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《 リアル 芸能 ルポ 》 脚本家・山田太一の、「今」を知り・・・最期のインタビューを聴いた。彼との、真っ向勝負のやり取りや、電話取材で、今まで書いていなかったこと

2021-09-05 06:06:27 | 小説家・テレビ&ラジオ番組

 ≪ 2020・1・6 掲載 ≫

 一昨日、脚本家、山田太一(たいち)の、「今」を、知った。

 年齢こそ、確かに85歳と7か月。老齢ではあるものの、普通に、まだまだ健康体と、思い込んでいた。

 ところが、今から丸3年前に、脳出血を患い、昨年からは、川崎市内に建つ、病院と提携してある、高額老人施設に、独り、入居し続けているようだ。

 ホテル並みの施設。入るに当たって、2000万円ものオカネが必要となるが、むろん、払えた。

 商売上手の倉本「センセ~」聰並みに、日本の脚本家としては、トップクラスの脚本料を手にしていた、山田太一。

 「朝ドラ」や、「大河ドラマ」などで、書き飛ばし。プロデュサーらの、思いつき変更指示で、何度も、書き直させられた末に、軽薄作しか書けない、昨今の骨なし脚本家とは、段違いの筆力はあった。

 「なつぞら」のように、史実・背景デタラメ、設定が昭和12年産まれにしてあるが、終始、違和感タップリの、主人公の広瀬すずギャルに、「ねえ、私の人生、あり得ないでしょう?」と、セリフで、開き直るかのように言わせてしまう、愚作、デタラメ作、駄作の、3拍子揃った、ソレに象徴されるような、お馬鹿なシロモノは、書いてこなかった・・・・・・・ように、思う。

 ここ数か月、この山田太一の筆による、初期のテレビドラマが、CSで放送されており、録画したのち、観ているが、それなりの水準には、全作、達しているように想う。

 近年、彼の妻の和子も、別の病気で、都内の病院に入院中の様子。

 そうかあ・・・・と。

 長女は、週刊女性の記者の問いに応えて、「私と妹のトコロを行ったり来たりしております」

 そんな、あり得ないことを。老人が、せわしなく、たらい回しを?

 そう、疑問に想いつつ、記事を読み進めると、今、どうしているんだろう?と、記者が、疑問がわいたキッカケは、八千草薫が、他界した折り、彼女の出た作品に多く、脚本を書いていた山田太一から、まったく、コメントや、寄稿文が寄せられなかったことから。

 宿敵であり、良き、ライバルでも、知人でもあった、倉本聰からは、寄せられていたというのに・・・。

 わたしも、架けたことのある、神奈川県内にある自宅に、記者が電話を入れてみると、すでに、長らく不在の印象。

 訪ねてみて、近所を当たり、行方を追っていくと、病に伏して、そのような施設に、すでに入っていると判明。

 手紙を出すと、施設の受付から、個人情報も有り、なかで入居しているとも、いないとも答えられません。あしからず、御了承ください・・・・・という、取材経験者からすれば、よく経験するパターン。

 そこで、ただ1回きり、昨年、NHKラジオで、インタビューに応じていたことが分かった。

 おそらく、山田の、不朽の名作、「今朝の秋」、「ながらえば」、「冬構え」が、同局で制作された縁で、当時の製作スタッフ陣が、手紙などをしたためて、説得したのであろう。

