本日、11月21日。ようやく、か・・・・・。
9月中~下旬に予定されていた、この夫婦の、外部・業界、芸能マスコミと、ワイドショーに向けての「合同お別れ会」が、今日の午後、開催されるとのこと。
多額の借金、別居・・・・・・。
しかし、芸能マスコミが、勝手に創りあげた、「おしどり夫婦」の好イメージに添うカタチで、双方、娘も巻き込んで、「演じ続けてきた」2人。
ソレも、今日で、幕を閉じることになる。
事実だけでも、知りたいという方。 まあ、ご一読ください
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< 2018・5・20 掲載記事 >
そうかあ。。。。。。
亡くなっていたのか、自称、かつて巨乳の「ボインちゃん」(写真中央)は。
「夫」であり、マキノ監督一族の一員でもある津川雅彦(写真右側)が、自らの「加藤家」の菩提寺が有る、京都に、この5月17日に納骨。
それを済ませた後、一息ついた、この5月19日に、妻の他界を公表した。
死去の日付けは、4月27日。死因は、またも詳細を覆い隠す意味合いを含めた、「心不全」とした。
有名芸能人一家でありながら、ひっそりと身内だけが寄り添っての「家族葬」で済ませていた。
そうかあ・・・・と。
そこに至る経緯と事実を、すぐさま知りたかったのであろう。
かつて記事化した、妻・角替和枝が、泉ピン子似で番組出演という取っ掛かりから、あの柄本明の、意外と想われる浮気症のエピソードへと展開した記事が、捜されていた。
そして、その柄本が、テレビのトーク番組で、真偽は?だが、
その妻と、毎朝の如く、自宅近くの喫茶店に行き、数時間、話し込むと話した。
もう、今から3年7か月前のこと。
「時には、6時間ぐらいになることも、ありますよ」と、柄本。業界では、親しみを込めて、「えもっちゃん」と呼ばれている彼。
その言葉を聴いて、驚いたのが、上記、津川雅彦。
「よく、そんなに、しゃべることあるねえ、えもっちゃん! 俺なんか、1秒だって持たないよ」
ん? ケンカ? 不仲?
その流れで、実は、妻とは「別居」してること。どこか、家庭内完全別居の可能性のニュアンスも、微妙に残しつつ、ともかく日々、まったく妻とは、すでに顔も合わせていない、話してもいないことが判明。
ケンカや、仲の悪さ以前に、その時点で、すでに話し相手にもならない、妻の重度の痴呆症、病名的には「アルツハイマー型認知症」、ボケの具合が進んでいることを、分からせた。
調べもした。
会話が成立せず、「1秒も、持たない」というのは、そのようなことも兼ねての発言。
顔を合わせても、いらだつ、津川。
なので、家を出て暮らしていたのか。
はたまた、玄関こそ同じだが、妻の顔も見ることなく、家庭内別居で、過ごしていたのか、介護施設に出した・・・のであろうか。
さらに、妻の、うつの症状の具合も、日々、重くなっていっていたとも、人づてに、聞いた。
入退院の繰り返しも聞いた。
我々が知る、上記写真の顔とは、ここ近年は、ずいぶん、変わっていたとも聞いた。
自宅では、家政婦がおり、炊事、洗濯、そして食事の世話も、すべてしてくれていたため、さほどの不自由さは無し。
といって、晩年離婚、老齢離婚までは、する気は無し。
芸能の個人事務所も「グランパパ」という名称で同じ。
財産分与となれば、難しいことになる。
さらに、津川の心の中には、妻への「負い目」と、「感謝」があった。
先の、プロダクションの名前にもしている、「グランパパ」という、かつて、一念発起して起業した高級「おもちゃ屋」。
本人も、夢を抱いて、店をオーブン。
だが、言ってはわるいが、「武家の商法」に近く、数年後。
青山にあった本店を訪ねたところ、すでに開店休業状態。
商品のおもちゃは、奥に少し見えたが、すでに従業員は皆無。
経営危機から、約6億円もの借金額が膨らみ、稼いだギャラでは間に合わず、ついに、朝丘雪路に提案し、納得のもと、名義は妻にしていた、当時住んでいた豪邸を売却。
その穴埋めに充てた。
「それでさあ。。。。。アタマが上がらないんだよねえ」
---家には、戻ったの?
