人と、オペラと、芸術と ~ ホセ・クーラ情報を中心に by Ree2014

テノール・指揮者・作曲家・演出家として活動を広げるホセ・クーラの情報を収集中

(リハーサル編) ホセ・クーラ 自作オラトリオ「この人を見よ」を世界初演 / José Cura "Ecce homo" world premiere

2017-03-13 | プラハ交響楽団と指揮・作曲・歌 ~2017



2015年秋からはじまった、ホセ・クーラのプラハ交響楽団のレジデントアーティストとしての活動も、2年目の2016/17シーズン最後のコンサートとなりました。
今回は、クーラ自身が作曲したオラトリオ「ECCE HOMO」(「この人を見よ」)の世界初演が目玉。そのほかに、クーラが指揮して、サティやレスピーギの曲が演奏されました。

3月8、9日が本番でしたが、実はクーラは、3月1日まで、モナコのモンテカルロ歌劇場で、ワーグナーのタンホイザーのパリ版仏語上演の復活という、歴史的な意味の大きい、しかもクーラ自身がはじめてのワーグナー挑戦という、たいへん心身ともに負担が大きかっただろうと思われる舞台に出演していました。

その最終日、深夜までの公演の2日後には、もうすでに、プラハでリハーサルを開始しています。クーラのタフさに驚きますが、それとともに、やはり、やりたいこと、自分の芸術的な信念にもとづく活動をやっているからこその充実ぶり、喜びを感じているからこそだと思います、

ということで、今回は、このリハーサルの様子や、クーラが作品を解説しているFBの記事、動画などを紹介したいと思います。




JOSÉ CURA – ECCE HOMO
Smetana Hall, Municipal House

8.3.2017 19:30
9.3.2017 19:30
ERIK SATIE Gymnopédie (orch. Claude Debussy)
OTTORINO RESPIGHI Church Windows
JOSÉ CURA Ecce homo, oratorio (world premiere)
José CURA = tenor
Lucie SILKENOVÁ = soprano, Sylva ČMUGROVÁ = alto
Aleš VORÁČEK = tenor, Jaromír NOSEK = bass

PRAŽSKÝ FILHARMONICKÝ SBOR / PRAGUE PHILHARMONIC CHOIR , JAROSLAV BRYCH = choirmaster
KRÁLOVÉHRADECKÝ DĚTSKÝ SBOR JITRO / CZECH CHILDREN'S CHOIR JITRO , Jiří SKOPAL = choirmaster

SYMFONICKÝ ORCHESTR HL. M. PRAHY FOK / PRAGUE SYMPHONY ORCHESTRA
José CURA = conductor
Mario DE ROSE = conductor





これまでも何回かの投稿で紹介してきましたが、クーラはもともと作曲家・指揮者希望で、大学でも作曲と指揮を専攻し、作曲もしてきました。
  → 「ホセ・クーラ 音楽への道」

そして、近年になって、マニフィカト(2014年4月初演)スターバト・マーテル(2014年10月初演)、またクーラがノーベル賞詩人のパブロ・ネルーダの詩に曲をつけた音楽劇「もし私が死んだら」が、プラハ交響楽団でピエタリ・インキネンの指揮によって世界初演される(2015年10月)など、ようやくクーラの作曲家としての側面に光があたり、作品が発掘、演奏されはじめています。

まずは、今回のコンサートの前に、クーラ自身が作曲について、作品について語った動画を。
ヒアリングの能力がなくて全部意味を聞きとることはできませんが、作曲家として、頭や心のなかで曲を想像していると、その曲をはじめて実際に聞いた時には、ショック、よい意味での(時には悪いことも)ショックを受けるということや、マーラーのように、繰り返し繰り返し、曲の修正をしたくなることなど、語っているようです。

José Cura about Ecce homo


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子ども合唱団とリハーサル中のクーラ。ピアノで音をとりながら、スペイン語の歌詞を解説する。
 ↓ 画像をクリックすると、クーラのFBにアップされた短い動画にとびます。



