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金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」ロ「ギリシャ時代」(その3-2):B「芸術宗教」c「精神的芸術品」1「叙事詩」2「悲劇」3「喜劇」!

2024-07-28 15:29:34 | 日記
※金子武蔵(カネコタケゾウ)『ヘーゲルの精神現象学』ちくま学芸文庫(1996)(Cf. 初刊1973)
Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」ロ「ギリシャ時代」(その3-2)(245-249頁)
(56)-4 (CC)「宗教」B「芸術宗教」(ギリシャ宗教)c「精神的芸術品」第1段階「叙事詩」:「記憶」即ち「表象」の産物であって、「概念」の産物でないから、その世界には「統一的精神」はなく、「雑多な神々」があるだけだ!
★B「芸術宗教」(ギリシャ宗教)b「生ける芸術品」としての「競技に優勝した若者」とか「名門の処女」といっても、まだローカルでそれぞれの「ポリス」によって違い、「民族」の全体に通ずるものではない。そこで最後にB「芸術宗教」c「精神的芸術品」が必要になってくる。(245-246頁)
☆ c「精神的芸術品」は1「叙事詩」、2「悲劇」、3「喜劇」の3つの段階に分かれる。(246頁)

★B「芸術宗教」c「精神的芸術品」の第1段階「叙事詩」:ギリシャ人は多くの「ポリス」に分散し「民族」的統一は形成しなかった。しかし「民族」的統一も絶無ではなく「トロヤ遠征」に際してはそれが成就された。(246頁)
☆この遠征が「ムネーモシュネー(記憶)」のうちに宿り、詩人によって理想化されてできたものがホメロスの「叙事詩」だ。(246頁)

★ところで「叙事詩」は「記憶」の産物、即ち「表象」の産物であって、「概念」の産物でないから、その世界には唯一の「統一的精神」はなく、むしろ「雑多な神々」があるだけだ。むろんゼウスが「最高神」だが、アポロン、アテナ、ポセイドンなどほかの神々を「強制的に服従させる力」を持っていない。ホメロスの神々は大変人間的で、いさかいや喧嘩もするが、ゼウスはそれを「裁くだけの力」をもたない。(246頁)
☆これはちょうど「人間」の側において「トロヤ遠征」で、英雄たちの「総大将」はアガメムノンだが、分捕品の分配のことでアキレウスが腹を立て出陣を肯んじなくても、どうすることもできないのと同じだ。(246頁)

★しかし神々の間にもやはり「統一」は働いてくる。それは神々の上にさらに「運命」が位するからだ。(246頁)
☆これをヘーゲルは神々の世界にもやがて「概念」が働いてくることと解している。(246頁)
☆ところで「概念」とは、ヘーゲルでは「個別態」と「普遍態」との関係にほかならない。「雑多な神々」は「国家の神々」(普遍態)と「家族の神々」(個別態)との2つに帰着することになる。(246-247頁)

★アポロンは「国家の神」を、エリニュスは「家族の神」を代表し、(「人間」である)「ヒーロー」あるいは「ヒロイン」はそれぞれの「神のおきて」を、自分(「人間」)の「使命」として背負い、自分(「人間」)の「パトス」として持つことになるが、この「神」の上には「運命」が位するから、「ヒーロー」あるいは「ヒロイン」の行為は一面的なものとして「罪責」をまぬがれない。(247頁)
★そういう「英雄」(「ヒーロー」あるいは「ヒロイン」)の行為を役者が舞台で演じるようになると、B「芸術宗教」c「精神的芸術品」の第1段階「叙事詩」は、第2段階「悲劇」に転じる。(247頁)

(56)-5 (CC)「宗教」B「芸術宗教」(ギリシャ宗教)c「精神的芸術品」第2段階「悲劇」:
★B「芸術宗教」c「精神的芸術品」第2段階「悲劇」においては、「人倫」すなわち《 (BB)「精神」A「真実なる精神、人倫」(a「人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男性と女性」b「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」c「法的状態」)》にかんして述べたように、「家族のおきて」も「国家のおきて」も「運命」の深淵のうちに滅んでいく。(247頁)
★これはどういうことかというと、ポリスでは本来、「個人の独立性」は現実には認められなかったが、「個人の独立性」を認めるのが当然であるから、「『個人の独立性』を認めない『おきて』」は、したがって「ポリス」は滅び去るのが当然だということを意味する。(247頁)
★そこで「人間」は「家族」の一員でも「国家」の一員でもない「独立の個的自己」に目覚めてくる。(247頁)

《参考》ソフォクレスの悲劇『アンティゴネ』において、テーベの王女アンティゴネは「家族」の情愛から兄ポリュネイケスの死骸を葬ったが、叔父のクレオンはテーベの町の支配者(テーベ王)であるという「国家」の立場から、侵入者たるポリュネイケスの死骸を葬ることを禁じていたので、アンティゴネを処刑しようとした。(242頁)
☆アンティゴネの「行為」は「家族」の「情愛」からするものであり「神々のおきて」に従うものだ。これにたいしてクレオンの「行為」は「国家」統治者の見地からするものであり「人間のおきて」に従うものだ。いずれも「人倫的」行為であるのに、それらの「義務」が対立抗争する。(242頁)
☆「心情」のうちで美しい「調和」をなしていた「家族」と「国家」も、「実際上の行為」となると「対立」(「矛盾」)を露骨にあらわしてくる。(242頁)
☆ところでクレオンとアンティゴネはどちらが正しいかというと、いずれも「是」にして「非」であり、したがって「罪責」をまぬがれず、両者共に滅んでいく。アンティゴネは洞窟のうちで自殺するし、クレオンも死ぬのも同然の「運命」にある。アンティゴネが死んだために、その婚約者のクレオンの一人息子ハイモンは自刃し、息子の死を悲しんで奥さんも死んでしまう。かくしてアンティゴネもクレオンも「人知」を越える「神知」によって「運命」の深淵の中に没落してゆく。(242頁)
☆ここにAb「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」と題されるゆえんがある。(242頁)

