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新川和江(1929-)「ふゆのさくら」(1968年):《現実の結婚》が、結婚のすべてでない! 結婚は、《魂の結婚》でもある!&物体世界に魂が出現するためには憑代として物体が必要だ!

2018-06-17 01:31:26 | 日記
 ふゆのさくら Cherry blossoms in winter

おとことおんなが A mam marries a woman
われなべとじぶたしきにむすばれて in such a way as a broken pot marries a broken lid.
つぎのひからはやぬかみそくさく From the next day, she has smell of fermented rice-bran paste at once.
なっていくのはいやなのです I hate we come to be that way.

《感想1》
ぬかみそ臭い主婦を、この詩人は嫌う。子育ての大変さも嫌う。また生活(Ex. 貧困)の苦労も嫌う。詩人は、(身体があることを前提する)現実の結婚を嫌う。

あなたがしゅろうのかねであるなら If you are a bell of a bell tower,
わたくしはそのひびきでありたい I want to become sound of the bell.
あなたがうたのひとふしであるなら If you are a phrase of a song,
わたくしはそのついくでありたい I want to become an antithesis.
あなたがいっこのれもんであるなら If you are a lemon,
わたくしはかがみのなかのれもん I want to become a lemon reflected in a mirror.
そのようにあなたとしずかにむかいあいたい In such a way, I am quietly with you face to face.

《感想2》
詩人は、「われなべ」と「とじぶた」式の結婚を嫌う。生活・生計の確保のため協同・協力する、それが現実の結婚だ。(身体を前提とする)現実においては、食べねばならない、衣服を着なければならばない、雨露をしのぐ家・部屋・アパートが無ければならない。詩人はそうした現実の結婚を嫌う。
《感想2-2》
詩人は、魂の結婚を夢想する。鐘楼の鐘とその響き、歌の一節とその対句、1個のレモンとその鏡像であるレモン。そのようにあなたの魂と私の魂が向かい合うこととしての結婚を、詩人は夢想する。

たましいのせかいでは In a world of souls,
わたくしもあなたもえいえんのわらべで you and I are children forever,
そうしたおままごともゆるされてあるでしょう and we are given permission to play house in such a way.

《感想3》
魂の結婚は、《日常生活の一切の衣食住、そのための生計費の獲得、老病死への対策》など、生活の苦労に満ちた現実の結婚と異なる。魂の結婚の当事者は、生活の苦労と無縁な永遠の子供だ。魂の結婚は、子供のおままごとに似る。

しめったふとんのにおいのする Smell of wet huton-mattresses is filled,
まぶたのようにおもたくひさしのたれさがる and eaves heavily hang like eyelids.
ひとつやねのしたにすめないからといって Even though we cannot live in such a house,
なにをかなしむひつようがありましょう we need not be sorrowful at all.

《感想4》
結婚は、《現実の結婚》としては、湿った布団の匂いに満ち、重く庇が垂れ下がる生活の苦労に満ちた一つ屋根の下に住むことだ。しかし、それが結婚のすべてでない。結婚は、《魂の結婚》でもある。

ごらんなさいだいりびなのように Look at the place where we sit side by side
わたしたちがならんですわったござのうえ like emperor and empress dolls on a goza mat.
そこだけあかるくくれなずんで Only there, the sunlight is brightly lingering,
たえまなくさくらのはなびらがちりかかる and petals of cherry blossoms are continuously falling over.

《感想5》
結婚した双方は、生きた身体を持たなくてよい。魂の憑代(ヨリシロ)として非生物の物体があればよい。魂の結婚は本来、形ある物を必要としない。ただし、この世、つまり物体世界に魂が出現するためには憑代として物体が必要だ。この詩人はその物体が「だいりびな」だと言う。
《感想5-2》
魂の結婚を《讃える》物体or物体的出来事は何か。それは《明るさ、つまり暮れなずむこと》、そして《絶え間なく散る桜の花びら》だ。この2つの物体or物体的出来事が、ここでは讃えるという《感情》(感情は魂の世界に属し物体的形を持たない)の憑代とされる。

《注》詩の区切りは、評者による。
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