クーラがFBに掲載した解説。画像をクリックするとFBの元ページにとびます。




*以下、大まかに訳してみましたが、キリスト教の知識がないため、たいへん不十分です。ぜひクーラのFBをごらんください。

――クーラのFBより、ECCE HOMOについて

●1989年に作曲して以降、しまい込まれていた

この作品を、1989年に、ブエノスアイレス出身のテノールの同僚のために書いた。
作品は、彼と私によって公開されることはなかった。若い、夢見る2人には、その実現に必要な要素を集めることはできず、プロジェクトを現実に変える力はなかった。

それから何年も経ち、私の芸術的キャリアはさまざまな方向に向かった。
Ecce Homoは、他の多くの作品と同じように、引き出しの後ろにしまい込まれたままだった。





●30年を経て、作品は成熟した

2016年に、私はそれを再発見し、喜びと誇りをもって、それを実現することができた。
それまでのすべての年月は、単にホコリを集めるために費やしたのではない。作品は成熟した。良いワインと同じように。

間違いなく、過去30年間、私が、人間としてアーティストとして、成熟するためにやらなければならなかったことが、1989年には考えられなかった裁量権を得て、このオラトリオを改訂することを可能にした。





●聖書のキリストの受難にもとづいて

ECCE HOMO(エッケ・ホモ、ラテン語で「この人を見よ」)は、オリジナルではない。イエス・キリストの生涯の最後の瞬間にもとづいた多くの作品がある。そのなかには、伝説的で、到達不能なものもある。
しかし、それ(クーラ作曲)は、聖書の特定の部分の使い方において、オリジナルである。たとえば、「詩篇」のような、あるいはスターバト・マーテル。
そして、最初の詩の中には、かつて1982年に自分自身で書いた部分があった。
それらは、"Christ’s Passion"(キリストの受難)の「演劇的な」行動と結びついている。





●宗教的な内省を構成

Ecce Homoの音楽的、劇的な構成は、大衆の宗教的な内省を組み合わせたもの。
彼らの異教徒の不遜、地上において有形であり、彼の神性に対応して神秘的な深さとの間にあるキリストの介入、そして彼の絶望の本能的な性質は、彼の人間的な状態により類似している。

この意味で、特に私にとって感動的な瞬間は、私たちが破滅的な誠実さを目の当たりにする、これら3つ――詩編6“Father, where art thou? Save me!”、ゴルゴタでの彼の絶望的な叫び “O Lord, why hast thou forsaken me?”、息子の死を見た聖母マリアの“Tell me, is there a greater pain than this?”。





●勝利者のレトリックを避ける

復活の音楽を表現するために、私は、偉大な"Hosanna"(「ホサナ」、ヘブライ語で「救い給え」)を描くことで勝利者のレトリックに陥ることを避けた。

むしろ私は、"Easter of Easters"を反映させることにした。カトリック信仰の基盤、"Quando corpus morietur"という詩の暗闇の微妙で予想外の変化から、"Paradisi Gloria"という言葉の明るく感動的なハーモニーへ。それらは、アーメンの前、作品の終わりに、子どもたちの合唱団によって歌われる。





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キリスト教の素養のない私のようなものには、この解説を読んでも、イメージが難しいというのが率直なところです。
アルゼンチンに育ったクーラは、自然に、カトリックの宗教的な世界観を身につけて育ってきたのでしょう。作曲作品も、マニフィカトなど、聖書にもとづくものが少なくないようです。

同時にクーラは、マニフィカトの初演の際に語っていましたが、例えば聖母マリアの苦しみや喜び、不安を、現代に生きる人々とかさね合わせて解釈するなど、聖書の言葉や場面を素材としながら、今日の社会と人間性と結びつけて、自らの思いを曲に込めているようです。
次回は、コンサートの様子などを紹介したいと思います。





子ども合唱団とクーラ、指揮者のマリオ・デ・ローズ




*画像は、プラハ交響楽団のFB,合唱団のFBなどからお借りしました。
コメント (2)
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