※藤田正勝(1949-)『西田幾多郎――生きることと哲学』(2007年)
(8) 東洋文化(印・中・日)の根柢:「形なきものの形を見、声なきものの声を聞く」!日本文化は「無限に動くもの」に目を向ける「情の文化」だ!(162頁)
H 『働くものから見るものへ』(1927年、57歳)「序」で西田は「東洋文化の根柢には、形なきものの形を見、声なきものの声を聞くと云った様なものが潜んで居る」と言う。(162頁)
H-2 論文「形而上学的立場から見た東西古代の文化形態」(1934年、64歳)で西田は西洋文化が「有を実在の根柢と考える」のに対し、東洋文化(インド、中国、日本)は「無を実在の根柢と考える」、つまり「無の思想」だと言う。(164頁)
H-2-2 インドの無の思想は「知的」、中国の無の思想は「行(ギョウ)的」、日本の無の思想は「情的」だと西田は言う。(164頁)
H-2-3 日本文化が「情的文化」だとは、形をもった「有」として固定化できない「無限に動くもの」に目を向け、把握し、表現しようとすることだと西田は言う。「形なき情の文化」!(166頁)
(8)-2 「東洋文化を背景として新しい世界的文化を創造して行かねばならぬ」!「日本精神」は「世界的」なものでなければならない!
H-3 1937年、盧溝橋事件とともに 日本は日中戦争に突入する。その年、西田は「学問的方法」という講演を行い、また1938年「日本文化の問題」という連続公演を行い、それらをもとに1940年『日本文化の問題』(岩波新書)を出版した。
H-3-2 その中で、西田は「我々はいつまでも唯、西洋文化を吸収し消化するのでなく、何千年来我々を孚(ハグク)み来った東洋文化を背景として、新しい世界的文化を創造して行かねばならぬ」と言う。(167頁)
H-3-3 また西田は言う。「日本は世界に於て、只特殊性・日本的なものの尊重だけではいけない、そこには真の文化はない。・・・・つまり自家用の文化ではいけない。自ら世界的な文化を造り出さねばならぬ。」(169頁)
H-3-4 西田は、「日本精神」は「世界的」なものでなければならないと言う。そして「日本精神」が「世界的空間的となる」ためには「厳密なる学問的方法によって概念的に構成せられることでなければならない」と述べた。(169頁)
H-3-5 西田は「日本も・・・・皇室を中心として自己同一を保って来た。そこに日本精神というものがあった」と言う。そして「今の日本はもはや世界歴史の舞台から孤立した日本ではない。・・・・皇道は世界的とならなければならない。・・・・世界的原理を創造せねばならい」と言う。(173-174頁)
《感想》「皇道は世界的とならなければならない」とは、「世界的原理を創造する」にあたって、日本は独自の貢献をしなければならないという意味だ。
H-3-6 実際、西田は言う。「真の国家は、他の民族に対して、共に自己自身を形成する歴史的世界の自己形成の立場に於て結合するのである。・・・・単に排他的なる民族主義から出て来るものは、侵略主義と帝国主義との外にない。帝国主義とは民族利己主義の産物である。」(「哲学論文集第四補遺」1944年)(175頁)
(8) 東洋文化(印・中・日)の根柢:「形なきものの形を見、声なきものの声を聞く」!日本文化は「無限に動くもの」に目を向ける「情の文化」だ!(162頁)
H 『働くものから見るものへ』(1927年、57歳)「序」で西田は「東洋文化の根柢には、形なきものの形を見、声なきものの声を聞くと云った様なものが潜んで居る」と言う。(162頁)
H-2 論文「形而上学的立場から見た東西古代の文化形態」(1934年、64歳)で西田は西洋文化が「有を実在の根柢と考える」のに対し、東洋文化(インド、中国、日本)は「無を実在の根柢と考える」、つまり「無の思想」だと言う。(164頁)
H-2-2 インドの無の思想は「知的」、中国の無の思想は「行(ギョウ)的」、日本の無の思想は「情的」だと西田は言う。(164頁)
H-2-3 日本文化が「情的文化」だとは、形をもった「有」として固定化できない「無限に動くもの」に目を向け、把握し、表現しようとすることだと西田は言う。「形なき情の文化」!(166頁)
(8)-2 「東洋文化を背景として新しい世界的文化を創造して行かねばならぬ」!「日本精神」は「世界的」なものでなければならない!
H-3 1937年、盧溝橋事件とともに 日本は日中戦争に突入する。その年、西田は「学問的方法」という講演を行い、また1938年「日本文化の問題」という連続公演を行い、それらをもとに1940年『日本文化の問題』(岩波新書)を出版した。
H-3-2 その中で、西田は「我々はいつまでも唯、西洋文化を吸収し消化するのでなく、何千年来我々を孚(ハグク)み来った東洋文化を背景として、新しい世界的文化を創造して行かねばならぬ」と言う。(167頁)
H-3-3 また西田は言う。「日本は世界に於て、只特殊性・日本的なものの尊重だけではいけない、そこには真の文化はない。・・・・つまり自家用の文化ではいけない。自ら世界的な文化を造り出さねばならぬ。」(169頁)
H-3-4 西田は、「日本精神」は「世界的」なものでなければならないと言う。そして「日本精神」が「世界的空間的となる」ためには「厳密なる学問的方法によって概念的に構成せられることでなければならない」と述べた。(169頁)
H-3-5 西田は「日本も・・・・皇室を中心として自己同一を保って来た。そこに日本精神というものがあった」と言う。そして「今の日本はもはや世界歴史の舞台から孤立した日本ではない。・・・・皇道は世界的とならなければならない。・・・・世界的原理を創造せねばならい」と言う。(173-174頁)
《感想》「皇道は世界的とならなければならない」とは、「世界的原理を創造する」にあたって、日本は独自の貢献をしなければならないという意味だ。
H-3-6 実際、西田は言う。「真の国家は、他の民族に対して、共に自己自身を形成する歴史的世界の自己形成の立場に於て結合するのである。・・・・単に排他的なる民族主義から出て来るものは、侵略主義と帝国主義との外にない。帝国主義とは民族利己主義の産物である。」(「哲学論文集第四補遺」1944年)(175頁)