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モーパッサン(1850ー1893)『ジュール伯父さん』(1883):グラデーション的に広がる様々の生活・人生!その悲しい一情景!

2019-08-03 18:59:52 | 日記
※高山鉄男編訳『モーパッサン短編選』岩波文庫

(1)
ぼくは港で年老いた浮浪者に、5フランの施しをした。友人は「多すぎる」と驚いたが、これには、理由がある・・・・
(2)
ジュール伯父さんは、おやじの兄だったが、かつて、おやじの遺産相続分を使い込んでしまった。おやじは貧乏な役人で、おふくろから稼ぎが少ないと、いつも文句を言われていた。ぼくには二十八と二十六の姉がいたが2人とも未婚だった。
(2)
伯父さんは、追い払われるように、アメリカに渡った。やがて商売で成功したと手紙があった。数年してまた手紙があって、南米にわたると書いてあった。それから10年、連絡がない。しかし伯父さんは我が家の唯一の希望だった。おやじもおふくろも姉たちも、成功したジュール伯父さんが帰ってくれば自分たちは金持ちになれると思った。
(3)
ところが恐ろしい事実が分かった。ジュール伯父さんは商売に失敗し、浮浪者同然となっていた。ぼくたちはある船の中で、牡蠣を売る伯父さんに会ったのだ。伯父さんはぼく達に気づかなかった。おやじは青くなり、おふくろは激高した。
(4)
伯父さんにわかると、身元を引き受けねばならないので、ぼくたちは彼から離れた。ぼくが牡蠣の代金を彼に払いに行かされた。2フラン50サンチームだったが、心付けとして50サンチームをぼくは渡した。伯父さんは「お若い方、神様の恵みがありますように」と感謝した。ジュール伯父さんが、我が家に来ることは、以後ついになかった。
(5)
だからぼくは時々、港で、年老いた浮浪者に5フランの施しをするのだ。

《感想1》この小説が書かれた1883年、フランス(第三共和政)は阮朝とフエ条約を締結し、ベトナムを保護国化した。絵画では、印象派のクロード・モネがジヴェルニーに移り住み、多くの『睡蓮』を描いた。日本では鹿鳴館が完成・開館。翌年、「困民党」による秩父事件が起きた。
《感想2》「ぼく」は、ジュール伯父さんが好きだった。人々は成功と富を求め生きる。だが、人生は変転し、一方の極に富貴・権力・傲慢、他方の極に貧困・転落・失意が生じる。その間にグラデーション的に広がる様々の生活・人生。「ジュール伯父さん」はその悲しい一情景だ。
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