手作り人形ドレスGOUDADA

ジェニーサイズ人形手作りドレスを楽しむゆるゆるブログ

2160号♪雨が空を

2016-06-13 21:50:54 | Weblog
雲霧と靄に雨音花菖蒲

六月にこんなに雨だったかしら。オールドタイプの道産子が戸惑うほど雨風が続き慣れぬ湿度。気温が20℃弱で、体調も体感温度も不安定。蒸すと嘆いたり暑かったり、窓際は寒かったり。
でも布団をかけたり重ね着するとまたなんか暑い。誠に微妙な雲行きです。
「ソロモンの偽証」読了。中学生って馬鹿にできないと思ったり、中学生の馬鹿にされたらすぐ頭に来てた自分を思い出したり。文庫版は最終章の後に後日談スピンオフ短編がついていました。
巻末の解説では、連載発表当時の酒鬼薔薇聖斗の事件に言及し、エーリッヒ・ケストナーの文のエピグラムに触れていました。俺の読後感は、ハリー・ポッター最終章に似ています。もうあんな戦闘はあって欲しくない。しかし戦い諍いの火種は世に絶えることが無い。敵と闘うためにではなくそれを避けるための勇気と知恵を育てなければならない‥。
閑話休題、先般手伝う部署が増えた時、緊張して思わず買ったのが猫写真集図鑑と公募雑誌懸賞雑誌。それからほとんど毎日葉書を書いてはデコり投函する日々でした。驚いた事に五月の末、毎週応募していた読売新聞英語クロスワードに当選。それだけでも相当パニクってた大事件なのに、その賞品(商品券)が到着した日に毎週購読してる週刊誌のクイズにも当選が掲載!昨日めでたく賞金到着(現金だが『普通為替証書』の形で郵送‥郵便局で現金化しなきゃ)。
ちなみに最初の当選の勢いで買ったジャンボ宝くじ(夫にプレゼント)はオジャンでした。
全く晴れたり曇ったり~
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2159号CIEL

2016-06-12 06:13:46 | Weblog
午前中家を出て坂をのぼり切ると、ひこうき雲。しかもほぼ南北に、地平線から地平線にわたる長さ。
いつもの道に、新しい美容室ができていました。緑色の看板に「Ciel」
ようやく晴れた休み、次女が父の日だからと遊びに来てくれました。夫は嬉しそうです。
世は全て 事もなし
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2158号西南西の風

2016-06-10 23:57:31 | Weblog
薄暮に木陰緑濃く空の疾い雲の裏が白く照る。吹きつける風は踊った肩跳ねた脚に涼しかろう。
街を巻き込む祭が既に始まり、人であふれる中を普通のバスで‥普通に帰れるかな。歓楽街のど真ん中まで踊りの曲が響きます。アカシアの花房が白く揺れる。
この夏のひと日ひと時を惜しみながら豊かに過ごす。焦りながらも、できることをひとつずつ。

はつ夏の複合和音君がいる
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2157号忘れる都なら

2016-06-09 22:42:55 | Weblog
踊り子泣かせの雨、夜はあがりました。只今よさこいソーラン開幕戦真っ最中。考えたら集まったチーム分ホテルはふさがっている筈。そんな日にススキノで女子会。今般手伝う事になった部署に歓迎会をして戴いた。奇しくも年頃がやや近い。
皆さんできるオンナばっかり、来週からまたビシバシ訓練されます。ひえぇ~
多分明日少し酔ったまま出社して働きます。生ビールと梅酒ロックを一杯ずつ飲んでコースを食べた。
来月再来月、もう自分がどうなっているか分からないけど周囲はみないい人です。そして俺のレベルもスタンスも変わらない。とりあえずは人の邪魔をしないように。最低限のクリアとリカバリー。試行錯誤。誤は多いけど、誤という認識がまず肝要です。
酔った頭で考えることです。車窓の灯り風景のように次々うつろっては闇深くまた陽がさす。
会社も街も住んでしまえばそれなりの都、都で栄華極めても至るところは青山。笑ってもらえて、一緒に笑えて。
♪そんな風にそんな風に
僕は生きたいんだ
生きて行きたいんだ
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2156号皐月四日細雨