「・・・・うん」
「別れずに、死ぬまで面倒を看よう。どんなことがあっても、添い遂げようと想い直したんだよ」と、親しい役者仲間や、トーク番組でも、正直に話していた。
「同じ墓に入れよう。同じ墓に入ろう、とさ。そう、決めたんだ」
ちなみに、「グランパパ」。
名称だけは残し、「商標権」も無かったため、10年ほど前に、別人に引き継ぐカタチで、下町の墨田区緑に、今度は、ぬいぐるみや、木製のおもちゃに限定し、3店舗での販売と、通信販売のみにして営業している。
「名誉顧問」というカタチで、津川雅彦という名前だけは残してあるが、何ら、実権はない。
今の代表者男女2名は、当時の社員ではない。
津川は、現在の社員によれば、「時折り、お店や会社にいらして、御意見や、感想を話して戴いている関係」と、説明。
だが、むろん、経営に関わってはいない。名誉顧問としての、給与は無い。
ただ、津川の、抱いていた「理念」を継続していきたいとのことだという。
明確な答えは、いただけなかったが、うっすらとは、分かったような、分からないままの様な・・・・・。
本日、20日。
取材陣の求めに応じて、その津川雅彦は、テレビ朝日の局舎内で夕方前、急きょ、囲み記者会見をした。
なんと、津川は、車イスに乗せられてやってきたのには、驚いた。
すでに78歳と高齢とはいえ、5年ほど前までは、まだまだ俺はもてるんだぞ、と豪語し、明石家さんまなどにセッテイングしてもらい、「お持ち帰り」は無理にしても、若い女の子を前に「合コン」に積極的に参加。
心も体も、下半身も、から元気だ、と想っていたから。
ところが、現実は厳しい。
鼻の穴には、細いチューブが、このようにつながれ、そのコードの先には、酸素吸入器が目に入った。
うわああ・・・・。
最初こそ、立っていたものの、、のちにはイスを引き寄せ、座って話し始めた。
「肺炎になっているんだよ。もう、何年も前からだよ」とのこと。
会見と言う、公的の場になると、妻の詳しい病状は、あまり語らず。言葉、少な。
ましてや、一時期にせよ、見捨てるかのように別居状態になっていたことについては、自分から語らず。
というのも、芸能マスコミがイメージして、創りあげたのは、ここでもまた「おしどり夫婦」であったから。
「妻の詳しい病状については、ごかんべんを・・・」
そう告げつつも、それでも、妻が認知症になったのは、「4~5年前から」と。
ということは、2年ほどは、同じ屋根の下の家庭内にせよ、外に部屋を借りてたにせよ、施設に預け、別居し、辛くて、顔も見ないで済ませたかった時期があったということだ。
しかし、施設先では、もう面倒見切れないと突き放されて、戻ってきたものの・・・・。
見掛けるたびに、言葉を投げかけるたびに、どんどん、日に日に、痴ほう症は進み、重度になっていっていた。
今年に入ってからは、さらに激しさを増した。
「(相手が)俺と分かってて、しゃべっていたのか、どうかなあ?・・・・・」
「最後の頃には、俺の顔見て・・・あら?って・・・・・」
確かな最終死因は、心不全ではなく、「アルツハイマー型認知症ですよ」と。
死亡診断書にも、そう書き込まれていたのを見たとのこと。
「妻には、感謝、感謝です」と、夫としても、美しく演じる俳優としても、何度も強調した。
朝丘雪路、82歳で、この世に別れを告げたが、津川雅彦、まだまだ78歳。
例え、ミエミエの、から元気でも良い。
「合コンしてきたよ」などと、色欲をクチにし、いつまでも、元気でいて欲しい・・・・
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《 2018・5・21 追記 》
昨夕の、津川の囲み記者会見で、彼が、ポロリと、自分から漏らした、一言、
「(雪路とは、)不倫だったからねえ・・・・・」
ん?
知らないことであった。
結婚してからの、子どもへの誘拐事件騒動は、知っていたが。
改めて調べてみると、朝丘雪路。
「11PM」などで活躍したのち、事実上の、芸能界引退し、なんと、それまで彼女が知らぬ世界の医師と、彼が、港区の大病院の勤務医時代に知り合い、その後、当時でも、東京から遠い、青森県八戸市(はちのへし)で開業することにしていた内科の専門医師と、結婚。
ところが、違う風土になじめないどころか、それまで、箸と茶碗は手に持ったことはあっても、自分で、料理を作ったことは、タダの一度もなかった「新妻」。
だが、男児は産んだ。
その間に、惚れた津川雅彦と、ひそかに隠れて、交際。
「新妻」は、わずか1年弱後に離婚し、津川と極秘同棲。
産んだ男の子は、離婚の原因は、朝丘雪路に全面的にあるうえ、内科医院の跡継ぎにと望む、医師と、その親族の強い要求と主張もあり、親権は、内科医師の「夫」側に。
その、朝丘雪路の、遺児は、すでに50歳にもなっている。
「実母」の死を、今、どう感じているであろうか?
