人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

ホセ・クーラ インタビュー ”私はセックス・シンボルとして売られ、そして生き残った"

2020-10-05 | 芸術・人生・社会について②

 

 

 

ホセ・クーラの、2020/21シーズンのスタート、この秋の最初の公演は、実は10月1日のハンガリーでのコンサートの予定でした。しかしコロナ禍のために渡航制限を受け、残念なことに出演キャンセルになってしまいました。今後の予定はまだ公式カレンダーには発表されていませんが、クーラはFBを時々更新して、近況を報告したり、興味深い話を紹介したりして、共に希望を持っていこうとフォロワーを励まし続けています。

ということで、今シーズン初のクーラの公演が紹介できなくなったのは残念ですが、これまでの長いキャリアのなかから、紹介したい材料、エピソードはまだたくさんあります。今回は、2007年と2004年のインタビューから抜粋してみました。

90年代半ば以降、大ブレークして世界的に有名になった時期に、クーラが体験した困難な事態と、それを乗り越えてきた経過について語った部分を紹介したいと思います。

以前にも、近い内容を語ったインタビューを紹介したことがありますので、そちらもお読みいただけるとなおうれしいです。

 → 「ホセ・クーラ スターダム、人生と芸術の探求

 

 

 


 

 

 

≪ 2007年アルゼンチンでのインタビューより ≫

 

 

Q、現在、自分の役をどのように選択している?

A、泥沼にはまることはないと知っている役を選ぶ。歌手には「オフロード」車は存在しない。それらが都市を走り回れば、至る所で衝突するからだ。そして、その選択は、自分自身の国際サーキットなどに関する経験と知識があってこそ可能になる。役の好みに直接関連する選択肢はないが、それによって何か新しいことを言える可能性はある。不可欠なのは劇的な関心をもっていること。そうでなければ私は興味がない。

 

Q、単なるボーカル・ショーはない...?

A、それはない。技術的な力量を身に着けても、かつても現在も、ステージに行って美しい音を歌うことには全く興味がなかった。美しさは、その美しさのために私を退屈させる。

 

Q、21世紀の人々もそれを要求しているのでは?

A、常にではない。美しさそれ自身は常に魅力的だが、それが退屈になることは確かだ。そして、それはすべての状態に適用される。窓辺に立っている非常に美しい女性や男性も、2度目に通り過ぎるときには興味が失なわれる。美しさは一次元だ。醜さも同様。

たとえば、今日、新しい声がないと主張する多くの人がいるが、それは真実ではない。生まれていないのはカリスマ的な人々だ。顕著なグローバリゼーションが、国境を越え、個性を溶かし、押しつぶしていると私は考える。すべてが統一され、同化され、同じになる傾向がある。商品化のマーケティングは同じように進み、ディスクのカバーは互いに似ていて、音楽さえ同じように聞こえ始める。

 

Q、しかし、今日では以前は利用できなかった多くの技術リソースがあるが?

A、確かに、技術力は大幅に向上している。今日、利用できる手段はあらゆる点でめざましい。しかしそれらは、個性や、カリスマ性を通して伝達する能力を犠牲にして発達してきたようだ。

以前は、レコードを買いに行き、売り手がアドバイスし、音楽について話し合っていた。今日では、陳列棚に置かれたCDやDVDは、レコード会社が、大規模なショッピングモールやセールスチェーンに支払って、売り場の特権的な場所を占めるようにしている。もちろん、これは違法ではない。レコードを買うように、場所を買っている。しかし、それは、例えば、自分が最高だと信じた録音を目立つ場所に配置していた、かつての音楽の販売者の能力を阻害する。

 

Q、あなたもマーケットを通り抜けてきた?

A、もちろん。私と私の世代の他の数人のアーティストは、まだ立っていて、全てを生き延び、すでに良いことも悪いことも超えている。私たちはすでに私たちであり、充実したスケジュールがあるが、残念ながら、私たちの後の人たちは、良い時間を過ごしているとはいえない。火のラインを越えるものはほとんどいない。スーパーマーケットで売られるソーセージのパッケージのように、いくつか販売され、もはや3番目のパッケージがいらなくなったら廃棄される。

 

Q、あなたの場合は?

A、私はこれの先駆けだった。国際的なキャリアを始めたとき、私に適用されたマーケティングは、声だけではなく私のイメージも使用した最初の大規模な市場操作の1つだった。オペラの「セックス・シンボル」などの言葉や、人々の気を引くためのナンセンスなものだった。

 

Q、しかし、それはあなたを破壊しなかった?

A、そう。しかしそれは、私を苛立たせる多くの混乱を引き起こした。

12歳の時に初めてステージに上がったにも関わらず、「一夜にして」現れた「新しい才能」のように語られた。彼らは、「勝利をめざす作戦」や「夢を実現する歌」で勝ったかのように私を売り込もうとした。

幸いなことに、私自身の経歴、それまでの準備があったことで、その酷い打撃に抵抗することができた。そして今、私はこれらすべてを超えて、自分のキャリアをリードし続けていくとともに、若い人たちをけん引するためにロープを引いていきたいと考えている。しかし、残念ながら、ロープを引っ張ろうとするたびに、ロープが壊れてしまう。これは、若い人たちが受けているプレッシャーが私たちの時よりもさらに強く、また技術的な準備が少ないためだ。

 

Q、若い人たちは、すぐにスターになりたがっている?