(56)-6 (CC)「宗教」B「芸術宗教」(ギリシャ宗教)c「精神的芸術品」第3段階「喜劇」:あらゆるものが「個的自己」のためにある!「自然」は「人間」の生活のための「手段」・「材料」であり「神秘的」でないし、「国家のおきて」・「家族のおきて」も「神聖不可侵」でない!「喜劇」は、「個的自己」が、いかなるものに対しても「独立」なものとして「絶対的」意義をもち、「真に『主体』である」ことを表現している!
★「ポリス」において、「人間」が、「家族」の一員でも「国家」の一員でもない「独立の個的自己」に目覚めてくると、それが「喜劇」の生まれる時代だ。(247頁)
☆「喜劇」は、B「芸術宗教」c「精神的芸術品」の第3段階だ。(247頁)
☆「喜劇」では、あらゆるものが「個的自己」のためにある。かくて「自然」は「人間」が生活のために利用する「手段」、着物や住居を作るための「材料」にすぎず、なんら「神秘的」なものではないし、また「国家のおきて」・「家族のおきて」といってもなんら格別「神聖不可侵」のものではなくなる。(247頁)

★このことを「国家のおきて」について具体的に明らかにするために、ヘーゲルはアリストファネスの喜劇『騎士』という作品をもち出して論じる。喜劇『騎士』は、アテナイ人が「国家」を「私利私欲」のために利用していたことを暴露した作品だ。(247-248頁)

《参考》アリストファネスの喜劇『騎士』は、クレオン(前5世紀のアテナイの政治家)を代表的な「デマゴーグ」(無定見な扇動政治家)として笑い者にし揶揄した。またトゥキュディデスもクレオンを軍事的に無能な扇動者として描いた。クレオンに恨みと憎しみを持つトゥキュディデスとアリストファネスによって、クレオンの悪しき指導者としての「デマゴーグ」像が確立されたと言われる。

★またポリスにおける「家族のおきて」が破壊されたことを具体的に示すためにヘーゲルは、アリストファネスの喜劇『雲』という作品に触れている。(248頁)①フィリッピデスという若者は、伯父と母とにあまやかされて育ち、今風なぜいたくな生活し、借金がかさむ。②父親は大いに困り、ソクラテス先生を訪れる。②-2 ソクラテス先生は自然の研究者として「雲」の観察をしている。②-3またソクラテス先生は「ソフィスト」として「弁証法」にたくみで父親に早速「弁証法」を伝授する。③父親は家に帰って、押し寄せてきている借金取りに向かって「借金は払う必要のないもの」という論証をして、追い返してしまい、父親は大喜びでソクラテス先生を賛美する。④そこへ放蕩息子フィリッピデスが帰って来て父親にしきりに不躾なまねをし、はてはなぐりとばす。④-2 しかし息子の方がソクラテス先生の一枚上手のお弟子であって、弁証法をはるかにたくみに使って「息子というものは親父をなぐるべきもの」という議論をとうとうとやってのけ、親父をやりこめる。⑤親父はすっかりしおれ、「ソクラテスのような厄介なソフィストが出てきて、『昔の平和な世の中』がすっかり攪乱された」ことを慨嘆し、「昔ながらの質朴な生活」に憧れ、ついにソクラテスの家を焼き払う。(248頁)

★B「芸術宗教」c「精神的芸術品」の第3段階「喜劇」において、すべての「人倫のおきて」(「国家のおきて」と「家族のおきて」)は破壊され、残っているのはただ「個的自己」のみだ。これで「ポリス」は「崩壊」する。(248頁)

★だが「喜劇」は同時に積極的意義をもっている。「喜劇」は、「個的自己」が、いかなるものに対しても「独立」なものとして「絶対的」意義をもち、「真に『主体』である」ことを表現している。(248-249頁)
☆それは「啓蒙の有用性の立場」(後述)と同じく、「世界史の転換点」を意味する。(249頁)
☆こうしてギリシャ時代はB「芸術宗教」c「精神的芸術品」の第3段階「喜劇」で終わる。(249頁)

★これまで「自然的宗教」の立場から、すなわち(CC)「宗教」A「自然宗教」a「光」(メソポタミア・ペルシアの宗教)b「植物と動物」(インドの宗教)c「工作者」(エジプトの宗教)において、「東方的時代」について述べた。(249頁)
☆また「人倫と芸術宗教」の立場から、すなわち(BB)「精神」A「真実なる精神、人倫」(a「人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男性と女性」b「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」)および(CC)「宗教」B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)において、「ギリシャ時代」について述べた。(249頁)
☆これから「ローマ時代」に、すなわち(BB)「精神」A「真実なる精神、人倫」c「法的状態」および(CC)「宗教」C「啓示宗教」に移ることになる。(249頁)

《参考》ヘーゲル『精神現象学』の目次!
(A)「意識」(「対象意識」):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」A「真実なる精神、人倫」(a「人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男性と女性」b「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」c「法的状態」)、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」(a「教養と現実の国」b「信仰と純粋透見」)・Ⅱ「啓蒙」(a「啓蒙と迷信との戦い」b「啓蒙の真理」)・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」(a「道徳的世界観」b「ずらかし」c「良心、美魂、悪とその赦し」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」A「自然宗教」(a「光」b「植物と動物」c「工作者」)、B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)、C「啓示宗教」、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」

《参考(続) 》金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次!
(一)「意識(対象意識)」1「感覚」、2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、3「現代(あるいは絶対知)」
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