手作り人形ドレスGOUDADA

ジェニーサイズ人形手作りドレスを楽しむゆるゆるブログ

2307号ジュークボックス

2016-11-30 21:07:13 | 作品写真
やってもやっても終わらない書類の山が私を待つわ

昨日限界を超えたら
♪白のパンダを〜
‥ずっとパフィーが脳内エンドレス。
今日は何だったかな
♪Hello,darkness my old friend〜
多分少し口に出してた
♪サランへ タンシヌル〜
古いなあ。メロディーだけのインストルメンタルもかかる。
♪〈5拍子のtake5〉も定番なのだ。煙草はやらないがあの旋律が高揚する時、きっと自分の脳は喫煙を娯しんでいる。
それでも終わらないと、ずれ込んでくだらなさも極みな辺りに流れつきます。
♪あーあ〜
河童が流れるよーに〜
♪‥トバむいて喰えるだけで…いい…
黙っていればいいんだよ〜
♪あなただけが〜生き甲斐なの〜
尊敬する家門達夫さんのナンバーも。
♪家行ったで〜何でお前おらんかったんや
俺お前の家行ったのにー
…おったでー
スイマセン原曲も好きです。
♪奈良の春日野〜
‥もうたいがいにしなさいってば。家帰って黒豆煎餅でも食べます。ミカン食っておとなしく寝ます。
昨夜映画「手紙」東野圭吾原作を観たのにサッパリです。桜沢さんも玉山さんも話も切なかったけど、主人公の俳優さんがどうも自分の好みではないからのようです。実はこんな体験はあまりなかった。小説とドラマと映画を区別して収納していた。今回はいきなり映画だけ観たからだろうか。
大昔の入院生活を思い出します。動けない点滴や透析の患者さんは長い時間をそれぞれイヤホンでテレビか映画。静かな異様さはまだ憶えてる。
大部屋に移ってから当時まだあった漫画のレンタルを利用しました。病室に持ってきてくれた。長編少女漫画を回し読みしたいへん喜ばれた。漫画喫茶が生まれる直前かなあ。懐かしい。
専業主婦時代はガンガン図書館で借りまくり読んで、年百冊越えもあった。今パートをしている時間が余ったら何をするんだろう。怖い。
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2306号ウサギ?

2016-11-29 23:13:41 | 作品写真
中原中也の死にあっての同人草野心平の詩。

中原よ。地球は冬で寒くて暗い。ぢゃ。さやうなら。

少し星新一「冬来たりなば」に近いかな。夫はよく翻訳ミステリーを読みます。SFは読まないのかなと思い、先日確認したら星新一や△△は読んだらしい。
地表は寒いが地下はまだ冷え切らない。画像は歩道と公園の境目の‥何て言うのかなー。人孔蓋やグレーチングに似たものみたい。
人孔蓋も地中の温度を伝えて、よく雪中姿を現して濡れている。この模様も穴の形で、地中との温度差が足跡を残しました。
お陰様で眼鏡は何とかなおった。A.クリスティー「そして誰もいなくなった」を観ようとしてドラマの誰も死なないうちに意識を失ったのが原因。もう横になってTVを観ようとしてる時点でヤバいのだ。マザーグースの歌の通りの方法で一人ずつ順に殺される筈だったが俺が一番先に秒殺。
♪これじゃ体にいいわけないよ
‥明日も寒そうだ。
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2305号赤い幸福