 その50分弱のインタビューが、放送されたのが、昨年の10月25日の深夜。 

 そして、偶然にも、八千草薫が、この世を去ったのが、その前日の、10月24日であった。

 どのようなことを話していたのか? コレが、実は、2か月半後の今、丸々聴けた。

 記者も、聴いたうえで、記事を書いていた。

 聴きたい方は、「ラジオ深夜便 山田太一」と、打ち込むと、3分割されているものの、順に聞けました。

 最近、著作権は、局に有るはずなのに、聴こうとすると、広告を見せたあと、おかしなサイトへと、引きづり込もうとする番組が多く、気を付けなければならない。

 この「山田太一」のは、たまたま、大丈夫、安全で、あっただけ。 

 聴けた声は、弱弱しく、ロレツが回りづらく、が、聴き取り辛くもない程度。 

 「いつ、死ぬか、わからないので」という。

 期日不明の、ひたひたと、迫りくる死。

 医師に、余命、幾つ位・・・・などと、告げられたのであろうか・・・・

 最期の、遺言として、聴いてもいい。

 聴く価値は、充分にある。

 収録は、この住居施設の、どこか、会議室のようなところで、行なわれ、聴き手の女性アナと、録音部のスタッフの前に、そこまで、山田太一は、歩いてきている。

 その足取りは、まだ確かな様子。

 顔は、上記、掲載写真より、さらに、二回りほど、やせ細っていたときく。

 いつになるのか。この後に接するのは、彼の死去・・・・・・・か。

 それも、死後、1週間ほどしてからであろう。

 倉本ダイセンセ~聰のように、俳優、大挙、詰め掛けて欲しい、派手な見送り告別式なんぞされず、望まず。

 ひっそりと家族だけに、看取られて、息を引き取りそうだ。

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 ここからは、少なからず、わたくしごとになる。

 私の、彼への直撃、二幕。

 ファンではないが、この、山田太一の書くドラマには、興味があった。

 少なくとも、他より、出来が良いと感じたから。

  だが、外での取材巡りや、電話取材、張り込み、締め切り間際の原稿書きもあり、録画はしておくものの、放送時には、観られない。

 そのうち、テレビの音声も聴けるうえ、カセットテープで録音も出来る、テープレコーダーを購入。小型テレビも、購入。

 デジタル地上波になった途端、映らず、聴けずに、即日、一変してしまったが・・・・。

 その頃、取材の合間、アンテナを、さまざまな聴こえる方向に伸ばし、イヤホンを耳に差し込むと、ドラマすべて、セリフが聴き取れる。

 そこで、気付いたのだ。

 山田太一の書く、現実には、まず、あり得ない流れと、セリフ説明過多が、耳に付いた。

 例えば、恋愛、不倫ドラマ。

 男女が、都会の片隅で出会う。

 奇遇な出会いにせよ、初対面、ないし、心惹かれ、2度目の出会いで、自分の置かれている境遇、家族への心情、会社での、ガッコでの、楽しさ、辛さ、将来への夢・・・・・

 などなどを、ほぼ、全部、ペラペラ、しゃべりまくってしまう。

 他人に、聞かれたくないことまで、洗いざらい。

 ナレーションが、さらに、補足。

 ソレが、セリフの波となって、押し寄せ、イヤホンから聴こえてくる。

 ナレーションと、BGM過多。セリフと、筋立てに、肝心の「間」が無い。

 せわしなく、埋め尽くし、想像力を、無くさせる。

 テレビで視聴してただけでは、決して、気付かなかったことが、このテープレコーダーで、毎週、聴いているうちに、分かった。

 山田太一のは、テレビドラマじゃなく、ラジオドラマじゃん!

 全部、セリフでしゃべってるから、誰でも理解しやすい。

 だが、都会の男女が、年代問わず、良く知らない相手に、そんなことを、親しくならない時期に、人は、話すであろうか?