そう想い、調べ上げて、連絡を取ってみたが、何も、お答えいただけなかった・・・・・・
津川と、朝丘が、法的に正式入籍をはたしたのは、同棲生活を始めてから、なんと、5年後であった。
「不倫だったからねえ・・・・」の、意味が、まさに、そういうことであった。
また、朝丘の出自。
これまた、不倫関係の末に、産まれた女児。
いわゆる、当時の言い方になぞらえば、「妾の子」。
しかし、「実母」は、料亭の女将として、暮らしには困ることが無かったため、「お嬢様」扱いで育てられた。
ましてや、料亭。
そのため、料理をまったく作らず、晩年まで通した。
痴呆性になる前の、今から6年前に、「わたし、いままで、お料理。3回ぐらいしか、作ったことがないの」と、ポロリ告白。
この「おしどり」と評された夫婦。
家政婦さんが、全部こなしていた。
ま、それも、芸能界では、フツー・・・・・といったら、言い過ぎでもないのが、実情。
事件・逮捕、夫の不倫、により、やむなく、世間体も考慮して、法的離婚をした、高島礼子と、高知東生(たかち のぼる)。
二人に、なんの問題も生じていなかった頃、取材をしたことがある。
もう、見た目。色っぽいうえに、割烹着が似合う・・・・と想い込んでいた、わたし。
手作りの、3食の食事について聞いたら、笑みを浮かべて、ハッキリ答えようとしない、高島。
高知に聞いた。
「ウチは、全部、殆んど、外食です。あとは、フルーツとかは、いただきもので」
は?
---高島さん、作られない?
「・・・・そうですね」
そう、ニコニコと笑顔で答えたのは、高知。
ホントかよお!
意外に想われる人も多いだろう。
しかし、その前後に、家政婦役で、大当たりをとっていた市原悦子に、取材したことがある。
イメージも、含め、家事全般、こまめにこなす・・・・・ように、みえるが、この女優も、まったく、料理しないヒトだった。
ソレを承知のうえでの、結婚だったという。
病気治療と、入退院から、声の再起はしたものの、あの男っぽい性格の、優しくない女「女優」。
が、演技の上手さは、家政婦役はもう、やらない、やれないが、ピカイチであることは、認めざるを得ない。
なお、高島・高知「夫妻」。
先の、その事実を知って、あきれ、見かねた知人・友人が、すでに調理済みの、高級おかずや、料理セットをプレゼントした。
レンジに入れて、温めたり、鍋に入れて、温めれば、完成のシロモノ。レトルトの、有名品。
これが「おいしかったのよお」と、高島。
大型冷蔵庫には、次々とそれらが詰め込まれ、2人でクチにしていた矢先の「事件」だった。
ちなみに、高島。「レンジでポン」が、「それが、料理だと想い込んでました」と、語っている。
また、峰竜太と結婚している、海老名みどり。あの、泰葉の、実の姉。
彼女も、料理、一切しないオヒト。
長女が、今も、結婚せぬまま、料理、洗濯、家事全般をこなしており、掃除は、峰や長男も手伝う。
いまだ、みどりは・・・・していない。
峰、納得済みで結婚したというが・・・・。
逆に「手も荒れるし、君はしなくていい」と、夫の、篠田正浩に言われて、結婚した、いわゆる「お志麻さん」、おっとりして、あわてず、騒がずの「駆けずの、お志麻」こと、岩下志麻。
このヒト、家政婦が自宅にいるのだが、晩年自分でも作るようになった異色女優。
そればかりか、篠田に取材申し込みの電話を大田区の御自宅に入れたところ
「はい。篠田でございます」との第一声で出てきたのが、岩下志麻。
いやあ、ビックリした!
「主人は、ただいま、不在にしておりますが・・・・何か、お伝えすることがございましたら」
伝言し、取材は出来たが・・・・・いやあ、後にも先にもいきなり女優が電話口に出てきたのは、岩下志麻だけだった。
おそらく今も、そつなく、こなしているんだろうなあ・・・。
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≪ 2018・8・8 追記 ≫
津川雅彦が、この8月4日に、都内の病院で他界したことが、3日後の7日午後、公表された。
公けの「死因」は、またも「心不全」。
当たり障りのない、切り札「心不全」。
事実上は、「肺炎の悪化」。
妻の死ののちも、仕事の依頼はあった。
だが、映画の撮影のロケのため、遠出もしなければならず・・・・・断った。
親交のある人物のパーティーなどには、顔を出したりもしていたのだが・・・・。
津川の死後、またも、家族葬を行ない、ひっそりと娘を中心にして、執り行っていた。
そうかあ・・・・・・と。
報道のカラーは、こんにちに至るも、最後の最期まで、創られた「仲睦まじい夫婦愛」に、貫かれていた。
それもまた、良しか・・・・・。
ちなみに、津川の死去年齢、78歳。
悪の権化たる、山根明。まだ生きてる彼もまた、同じ78歳。
明と暗。光りと、闇。
♪ 人生、いろいろ。男も、いろいろ・・・・・
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《 2018・11・21 夕刻 》
まるで、ワイドショーのために、開催された印象。
祭壇には、生前の、元気なころの、2人の写真。
芸能人が、多く、参列。弔辞も、ホントに故人と、親しかったかあ?という、芸能人が、白々しくも読む、
さながら、まるで、テレビ・ショー。
呼び掛けの、ポスター出演にまで協力した、北朝鮮に拉致された家族、及び、関係者の姿は、みあたらず。
ラチも無い、ハナシか・・・・・・。
にしても・・・・・
一般人、ファンの参列者、まったく、見えず・・・・・
その方たちに、生活が支えられて、晩年も、食べられ、生きられてきた、ご両人のはず、なのに・・・・・
晩秋の冷えが、心の寒さに染みてゆく・・・・・・・