2016-11-28 20:40:36 | 作品写真
チカホで在札幌領事館ほか各国の交流イベントをやってたらしい。終わる頃通りかかり本日はこれでというアナウンスを聞いた。イベントでのパフォーマンス終わって記念撮影中の赤い衣装の可愛くて若い女性グループをみました。ロシアらしい。
やっぱり赤い服は可愛いなあ。ブティックの少女のマネキンにも赤黒の斜めチェックが着せられていた。縁にあしらった白い羊毛風の飾り。真っ赤はあまり洗練された趣味ではないと知りながらやはり憧れる赤いドレス赤い靴。
姉妹にまだ親の身で服を買っていた頃、短い間ですが長女ピンク次女赤の色違いのお揃いが数点ありました。一応本人達の意向を聞いたかどうか忘れた。
すぐに小学生長女ははっきり好みを言うようになりました。青や紺、黒も着る。幼稚園〜低学年の次女には長女のお下がりを着て欲しいのは山々ながらずれ込んでいきました。
着るものに自覚的になった女の子達のデザインや色柄の好みはもうどうしようもなかった。確か中学の終わりにはもう自分の私服をひとりで買ってたのではないかな。靴やカーディガン・オーバーなどは必需品として付き合って買ったと思う。そっから先は、予算制だった。この冬必要なものはこれこれで、予算として話し合い(例えば靴はこれくらい出してもひと冬使える程度のものを、とか)私服費を更に相談して加算する。
基本的にどのブランドの何を着ようが任せました。服はいくらあっても足りない十代、かなり古着屋で探してたようです。まだ拙宅の二階に一部残ってますがかなり○○でアレな奴もありますわ。
閑話休題。歌舞伎などで美しくきらびやかな衣装のヒロインがたくさん登場します。総じて「赤姫」と呼ぶそうな。絞り刺繍染めの艶やかさ。濃い赤や紅は高貴で高価な衣でした。有吉佐和子「紀の川」は、今大河ドラマ見どころの真田幸村が永く蟄居していた九度山の旧家から美貌教養人格とも完璧なヒロインが花嫁となって嫁す場面から始まります。よく考えると金に糸目をつけない豪華な嫁入り支度の自慢(作者の祖母らしい)なんですが、あまりに微に入り細をうかがって描写される(登場する女性は必ず何を着てたか書いてある)筆致が縦横無尽で読まされます。なかに婚礼翌日の部屋見舞いに打掛は鶸色、中は「赤無垢やして」総身真っ赤な着物を人形のように着こなししっかりした花嫁を女達が口々に褒める場面があります。
渋好みの江戸期でも、緋縮緬の腰巻きなんてやはり人気でした。酒場探訪番組で、襟足が粋な和服のお姐さんがカウンターの隣に。抜いた衣紋から襟元に長襦袢の紅絹がチラリと映りああ玄人らしい。
長女三歳の宮参りもお下がりながら赤い着物に赤の被布。しかしそのあと立ち寄った先でうたた寝してしまい、帰宅後驚かされた。メリンスの下着に薄くかぶれ脚や腕が赤くなった。夫は「(かぶれないようにするには)下着からみんな絹か木綿かよ」と嘆息しました。化繊は安価でほとんどのお下がりは混紡なんですよねえ。とほ。
長女はやはりアトピっ子でした。喘息もあった。それでもそれなりに今母親をやってます。元赤姫は、腕白小僧に手を焼いています。
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2304号ひと月余

2016-11-27 15:23:00 | 作品写真
忍ぶることや雪はこべ

去年今年つなぐ細きははこべ草

また眼鏡のフレームがおかしくなった。視界がヘンだが毎週のように調整してもらうのも粗忽過ぎて恥ずかしいなあ。どうせ店に顧客履歴を検索されればすぐバレる。でもちょっと前回前々回と違う店に頼みたい。
夫は買った店に行けばよいだろと言ってくれるが、ちょっと遠い。行きつけの眼科からは近い。高上がりのレンズを選んで華奢過ぎるフレームにいれてしまったのか、扱いが雑なのかよくやらかします。たぶん右のつるが開き過ぎ、視界のまわりのフレームは傾いてます。ギャグっぽいなあ。
しかしわざわざ出かける気も無くなる寒さ。明日いっそ昼休みに地下鉄駅ひとつ先の支店に行こうか。就業後か。晩なら駅前か駅地下街の店がバス始発ターミナルに近くて楽だが。
家でもそこそこ不便だから明日丸一日業務するのも覚悟だなあ。明日また当番電話を切り替えて、営業達にレポートを返して、年末の給料の本締めに邪魔にならないようにデータ仕事をします。業務の年末年始の段取りも視野に入って来ました。我々がとかく多忙なのは扱う店舗のほとんどが年中無休だからです。加えて年末の開店ラッシュ。暮れ正月はお客様もあるらしく、開店初月の成績に期待しやすい。
いや、せっかく家にいる貴重な自由時間。仕事以外のことをしなくちゃ。
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2303号ありやなしや