 いくら、放送時間に限りのある、テレビドラマとはいえ・・・・。

 帰宅して、仕事部屋で、ビデオ再生してまで観る気が、徐々に薄れていった・・・・。

 とりわけ、高視聴率を、叩きだし、シリーズ4まで、放送された、「ふぞろいの林檎(りんご)たち」は、その典型だった。

 加えて、サザンオールスターズの、ウルサイまでの曲、挿入。

 世間で言う、1流大学に対する、中居貴一ら、4流大学生の異常なまでの、劣等感と、卑屈さ。

 現実に、あり得なさ過ぎの、愚作、駄作と、痛感。

 後年、中井貴一は、山田に直接は言わずに、シリーズ最後まで、出続けたが、周囲に、こう、こぼしていた。

 「山田さんの脚本は、半分のセリフでいい」。

 やはり、演じながら成長し、他の脚本にも接したら、そう、感じるのは、当然だろうなと想った。

 役者の演技力を、まるで、信用していないのではないか。とりわけ、若いタレントを。

 だから、以前、髙倉健の「養女」が、山田太一の「今朝の秋」に出演した記事のくだりで、チラリと書いた。 

 山田太一のトークショーのあとの、質問コーナーで、明らかに、おばさまファンが、あこがれの視線だけを注ぎ、質問など、恐れ多くてという、空気漂うなか、先陣を切って、この時とばかりに、ズバズバ聞きまくった。

 ---山田さんの書いたドラマはほとんど観て、聴いてますが、秀作も有れば、駄作もあるなかで

  そこで、この当時の元気なころの山田太一が、怒ったように噛みついてきた。

 「私には、駄作は、1本もありません!」

 うわあああ、すんごい自信家。スゴイ、プライド。

 先の,中井貴一の発言に対しても、恨んでいたほどだからなあ・・・。

 ならばと、先に挙げた、「ふぞろい」に象徴される、いくら、ドラマとはいえ、あふれかえる説明セリフの多さや、初対面にもかかわらず、打ち明けまくるおかしさ、現実には、まず、あり得ないないことについて、問い質した。

 山田。少々、困りきったような表情を浮かべつつも、話し出した。

 「ドラマには、御存じかどうか知りませんが、決められた尺、長さ、放送時間と言うモノが有りまして、例え、連続ドラマでも、その時間内に抑え込まなければいけない、当然なこととして」

 「そうすると、テレビの前から、途中、トイレや、ちょっと席を離れた方にも、分かるようにしなければならない、広く、浅く、誰にでも、途中からでも、分かりやすくということが、望まれるわけです」

 「となると、セリフで言わせた方が、進行具合も、分かりやすく、展開してゆくであろうと・・・」

 んんん・・・・

 だからラジオドラマか・・・・・。

 出来は良く感じたが、「師匠」木下恵介のもとでの、「二人の世界」や、「3人家族」などもそうだ。

 逆に、今と違い、「虚症」然とならず、良いホンを書いていた頃の、倉本聰などは、「間」で生きた。「間」で、ドラマが成り立ち、視聴者に、感情と境遇の想像を張り巡らせた。

 音楽を、静かに、かすかに底辺に流し、ソレが感情に転化させて、観る者に、分からせた。

 だから、先のテープレコーダーでは、困った。

 今、どんな感情が描かれているんだ?

 画面のどこに、役者がいるんだ? いないのか?

 ひょっとして、風景だけを映しているのか? 後姿だけか?

 どこに、役者がいるんだ?

 この違いの差は、見事に、作風の違いとなって現われ、倉本のは、再生して、じっくり、観て、味わうほか無かった。

 ところが、山田は、一転、老人の想い、戦中、戦後の、世代間のズレ溝、生き方そのものの違いを描くと、格段の冴えを「魅せまくる」。

 「男たちの旅路」の、鶴田浩二。路面電車に籠城した回の物語の、老人たちへの想い。

 「今朝の秋」、「冬構え」、そして「ながらえば」での、笠智衆(りゅう ちしゅう)。

  とりわけ、この「ながらえば」の、中盤に出てくる、笠智衆と、左の、老妻を亡くしたばかりの、宇野重吉演じる老人同士の会話、演技、その漂う、たたずまい、滲み出る感情。

 もう、テレビドラマ史上、最高ランクのシーンではなかろうか。

 先程、パソコンで観て、不覚にも、また、涙があふれた。

 そう、「ながらえば you tube」と、打ち込み、観てゆくと、you tubeで、65分間、フルに、この名作が、即座に観ることが出来ました。

 すべての年代に、上記3作品は、感慨、感情が、理解出来るはず。

 トシを増すごとに、理解深まる、素晴らしい脚本であり、演技力の競演作であったように想う。

 ドラマの評価は、究極、人それぞれ違う、 

 山田が他界した際には、「ふぞろい・・・」が、高視聴率だったこともあり、代表作に並べられるんだろうけれど・・・・。

 さて、2幕目の幕開け。

 かねてより、山田太一は、若い当時、師匠であり、行動を常に共にしていた木下恵介という監督が、ホモ、ゲイであり、その御稚児さんとして、深くかわいがられたという、風説が、根深く遭った。

