DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

「生きる」こと・ものが、「ここ」につながれて、選びようなく、すでに現に居る 

2017-04-29 00:27:39 | 日記
残念なことに、すでに生まれてしまった。
「ここ」にいる。
誰がいるのだ?

この、「ここ」にある身体。
それは、邪魔者。
いつも「ここ」にいる。
なぜ今なのだ。
この今。
いつも今しかない。
過去は、記憶の中にしかない。

傲慢な物の世界。
物は永遠の顔をしている。

欲望が漂う。
ところが欲望は、時に身体の奴隷であり、時に主人である。
欲望は、身体と不可避的に連関する。
かくて欲望は、「ここ」(身体)とつながる。

欲望は、意図を作り出す。

感情も「漂う」。
感情も、もちろん、「ここ」(身体)とつながる。

感覚も「漂う」。
感覚は、「漂い」つつ、物を出現させる。
感覚は、一方で、物に受動的に触発されつつ、他方で、能動的に注視つつ、物を形象(意味)にする。
感覚は、「ここ」(身体)と、不可避的に連関する(つながる)。

「ここ」に、誰がいるのか?
感覚(触発・注視にもとづく物形象の出現)・欲望・意図・感情が、一つながりのものとして、一方で「ここ」(身体)と連関する限りで「ここ」に、他方で同時に、物(身体も含む)と別に、「漂う」。

感覚・欲望・意図・感情複合体が、一方で「ここ」につながれ、しかし他方で同時に、「ここ」とは別に「漂い」つつ、現に、居る。
ともかく居る。
この居るものが、「生きる」こと・ものである。

「生きる」こと・ものが、すでに勝手に、生きている。
「生きる」こと・ものが、起きている。
すでに生まれてしまっている。

「生きる」こと・ものが、「ここ」につながれて、選びようなく、すでに現に居る。
「漂う」、感覚・欲望・意図・感情複合体が、現に、居る。
ともかく居る。
この居るものが、「生きる」こと・ものである。
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