2016-11-25 22:53:17 | 作品写真
星期五晩上、不太冷。回家路上地下鉄換公共汽車。車内大家看一点児累了。
日本人の一週間は気持ち月曜に始まる。実は今週とは次の土曜日までらしい。日曜から来週です。欧米の曜日の呼び名はまちまち。英語の月名は多く神話の神古代の帝王の名を借りてます。
セーラームーンではないが、曜日も惑星天体神話に対応しています。アメコミヒーロー『トール』をご存知の方もあるかと思います。ついでにThursdayの語源だ。Wednesdayは北欧の神オーディンが元と娘から教わった。このふたつに試験でつまづいた方おありでしょう。イレギュラーな頻出単語です。
恐ろしいことに今俺は辞書で綴りを確認しました。中学生に負ける。英語より中・韓をイメージして長くなった後遺症です。
確かフランス語の水曜日はマーキュリー(水星)的な語だった。ドイツ語の水曜はMittwoch(一週間の真ん中的な名)もへええと思った。試験に出たかは忘れた。ラテン語の曜日は習ったかどうかも忘れた。
日本は明治政府が旧暦から新暦に切り替えた時に曜日の訳語をつくって週も取り入れた。旧暦の時代は一週間リズムで休業する習慣が無く、日曜休みがここから役所学校で開始。それまでは新月満月の周期に近い暦で暮らしてた。毎月二十日に市がたったことが地名二十日市になったりしてます。人の命日に例月と祥月があるように、神社も年大祭に準じて毎月○日の祭があります。夕方通りかかると本殿や提灯に明かりがあり、供御がある。
日本の曜日の名は五行の木火土金水に日月を加えてそれらしくしました。実は韓国語も同じ漢字をあちら風に音読みします。日曜日(イリョイル)とか。
そうはいかなかったのが中国。元号も五行説も革命の時とっぱらい、年号は西暦になった。しかし日本で滅びた旧暦の正月「春節チュンヂエ」はいまだ健在です。そのかわり一週間「星期」からは見事に古代の占いを払拭し月曜〜土曜は単に「星期一〜六」の数詞。日曜日が「星期日」。次の春節は新暦1月28日あたり。
ユダヤ教徒の一週間は金曜の日没から始まるそうです。アンネ・フランクも自分の一週間を日記に書くときそこから始めています。最近業務都合で祝日でも月曜を休みにくい。代わりに金曜休みたいのが人情。体も無理はきかなくなりました。
先だっての雪にきっと手袋を外して素手で雪遊びをしたのでしょう。さっきまだこの手袋は樹上にありました。叱られてなきゃ佳いのですが。
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2302号猫バス?

2016-11-23 19:35:04 | 作品写真
乗る俺はトロールかいな。あっけらかんとした地下鉄に乗りそれなりのお仕事。
まだ残ってる同僚もいる。今年最後の給料を店舗の方々に間違い少なく渡すためです。俺のほうはまだ書類探しに近くそんなに重責ではない。上司達はちゃんとわかってらっしゃるわ。
昨日がいい夫婦の日だろうが、本日勤労感謝だろうが何人も出勤してやってます。パート社員入り乱れ。
あれもこれも手が遅れがちながらまた年末正月になっちゃう。ケータイでみた星占いでは俺の今日は万事如意みたいだった。さてどれがその幸運かしら。やる仕事は社員さんが少ない分とても限られた。出来はほどほど。
明白なやらかしがなかったのは俺にしてはラッキーデーかなあ。
実はバス待ちがあんまり寒くて人バスが来る前に膝から凍りそうです。シバレてまうべさ。内地のひと方は本気にしないけど、真剣に吐く息が凍り睫毛や眉に着くのです。風圧で涙するように、いきなり寒い戸外に出て顔中眼の周りも縮こまりほろり涙がにじむ。
髪が乾かないうちにそんな寒天を歩くと編んだ髪さえ霜が着く。ざんばら髪であわてて行くと、細い房のまま凍り房どうしがぶつかりカラカラ音がします。
もう落語だと思って信じないでしょ。『オハヨー』が凍りゃしませんが、濡れタオルをざっと振り広げるとその波うった形に凍ります。夫はよくそれで姉とチャンバラごっこをしたそうな。
道産子でもホントに寒いわ。ダウンを着なきゃと思っても、まだ雪道ではないからちょっと少ないみたいです。
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2301号振られても

