愛は避ける』と言ったのならこんなに反感は無いのではないかしら。昔息子さん達を慶應にいかせるために『いかに普通の家庭の収入の中で犠牲を払ったか』というお母様の手記も読みました。やはり良い教育を受けさせたい、というそのお母様の強い信念が無いとできない。そのようなお話はかすかに『偉い。でもそこまでして』という感想に留まります。『反感』が佐藤亮子ママの売りなんです。
以前の職場でもいました。幸せを隠さず死ぬほど反感を買っていた先輩。子どもさんがいない他は美人の彼女の幸福は自身が屈託なく語れば語るほど嫌われていた。銀行に勤めていた頃、顧客に気に入られその息子さんと結婚。夫君は札幌市役所勤務、持ち家で趣味に勤しみパートにはやはり趣味のように出勤しその優秀さを発揮してはにこにこして帰る。幸せだから周囲の屈託なんか気にしません。皆彼女を憎む自分達に羨望嫉妬のしこりがあるのを自覚してる。子どもがいるパートは彼女と共通の話題が少ない。…彼女が悪い人かと言えば違うのです。もっと悪い人はいくらでもいる。ただ勘にさわること半端無い。
…多分佐藤亮子ママの著書やメソッドを参考にする人もいる。聞いていると時間と信念は必要だが遣りようでお金のかからない方策です。彼女は受験に特化した価値を置いた場合の話をしているのであって、他の価値観での反論は意味がない。彼女は家庭の中での「受験コーチ」を母親の仕事として理論を開発実践し成果をあげた。 だから受験以外の「どんな大人に育つか」なんて抽象的で曖昧な話に責任はない。我々はアーティストやアスリートの成功に喝采しますがその人格や幸福なんてそう考えるだろうか?佐藤亮子ママも単に「方策や効率」の話をしているだけなんです。が、自論を疑わない確信犯的なユニーク発言にばかり注目してしまう我々。
まず自分が子の立場でこんな風に親にやられたらたまらないと怖れる。次に身近名な友人やきょうだいなら憎み嫉むだろう落ち着かなさ。そして万一、結婚相手の親がこのタイプだったらと考えると絶対嫌。ぞっとします。
数十年前「くたばれ専業主婦」という本が出ました。バブルのはじけた頃かと思います。1986年春からサラリーマンの妻は国民年金の「第3号被保険者」の優遇制度が開始。自治体の役所で手続きをすれば、本人や夫の負担ゼロで国民年金加入したことになる。自営業者やその妻の専業主婦が定額で年間二十万弱の保険料を払うのに比べると差があります。が、この財源は実はサラリーマンやOLの主に厚生年金加入者の支払っている年金でした。独身の企業勤務者が何故よその奥様の貰う年金の一部を負担せねばならないか。結婚した専業主婦はそんなに偉いのか?という独身の著者は女性でした。この方も「ごきげんよう」などTVに出てた。まず彼女は『養ってもらってる夫にさえ感謝しない主婦』を攻撃し、ごたくを並べていい身分だとくさす。反論されれば『歴史的には女も男も貧しいならそれだけ懸命に働いていた』と指摘。これは当時すでに熟年世代の評論家だった市田ひろみさんもうなずく。専業主婦と言うのは高度成長期ころ一般的になった概念です。働かなくてよい「奥様」はそれまではほんのわずか。が、では専業主婦ももっと社会に出て働けば
という話になると『社会に進出しなくていいです。必死に働く私達の邪魔でお荷物だから』とバッサリ。市田ひろみさんがすぐさま「あんたそれだから駄目なんや」と発言してたのが印象的でした。たぶんまだ派遣労働が一般的ではなかった時代です。
「幸せ」って何だろう…学歴・金・仕事。いずれも人間の弱点かつ強み。心は揺れます。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 1989号べしゃツル道 | トップ | 1991号撤収 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事