2016-06-08 15:55:30 | Weblog
♪海は荒海 むこうは‥佐渡のむこうはミサイル基地よ
奥尻むこうはおろしゃ国
今年、実家に近い自衛隊駐屯地でも開基記念式をするそうです。先日真駒内でも先んじてやってたなあ。
実家から老母のメンタルクリニックに行く途中何の気なしに「朝警察学校で訓練中の人達のランニングを見るよ」と世間話に老父に言った。老父は元公務員だがなぜか見下す。「奴らも訓練だろう」でもしか自衛官とそう変わるのか?なんでも訓練は必要。土日でもヘリコプターの音がすれば、ああ晴れだ訓練だと思う。
短期間だが茨城にも訓練に行ったらしい。俺は偶々業務の一部が茨城埼玉の店をかすってるので思わず笑った。どこで?「土浦」すみません、また大笑い。茨城の車両ナンバーが水戸・つくば・土浦だと思い出したからです。訓練当時軍の施設が残ってたそうです。
「俺はその時生まれて初めて海水パンツはかされてプールで泳いだんだ!(じゃあそれまで泳ぐ時は一体どんな格好だったんだ?)」内心ぎゃはは。老父は中学生卒業以来職を転々とし、長兄は建築業・次兄は北海道開発なんちゃらの公務員・末子三男の身は結局自衛隊へ。老父の実家の隣町は道南の有名な漁港です。生家の集落は山あいの谷、日本海おろしの風が春寒い。反対に東へ向かえば程なくのどかな噴火湾、太平洋。同郷見合い結婚の両親は意外と泳げた。川の合流点に淵がありそこで覚えたそうです。
俺は自分のカナヅチを棚にあげて「そりゃ大変だね。流れてない水は泳ぎにくいでしょう」とからかった。
土浦での訓練は九州出身勢も来ていて、カナヅチが多い道産子は馬鹿にされたらしい。しかし5㎝でも雪が降れば隼人もいごっそうも歩けなくなったそうな。
ああ実家でする話がこういう話ばかりならまだ楽です。老母は半時間ほどの待ち時間をほとんど血圧計の心配で過ごした。待合室に装置があるので、目にする度あっ計らなきゃ・計るのにスタッフが声をかけてくれない・計らないと診察に呼ばれるのが遅くなるかも‥とずーっと気にする。さっき計った結果の出力紙片を手に持ってるのに。その都度計ったしじき呼ばれるからねとなだめる。要はしつこい子どもと一緒です。
老父はそんなのに疲れ相変わらず罵り耐えられないと愚痴ります。デイサービスの週半日四回を一回終日にと老父が考え始めた。それはそのほうが良いと勧めた。ただ金がかかるとその話の間に何度か言われるのは鬱陶しい。そうなんでしょうが、俺が相談にのれるのは金以外。そこは同居の息子さんじゃないかしら?(マツコ・デラックス風)もしくはお役所ケアマネ。ない金なら借りて払ってまで介護サービス受けろとはいわないでしょう。
老父はある金を惜しむ。そしてもう俺は生前葬をしたいと口走る。あれだけ祝儀不祝儀の金額にうるさかった老父の生前葬なんて誰も恐れて香典持って来ないんじゃないか。要はこんな生活は嫌になったという愚痴。あんた病人の世話のストレス全部病人本人に跳ね返してるじゃん。
そんな風に、聞ける話は聴き言うべきことは顔を出せば言える。でもできることはそこまでなんだ。病人の薬が増えた(もう増えて1年経つ)、お前診察室で何の話になったと今頃責められる。落ち込むとかだった気がする。声のトーンが余計な薬代増やして、にしか聞こえない。なら自分で認知症妻の診察同席しろよ。
想定敵は一体どこだ。
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2155号来倒好去也好

