DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

辻征夫(ツジユキオ)(1939-2000)「かぜのひきかた」『かぜのひきかた』(1987年、48歳)

2016-11-07 10:09:33 | 日記
 かぜのひきかた 

こころぼそい ときは
こころが とおく
うすくたなびいていて
びふうにも
みだれて
きえて
しまいそうになっている

こころぼそい ひとはだから
まどをしめて あたたかく
していて
これはかぜを
ひいているひととおなじだから
ひとは かるく
かぜかい?
とたずねる

それはかぜではないのだが
とにかくかぜではないのだが
こころぼそい ときの
こころぼそい ひとは
ひとにあらがう
げんきもなく
かぜです

つぶやいてしまう

すると ごらん
さびしさと
かなしさがいっしゅんに
さようして
こころぼそい
ひとのにくたいは
すでにたかいねつをはっしている
りっぱに きちんと
かぜをひいたのである

《感想1》
①《心細い時は、心が遠く薄くたなびいていて、微風にも乱れて消えてしまいそうになっている》。
①-2 心が《遠く薄くたなび》くとは比喩。心に形はない。心が《煙》のように比喩される。
①-3 《煙》なら、《微風にも乱れて消えてしまいそう》になりうる。
①-4 心は、しかし、実際は《煙》でない。
①-5 ところが《微風にも乱れて消えてしまいそう》な《遠く薄くたなび》く《煙》が、《心細い》気持ちを想起させる。
②そもそも状況としては、ある状態の気持ちが、あるだけである。
②-2 《その気持ちが、似た状態で、あらゆる人々、あらゆる時代の人々の気持ちと重なりあう時》、そうした状態を想起させるため、《心細い》という言葉(音声or文字)が、《印》として使われる。(《印》1)
②-3 さて今、新しい《印》が詩人によって生み出される。
②-4 《心細い》という《印》1と別に、《微風にも乱れて消えてしまいそう》な《遠く薄くたなび》く《煙》という新たな《印》2が、ほぼ等価のものとして、導入される。
②-5 《印》1も《印》2も、共に、《心細い》気持ちを想起させる。想起される《心細い》気持ちの内容は、両者で、もちろん微妙に異なる。

《感想2》
③《心細い時は、心が遠く薄くたなびいていて、微風にも乱れて消えてしまいそうになっている》。
③-2 《心》がこのように《遠く薄くたなび》き、《微風にも乱れて消えてしまいそう》に《心細い》時は、人は、まるで《身体》が《寒い》かのように、《窓を閉めて暖かくしてい》ると詩人は、言う。
④しかし「《心細い人》が、《窓を閉めて暖かくしてい》る」ことが、経験的データとして、実際に確認されるわけでない。
④-2 「《心細い人》が、《窓を閉めて暖かくしてい》る」という命題は、詩人の独断である。(命題1)
⑤ 以下の推論は、詩人の独断を前提すれば、当然の成り行き。
⑤-2《窓を閉めて暖かくしてい》るのは、《風邪をひいている人と同じ》。
⑤-3 かくて《心細い人》は、ほかの人から《風邪かい?》と当然、たずねられる。

《感想3》
⑥詩人の独断、すなわち、「《心細い人》が、《窓を閉めて暖かくしてい》る」という命題1からの推論(続)。
⑥-2 《窓を閉めて暖かくしてい》るが、それは《心細い》からである。
⑥-3 だから《それは風邪ではないのだが、とにかく風邪ではないのだが、心細い時の、心細い人は、人に抗う元気もなく、『風邪です』とつぶやいてしまう》。

《感想4》
⑦詩人の独断、すなわち、「《心細い人》が、《窓を閉めて暖かくしてい》る」という命題1からの推論(続々)。
⑦-2 《心細い》ことは、《風邪ではない》。
⑦-3 そして《心細い人は、人に抗う元気もなく、『風邪です』とつぶやいてしまう》としても、やはり、彼は《身体》については、《風邪ではない》。
⑧ところが《寂しさと悲しさが一瞬に作用して、心細い人の肉体はすでに高い熱を発している》と詩人は言う。⑧-2 これは、実は、再び詩人の独断である。
⑧-3 すなわち、「《心細い人》の《心》の《寂しさと悲しさ》が、《身体》に関し《風邪をひいた》状態にする」という命題(命題2)は、詩人の独断である。
⑧-3 《心細い人》は、《風邪ではない》のだが、《心》の《寂しさと悲しさ》が、《身体》に関し《風邪をひいた》状態にする。
⑧-4 かくて《心細い人》は《立派にきちんと風邪をひいたのである》。

 HOW TO CATCH COLD

 When you are sad, your heart trails distantly and faintly and looks to be disterved and nihilated even by a gentle breeze.
 A sad person therefore shuts the window and keeps warm. This is the same situation as that of a person who has a cold. Consequently others slightly ask, “Do you have a cold?”
 It is not a cold. At any rate, it is not a cold. However a sad person in a sad condition cannot have an energy to deny and then murmurs, “I have a cold.”
 At that time, astonishingly, as an instant result of lonliness and sorrow, the body of a sad person already has high fever. The person has caught cold determinedly and definitely.

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