2016-11-22 19:07:04 | 作品写真
痛まぬ相手すずろ寒

そんな事だろう、
そんな人だろうと思っていた。別に惚れたはれたじゃありません。実は合コン相手がハズレだったという先日の娘の愚痴に、あんまり対応できてないなーと思った。無理があるのは合コン経験ないから。
数十年前家事や育児をしてるふりをやってた頃、子に「(お父さんとお母さんって)いつ結婚したの?」と聞かれ殴られたような気がした。
…すっかり意識の外になってたが、してたねえ…結婚。どういういきさつで何のために結婚してたのかわかんないくらい。
夫は割と意識的かも。どうも最後に遺族年金を俺に引き渡すことが結婚を継続している理由らしい。それで息をひきとる時ありがとうかなんか言えばいいと思ってるフシがある。
有り難いが少しズレは人並みにあります。皆さんこんなもんですかね、俺は今やってもやっても終わらない残業し放題の生活になってかえって夫と二人で山川海に出かけたい。
残念なのは、夫のほうがやはり歳の加速度が高くもう自分のペースで好きなことだけをしたい。以前はただ夫の渓流釣りなどに付き合って出かけその辺で釣りの邪魔にならないように遊んだりした。野天でコーヒーを飲んだりただ弁当を食べるだけでも楽しかった。
いまなかなかそうはいかなくなりました。都合や時間を合わせると言っても気を遣うからと断られます。あんまり時間や諸々の余裕も無いしねえ。なんか寛容さゆえに家に置いてもらってる感じかなあ。とりあえず暖かく、とりあえず明るく。
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2300号放ちたる

2016-11-21 21:21:17 | 作品写真
朱そのままに七竈

紅葉のあと一度滅した赤は七五三がすめばまた聖誕祭の金銀緑白赤の中に入ってしまう。森の木々が落葉しつくせばヤドリギの赤と緑。
正月もX'masもめでたくない歳になりました。もう子どもにはプレゼントやお年玉あげなくていい気がする。‥うーん孫はどうしよう〜
多分産んだ長女に丸投げしてしまう。やりたいものがなかったら別にいいような気もする二歳。着るものとかでもいいんすかね。しかし先日キャラ靴に慣れたら新しい冬靴(非キャラ)履かなくて困ってたなー。(後日履き始めたそうです)
実家に毎年くだらない100均的なものを包装だけ派手に可愛くして送ってました。それもまた悩んでます。←ほんとくだらないんですよ。どうしようかなー。何でもいいんですけどね。
学生時代、サークルのクリスマス会はプレゼントの金額上限がありました。確か500円くらい。俺は散々考えて(学生同士くじ引きで交換するのでインパクト勝負)テレビ塔の土産品ショップで買った「わたし」と大書された湯のみ。(よく「おとうさん」や「おじいちゃん」があったやつ)
負けたなーと思ったのはすっごく大きな長方形の箱型で他の人がもらったやつ。クリスマス柄包装紙をあけると、フツーのティッシュ五箱パックでした。持ってきた奴は「これを店の人にクリスマスプレゼント用に包装してもらうの大変だったんだよ!」さもありなん。
実家に贈るのは、食べ物実用品よりも小さいオーナメントなど役に立たないものがよい。大昔は手袋やパジャマを贈ったりしましたがどうも使わないらしい。なら思いっきり無駄なものでとまだうんうん考えています。
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2299号♪どんがらがった

2016-11-20 19:45:40 | 作品写真
ちょいと野暮用で出た日曜の昼、帰りのバスを待ってると「きゃっ」と通りすがりの女性が叫んだ。
買物袋をカラスにつつかれ、まだそばにいる。「怖い」としばらくそばにいらっしゃいました。しかしカラスも動かず、狙ってる。
女性はずっといる訳にもいかない、と焦りだした。俺も自信はなかった。追い払うにも、攻撃ととれば反撃されかねない。とりあえず(カラスは)「見張ってみますから、お帰りになって下さい」カラスが狙っているのは俺かもしれない。女性はゆっくり離れる形で無事帰宅。
さてバス停の俺、隣接の植え込みのカラスとにらみ合い。位置関係は変わらず。この昼食どきに人が持ち歩く買物袋を狙うのは余程ひもじいらしい。植え込みの小枝をつまみあげ土を掘り返しても食物は無い。
ぴょん、と来て遂に俺のエコバッグもつつかれた。叱ったがやはり離れない。
バス停にもうひとり年配のご婦人が来て、二人で近いカラスを見張る羽目になった。こちらのご婦人は食物など持たず、カラスが随分近くにいるわという認識。
―ひもじいらしいです、とつい説明。買物をつついて来ました。(お気をつけて)
あら、誰も食物くれないのかしら。
―うーん、エサやっちゃうのは…後々が…。
そうねえゴミ収集所のゴミも昔ずいぶん荒らされてましたよねえ。
―そうですねえ。
親は食物をあげないのかしら。
―小さくて幼い、当歳かも知れませんね。一緒だと親が先に食べさせたりしますが巣離れするともう遣らないようですよ。
厳しいのねえ。てもさっきから一羽きりでいるからそうよねえ。

野生のカラスの寿命はせいぜい10年とか。若いうちに死ぬ割合が高く平均は2〜3年らしい。この子は冬を越せるのか?