2016-06-08 00:04:16 | Weblog
知らなんだ、昨夜も孫一家が泊まってくれるとは。長女とその父は一日おきに長電話する仲良し、たまに俺にもついでがあり夫の携帯を渡され代わった話す。二人とも連泊を俺にいうのを失念したらしい。よく考えると大して俺ができることに影響ないが、ちょっと焦った。うっかり布団片付けなくてよかった。
「孫は来てよし、帰ってよし」とはよく言ったもの。かわいらしいが出勤前化粧直前のばったんは『禁断にして憧れの二階じったん部屋探検旅行』のお誘いに応じきれない。手を握り肩をポンポンたたいて促してくれる。少し前は這って上り抱かれて下りた階段だが、今は手をつないでなら立って上り下りが何とか可能。
長女も昔、ひとりでは夜照明の消えてる奥の部屋に行けず「おとうさん、探検いこう」と誘ってたなあ。似たのねえ。昔父娘は『かいじゅうべんとう(懐中電灯)』手に楽しそうに暗闇探検してました。付き合う夫は偉いと思ってた。
今朝孫も眠そうだったが、俺もなんだか頭の中身が白んだような寝不足気味で出社。単なる寝不足気味で不調ではないと受電業務を始めたら、恐ろしいスカスカ脳が判明。二回も自分の受電内容の録音を聞き直し先様のお名前を拾い上げ確認した。しゃべりも切れ切れ訥々。斜め前にいた男性課員さんが訝しげな顔だったほど。こいつほんとに日本語ネイティヴ?午前中はそんなであっと言う間に雪崩に教官の主任さんごと巻き込んで遭難しかける有り様。それにしても脳と口が廻らな過ぎだ。
午後やや持ち直し初心者マークバレバレノロノロ運転ながら自立する自分をイメージ‥ああ遠いけど、急ぐべきなのは理解。
まさかもしや、と体調の変拍子に思い至れば夕方かすかだった出血が夕飯とサッカー試合(老夫婦の結婚三十年の記念日はこれでおしまい)の後うたた寝から覚め本格的に。
身体は壊れかけに様々な音色の雑音・症状をみせながら刻々かわる。こちらも全く「来てよしとし、なくてもよし」だ。多分本日自覚が薄い頭痛だったのです。
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2154号悪魔が来たりて

2016-06-06 18:42:53 | Weblog
深夜ゼロ時台に拙宅に着く孫一家。迎えうつ俺達じったんばったん夫婦は明日二人とも出勤。これを悪魔と呼ばずして何といふか。
21時に「これから出発、そちらに向かう」旨の電話。見込2時間半。長女一家は最近道の駅スタンプラリーにはまり、ひとつ寄ってから来やがんの。更に遅い。
先に寝て夫ひとりに任せるのもナンだから、ドロドロ韓ドラ時代劇の後は宮部みゆきを詠みながら一番搾りの缶のんでしまった。これが良くなかった。夕食時も梅酒ソーダをのんでたから酒が過ぎました。睡眠不足気味に薄宿酔がかかってしまった。
朝どうにかシャワーして職場についても与太郎で電話もとれず(動作反射が遅い)、漢字が書けない。やばい。
夫と出発する頃孫と長女は起きてた。朝食はあるものを適当に食べろと夫が指示。彼等はまた日本海寄りの道の駅に行き帰るそうです。
何もしてやれず、購読紙について来たクーポンや先日ゲットした商品券の一部を『お福分け』と称して渡した。実は来週次女も拙宅に寄ってくれるというので用意してある。現金の方が佳いのはわかっているんだけどまあ半分縁起物ってことで。
今週は水土日と休めるが、明日はまたフリーダイヤルの研修 実践でボロボロだろうなあ‥まあ引き受けた事で仕方ない。若い人の宵っ張りや朝寝と我々はズレがあります。今夜は早く寝よう、酒はほどほどに。
悪魔を最も恐れる猫達も昨夜は驚いて代わる代わる観に来たそうです。それを喜ぶ悪魔更に寝ない。こちらは寝室にひきあげたが、孫一家の部屋は札幌到着でテンションがあがりにぎやかに会話が続いてた。階上でそれを聴きながら眠ってしまった。
朝は孫にバナナひと口取られたわ。孫は二歳未満、語彙はまだ片手ほど。
パパ・ママ(時々適当)・にゃにゃ・ブーブー‥えーっと機関車トーマスとか鉄関係は何か自動車と区別してた。こわいなあ。
アカシアが咲き始めました。今緑はあふれんばかりです。
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2153号続 無くした鍵