A、ノー、そうではない。彼らと話すと、彼らがその先の仕事と克服すべき困難を非常にしっかり認識していることがわかる。必要な技術的準備なしで、新しい収入源を見つけるためにすぐにそれらを立ち上げたいのは、商業主義のシステムだ。

 

(「ambito.com」 2007年7月3日)

 

 

 

 

 

 

≪ 2004年のインタビューより ≫

 

 

Q、才能を失う危険にさらされたことは?

A、1、2回だが、とても大変な体験をした。

私の母も言っていたが、私は子どもの頃からタフだった。多くのことを経験したが、しかし自分にとって必要な人を知る知性は持っていた。鉢植えの小さな木のそばに棒を立てて支えてやるようなものだ。そういう棒を見つけることは、しばしば才能を伸ばす秘訣でもある。成功は、こうした「棒」によって周りに形成される「生け垣」の品質にも依存する。この「生け垣」は、保護するために十分な強さをもつだけでなく、太陽と空気を入れるのに十分なほど開いている必要がある。これがあるなら、先に進んでいける。

私は最近になって、40代で、これを見つけることができた。私がキャリアを始めたとき、このようではなかった。私が会社によって売り出された方法を覚えているだろうか? 「セックスシンボル」、「エロティックなテナー」、「4番目のテナー」、「21世紀のテナー」……このような安っぽいスローガンやその他の同様のばかげた言葉によって、私は大きな危険にさらされていた。

突然ある日、私は目を覚まし、それらすべての関係を断ち切ることにした。そして私は、他人の運転免許証ではなく、自分の運転免許証で自分の人生を運転するために、自分の会社を設立した。しかし、突然、すべてから切り離されてしまったため、私は悪夢の3年間を生き抜いた…。

 

Q、最終的に何が起こった?

A、過去2年間(2004年時点)で、すべてが良くなり始めた。しかし1999年から2002年までの間、誰もが、もし私が1人で続けようとするなら、切り捨てられるということを、あらゆる方法で私に明らかにしようとした。その結果、もう雑誌の表紙に登場することはなくなり、インタビューは1つか2つしかなく、批評家は私の出演した公演を意図的に叩き、私は「堕ちたスター」などと呼ばれていた。

風と逆境と戦って3年間生きたが、ようやく戻ってきた。雑誌も私のことを書き、表紙にもなった。私が立ち上げたレーベルはすでに3つのプロダクションを制作し、かなりの売り上げを上げた。流通ネットワークや広告のないレーベルとしては素晴らしい成果だ。……

(その他、歌手として、またオーケストラの指揮者、音楽監督、音楽祭やフェスティバルへの参加など、多くのオファーを受けていることを説明)

 

Q、これらすべての障害に直面しなければならなかったとき、どのように感じた?

A、彼らが何度も私の足を切ろうとしてきたにもかかわらず、私は地面に深く根ざしているように感じている。

そしてもっといえば、私は決して妥協しない。決して、自分のことを書いてもらうためにジャーナリストや新聞を買収したり、雇ってもらうためにわいろを握らせたりしない。私は妻と家族と一緒にいて満足している。私は普通の人間だ。

私のようなケースでは、嘘をつくりだす必要があるが、格言が ”lies have short feet’(「嘘は脚が短い」=「嘘はすぐばれる」)と言うように、遅かれ早かれ明らかにされるだろう。それで彼らは、私が「傲慢なやつ」だと言い始めた。

しかし私は傲慢な人間ではない。私はたくさん苦しみ、苦労し、抵抗し、嵐の中を山の頂上にたどり着くことができた人間だ。そして私はそのすべてを誇りに思っている。もし、25年間の懸命な努力の末に、人生で成し遂げたすべてのことを誇りに思うことが傲慢であるというのなら、私は傲慢だ。しかしそれは正しくないし公平でもないと思う。

 

(「TO VIMA」 2004年7月)

 

 

 


 

 

今年2020年の12月5日の誕生日で58歳となるクーラ。90年代の後半に大ブレークした後、自らの意志で、エージェントから独立し、大手レコードレーベルと契約もしないで、自分のプロダクションをつくり、自前のレーベルを立ち上げで、独立独歩で歩み続けてきました。そのために様々な困難や攻撃にさらされた経験をこのインタビューでは、かなりリアルに語っています。クーラは、巨大な音楽産業、商業主義が支配する業界のなかで、自分らしく生きることを求め、自分の音楽の道を貫いて生き残ってきた、あまり他に例を見ないユニークな存在であると思います。

もちろんクーラはすでに、ここで語られた過去を乗り越えてその後の20年近く、オペラや歌のみならず、指揮、作曲、演出・舞台デザインなど、多面的な活動を広げ、成熟したアーティストとして、独自の道を歩んできました。あえてこうした過去のエピソードを繰り返し紹介するのは、現在でも、商業主義、様々なプレッシャーのもと、多くの若い才能が燃え尽き、本来、長期間にわたるアーティストへの成長の過程を歩みとおすことができなくなるケースが少なくないこと、それに対してクーラ自身も大きな危惧と懸念をもっていて、様々な場面で警告しているからです。

今回のインタビューでは、「美しい歌唱」についてのクーラの独特の考え方も紹介されていました。美しく歌うことには全く興味がない、退屈だと言い切るクーラ。これについては、賛否両論があることと思いますが、オペラや音楽のドラマに常に焦点をあて、キャラクターやドラマのリアルな真実を描き出すことに執念をもやすクーラらしい言い方だとも思いました。

 

 

 

 


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