優しいご婦人は、
食べられる実はないのかしら・ねぐらはどこかしらと不憫がりました。しかしご婦人も俺も自転車籠からカラスに肉や刺身を盗まれたことがある。
君にはうっかりパンとかあげられない、と逡巡するうちバスが来た。一度ストラップを振り回し追い払おうとしたら声をあげ怒りました。あまり怒らせて通行人に無茶をさせてもいけない。
♪カァカァカラスの勘三郎
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2298号ランプや団扇

2016-11-18 21:44:13 | 作品写真
社会通念の範囲外の技術や能力を人は魔法と呼びます。過去の欧米では『キリスト教世界以外の知恵』を意味した時代がありました。魔法使いや魔女の物語は尽きない。
円周率を延々暗記してたり、十桁近い暗算を素早くできれば我々でも驚きます。修行が魔法にもつきもので、研鑽勤行には敬意が払われる。孫悟空でさえ修行はした。今年は四国のお遍路に特別な意味がある年だったのをこないだ知りました。遅い。
同じように先般マザー・テレサが聖人に叙せられたのを知りました。要件に「死後に奇跡を起こす」があるそうです。起こったんでしょうね、奇跡。
巡礼を重ねる凡夫も、荒行に挑む行者も人なればこそ。気持ちの有りようは貴重です。
昔住んでた町は習字算盤を始め様々な習い事の師匠がいました。まだ子供たくさんいたからなあ。うちは習字算盤レベルだったが同級生には華道茶道、琴や日舞の子がいました。まだ英会話は教室が少なかった。実家の母は「大学に行くよりお花でも習え」どうせ嫁にいくから。弟の結婚相手もそんな人がいい、だって。はあ。
何とか死に物狂いで進学をお願いし説き伏せた。後年英語や中国語を目の前で読んでも話しても、両親は信じませんでした。「知らないと思って適当なこと言ってる」と言われた。信じないから留学とか大学院とかこういう人達には無理な話。
弟は高校で熱心だったブラスバンドで音楽系の仕事を考えた。才能も勘案し師にも相談し「楽器の修理の専門学校」を希望しました。その頃俺はもう結婚出産だった。父はどうだったかわからないが、母は大反対。どうでもいい長女が大学に行って、大切な長男が専門学校ではダメだって。しかも遠い本州にある学校だったからますますダメ。自宅から通える有名大学ならどこでもいいから行けと言われたらしい。話を耳にした俺は、母にその専門学校を実際に見学に行くよう勧めましたが聞く耳持たなかった。「だってそんな(訳のわからない遠く)」と繰り返すばかり。
しかし弟は大学に行きたい訳ではない。方向性も無いまま二浪しひきこもりになった後レコード屋に就職しました。
そのまた数年後、俺等夫婦は無理して家とピアノを買い長女に習わせた。馬鹿と知っての親でも馬鹿だ。年一度そのピアノの調律を頼んでいました。ある時調律が終わった後に『ムーンリバー』を弾かれてため息が出た。ウチのピアノでもこんな音が出るんですねえ。調律師の方は淡々としていました。密かにこっそりため息をついたのは、そんな方々の中に立派な外車で来る方もいらっしゃる。皆さん紳士然として、かえって下手な演奏家より充実してる様子もあったのです。
俺は心底弟がこのような仕事だったらと歯噛みする思いでした。真面目で内気な性格がかえってそんな仕事に向いていると思えたから。
しかし公務員の端くれだった親達は相変わらず土日休めないレコード屋の仕事を低いものに見て謗っていました。もうつける薬がない。
教養は放置すれば古びもする。教育があればいいというものでも無い。聞こえがいいとか役に立つとか、金になるとか以前に未来は不測と知る知恵が要る。出来ない無いと思うことか全く違う世界がある。或いは来る。
天が下に新しきものはなしとはいえ、これから先を思う時ワクワクします。良くも悪くも。
こんなに遅く帰っても、まだ塾の灯り。そばの駐車場に次々とお子さんを迎えに来るらしい車が集まって来ました。どのお子さんもどの親御さんも、心配は尽きないことでしょう。親に逆らうのが偉い訳ではない。ただ世を甘くみて悔いないでと愚かに願うばかりです。
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