2016-06-05 21:58:24 | Weblog
実は一度、鍵無しで自宅玄関に立ちつくす鍵っ子は声をかけられました。「鍵なくて家に入れないのかい」自宅の裏に住んでた父方の遠縁の伯父‥さん?確か父とはそのまた母方(俺からは祖母の姉妹)の血がつながっているいとこ。
この伯父の家庭は複雑で、実は伯父の職業もよくわからない。なぜ裏に家を建て住んでたかも不明。もしかしたら、建築業かもしれない。土台から水糸を張ってた姿を見た気がする。
奥さんと長男次男長女の五人家族だが、長男は前夫の連れ子。兄弟仲は今ひとつ。幼い女の子とは遊んだことがある。
しかし玄関前の俺に声をかけて来た時は、他に誰もいなくなっていました。この伯父は離婚し、子ども達は皆お母さんが連れて出た。それとアルコール依存症で入退院を繰り返していたのと前後しているかも知れない。
そこの次男は遊びといえば雀を捕ろうとパチンコで狙ったり米を撒いて罠をかけたりしていたのしか思い出せない。
ただこの次男が、母親の新しい再婚相手について「酒(小売り販売)の免許があるから暮らせる」と言っていた。
そんな伯父が、うちにで待てばよいと言う。断れない。仕方なくがらんとした居間に通された。
前述のごとく、俺は他家に預けられていた厄介者経験が多く茶菓の出る身分ではない。よそのお宅で術もなく黙ってすわった。
以前夏休み中、赤ん坊だった弟をお産婆さんのお宅の結婚目前の娘さんが預かってくれた。俺もそのついでに預けられた。朝食昼食をお産婆さん夫婦と娘さんと一緒に食べました。
ある朝そこの旦那さんが「味噌汁も食べなさい」と俺に声をかけた。つい、いいえと返事すると「何でも食べなければいけない」と大きい声で叱責。そこに娘さんが割って入り「あたしが預かっているんだからいいでしょう」と父娘喧嘩へ。お産婆さんが「やめなさい、子ども達がびっくりしてるでしょう」ととめて下さった。それから俺は他家ではなるべく黙り出されたものは食べます、六歳から。
伯父はなぜかごく薄い学術パンフレットを出してきました。産まれたばかりの小猿が、金網の円筒形にしたものには頼らずけばだった母猿の肌に近いものに抱きつき哺乳瓶の乳を飲む写真。またみせられたのは似たような冊子の欧米人のファミリーヌード。勉強になるかい、と言う伯父の心真意は図りかねた。
家に戻っても両親には話せず、記憶にだけ戻りました。数十年後娘二人を得て、中学生小学生の姉妹を置いて週数日働き始めた時、散々悩んだ末「鍵はめいめい紐をつけ持つ。玄関に客や配達が来てインターフォンが鳴っても出ないこと。電話は、お父さんお母さんからの事もあるから出て。」と教えた。その時電話の取り方も教えた。
お父さんお母さんではなく「父・母は今おりません」と言い、勧誘ではない電話なら相手の名前を必ず聞いてメモすること。幼いものだけと思われまいとしました。変ですよね。
でも拙宅のそばにも標識を的に気晴らしに玩具の銃を撃つ大きな男の子がいました。おかしいでしょうか、下着を戸外に干すことも怖れました。
俺は昔の自分も自分の子もよその子も、酷い目に遭ってほしくない。
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2152号なくした鍵

