新聞で、流ろう人剣心の映画を絶賛している解説記事を見て、絶望的な気持ちになった。
極めつけは、剣心が右手に抜き身の刀を構えたまま全力疾走しているシーン。日本刀は、重さが三キロ以上あるのだ。それなのに、抜き身の刀を握って、左右の腕を同じように大きく振って走っているではないか。本物の時代劇役者なら、刀を握った方の腕は振らずに走るし、まして全力疾走など出来ないから、しない。その昔三船敏郎が日本刀を重そうに振っている写実的なシーンを思い出した。
新聞では、剣による格闘シーンに新しい世界を開いたとあるが、とんでもない。本当に、出鱈目の極致なのだ。
真剣を握ったら、決してこれを振り回すことはない。重量があるので、思い切り振り切ってしまったら、体制が崩れてしまうからだ。それでは相手に切られてしまうではないか。刀は必ず途中で止めなければならないのは、自明の理だ。
アクションシーンが派手なのは構わない。しかし、これはあくまで空想の世界のお話で、殺陣の演技に新境地を開いたなどと評価するのは、無知の極みだ。
前作は香港のカンフー映画の監督が演技指導をした。今回もその流れであることは間違いない。
「流ろう人剣心」は、SF映画だ。そのつもりで見てもらいたい。
極めつけは、剣心が右手に抜き身の刀を構えたまま全力疾走しているシーン。日本刀は、重さが三キロ以上あるのだ。それなのに、抜き身の刀を握って、左右の腕を同じように大きく振って走っているではないか。本物の時代劇役者なら、刀を握った方の腕は振らずに走るし、まして全力疾走など出来ないから、しない。その昔三船敏郎が日本刀を重そうに振っている写実的なシーンを思い出した。
新聞では、剣による格闘シーンに新しい世界を開いたとあるが、とんでもない。本当に、出鱈目の極致なのだ。
真剣を握ったら、決してこれを振り回すことはない。重量があるので、思い切り振り切ってしまったら、体制が崩れてしまうからだ。それでは相手に切られてしまうではないか。刀は必ず途中で止めなければならないのは、自明の理だ。
アクションシーンが派手なのは構わない。しかし、これはあくまで空想の世界のお話で、殺陣の演技に新境地を開いたなどと評価するのは、無知の極みだ。
前作は香港のカンフー映画の監督が演技指導をした。今回もその流れであることは間違いない。
「流ろう人剣心」は、SF映画だ。そのつもりで見てもらいたい。