 倉本聰もまた、自分のラジオ番組のゲストに、かつて、山田太一を呼んだ時、恐るおそる、聞いた

 ---木下恵介さんに、師事して、長く、ずっと一緒だった時期があったよね。そのころさあ・・・・・・あのうさあ・・・・・・こわい思いしたこと、なかった?

 「どうして? 別に、そんなこと、全然感じたこともなかったけど・・・」

 ---ああそう、それなら、いいんだけど・・・・

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 気には、かかっていた。ある時、耳にはさんだ。山田さん。激高すると、とたんに、オンナ言葉と言うか、豹変するのだと。

 とあるとき、作品の出来た経緯についても聞こうと、御自宅に電話を入れた。

 そして、御当人に、さまざまに聞いていた。

ちょっと、何のきっっかけだったか、ぶしつけに聞いた時、とたんに、山田太一が、豹変し、オンナ言葉に変わった! 

 「ちょっと、あなた、失礼よ! ナニ言ってらっしゃるの、もう、失礼よね」

 うわあああああああ。

 そうか・・・・・と。

 即座に、言葉の継ぎようも無く、電話は切られた。

 ちなみに、山田太一の娘に、結婚して姓が変わり、宮本理江子という、フジテレビのドラマ部門の、演出ディレクターがいる。

 敏腕の評高く、倉本聰・脚本の「優しい時間」という、連続ドラマの担当になった。

 何と、私は、驚きまくった。

 絶対に、セリフを、一行一字たりとも、変えさせないことで、業界に名を馳せていた倉本の脚本のセリフや、言い回しを、バンバン変えていた。

 それどころか、シーンそのものを組み変えたり、新たに創ったり、消去もしていた。

 んなこと、初めてだった。怖くて、誰も出来なかった。

 ソレ、その脚本が単行本化され、売られていたのを購入。

 放送回のセリフや、シーンと、照らし合わせてみて、気付いた。

 よく、「虚症」が、認めたなあ…許したなあ・・・・・。

 ドラマの出来としては、40点くらい。

 中井貴一が、余命、いくばくもない医師を、演じていた。

 俳優陣の中、倉本が指導してきたはずの、「富良野塾」の出身の男性が、ガッツ石松の息子役で出ていたのだが、彼が、学芸会以下のつたない演技力で、誰もが、あきれた。

 倉本の、観る目の狂いが、露呈した。

 ンしても、台本のズタズタ。

 その、許容したことについて、当の「虚症」に、横浜で、直接、質問した。

 しばらく、ムスッとしたあと

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうだったね」

 ---おそらく、最初にして、最期の事と、なると想うんですが、どうしてまた、彼女にだけは、許したんですか?

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ---では、腕はどうだったですか?

 「優秀だったね」

 互いにしのぎを削った宿敵の、娘。

 予想通り、最初にして、最期の書き換え、許容となった。

 まあ、ご興味のある方、ラジオ深夜便のインタビュー、「ながらえば」。

 どうぞ、ご覧になり、御視聴ください。

 1人の人物への、理解が深まると想います

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 ≪ 2021・11・30 追記 ≫

 急に、今夜、この上記の記事が多くの人に、検索され、読まれている。 

 過去の記事に、焦点が当たり、読まれることは嬉しいことではあるのだが・・・・・

 ひ、ひ、ひょつとして・・・・他界なんてことは、無いであろうと想いたいが・・・・

 87歳と、半年

 闘病経過から、察すると・・・・・・・ 

 う~ん・・・・・・・

 

 

 

 



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