2016-06-05 01:01:47 | Weblog
車や家の鍵の閉じ込みを皆さん経験しますか?俺は車が一度ある。家はどうだったかなー。鍵っ子時代に、親が鍵をいつもの場所に置き忘れたことはあった。もう時効だし今はそんなお宅も無いでしょうね、乳飲料の受取箱でした。誰でもそう意識すれば開けられる。のぞき込めば鍵が見えるんじゃなかったかな?現在では有り得ない。のどかな田舎でしたなぁ。
学校から帰って、玄関そばの外壁についてるプラスチックの箱を開いても鍵が無い。ガーン!!仕方なくランドセルは下ろして足元に置き、玄関そばに親が戻るまでずっと立ってた。気が利く子なら近所の友達や知人親戚の家に行くのでは、と今は思う。
そうしなかったのは、親が不在の間に友人を連れて来るのを嫌っていたから。いくら小学生でも『こちらに来るのはダメだがそちらには遊びに行きたい』では社交が成立しない。そしてそれまで散々いろんなところに朝や日中[母の農業バイト中。農作業は早朝から始まる]預けられていた。もちろん親が頼み込んでの上のことだが、特に朝はそのお宅の朝食時間でもありあちらも渋々です。
保育所はまだ狭いながら気楽。しかしそこだって朝早いにも限度がある。多分今のような田植の頃、母の自転車の後ろにのって小学校まで行った事があります。多分始業より1時間ほど早かった。涼しく明るい無人の教室を楽しんだのを覚えてます。
そんな風にぽつねんと立ちつくしている子どもは、いま考えるとちょっと恥ずかしい。他人の子なら可哀相にと観るかも知れない。
‥つくづく、自衛隊施設の鍵が開いててよかったとニュースに思わされました。
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2151号若紫濃紫

2016-06-03 20:44:01 | Weblog
日本舞踊の赤い笠の藤娘は優美。幸田文作「きもの」で母を失った若い娘に祖母が用意した喪服が紫紋服でした。
濃さ薄さ様々、落語「品川心中」ではヒロインの年頃を『コウ、鴇色よりも紫の手柄(髷の結び目などに飾りに巻く柄布)がぴたあっと決まってくるようになると‥〈三遊亭小遊三師匠〉』と表現します。つまりはもう若い可愛いだけの小娘とは違う、やや落ち着いた年増。
柔らかい紫は、生地柄色目で幅広く女性の役に立ってました。昭和の高度成長期のあたりから、日本の若い女の子が濃い紫を着ること稀になったのでは?その頃子どもだった自分の式服は赤紫色の肩ひも付き襞スカートと上着。少し野暮ったい牡丹色。
今はアウトドアウェアなどでまた原色や紫橙のハードルが低くなりました。でもなかなか通勤車内なんかでは見ませんね、濃紫。紫に咲く野草は数多あれども。
今も名門五摂家本は藤原氏。中臣氏から藤原氏になる頃、奈良は藤夥しく生い茂っていたのだろうか。地名と氏の名はどちらが先か後かないまぜに時移り変わります。茨城・荻生・竹田・松島。
紫も古来植物染料、関東の紫染色は江戸期たいへん盛んで『悔しけりゃ紫染めてみな』と上方の友禅などに負けないという意地がありました。時代劇というより、志村けんのバカ殿のまわりには紫の矢羽根模様を着た腰元が出てきます。
薄紫の縮緬などが似合う上品色白の老女になってみたい。んーでも顔や体はいかにも濃いめでアンバランスの貧民だしねえ。ふと気づくと、うっかりまた牡丹色桃色などに手をのばしてしまう、危ない。
結婚した時に夫の父方の伯母様は紫紋服で祝って下さいました。その時俺の親が俺の喪服と色留袖をつくった。持たされたがどちらも出番が無くじき結婚三十年。太ったから喪服も着られるか怪しい。
色留袖も四十目前に初めて開けてみたらなんか若すぎる色でした。強いていえば淡い紅っていうか‥。ちょっと驚いて思わず老母にどーしたのあの色、と尋ねると彼女泣き崩れそうになってた。俺が23歳の時に結婚し弟もいずれすぐ結婚するかと思って(遠からず弟の結婚式に俺が出るとイメージして)好きな色でつくったそうです。うーんあれは一体誰が着られるのか‥。紫系だったらまだなあ‥としみじみする藤の花の頃。残念ながらお天気はリラ冷えから藤冷え。六月にストーブのタイマーを使い朝の寒さに耐えています。
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