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映画『ライフ』Life(2017年、アメリカ):地球は異星生命体(カルビン)が支配する星となるだろう!アンハッピーエンドな映画だ!

2021-08-12 16:57:31 | 日記
(1)火星で未知の生命体の細胞が採取され、世界各国から集められた6人の宇宙飛行士(①ローリー、②司令官エカテリーナ、③ヒュー、④ショウ、⑤検疫官ミランダ、⑥デイヴィド)が国際宇宙船で生命体の調査・研究・実験を行う。異性生命体はカルビンと名付けられる。
(2)生物学者のヒュー(英国籍・黒人)が異星生命体の細胞を培養する。細胞は急速に成長する。そして数日後、ヒューを襲う。モルモットを襲って食べ成長した生命体(カルビン)は隔離室を破壊し、宇宙船内に入り込む。
(3)生命体(カルビン)を焼却処分しようとした①ローリー(男性エンジニア)は、生命体に口から入りこまれ、体を生きたまま食われ死亡する。生命体は大きくなり、死んだローリーの口から出てくる。
(4)船外のトランスミッターを修理に行った②司令官エカテリーナが、スプリンクラーから船外に出た生命体(カルビン)に襲われ殺される。
(5)生命体(カルビン)は宇宙空間内では水・酸素・栄養がないので冬眠する。そこで生命体(カルビン)を宇宙船内に入らないように試みるが失敗する。船内に入った生命体(カルビン)は結局、③ヒュー(英国籍・黒人男性)を殺す。
(6)宇宙船内には今や女性検疫官ミランダ、ショウ(日本人男性宇宙飛行士)、デイヴィド(白人男性宇宙飛行士)の3人みが残る。
(7)生命体(カルビン)との戦いで、④ショウ(日本人男性宇宙飛行士)は宇宙の彼方へ飛ばされて死ぬ。
(8)生命体(カルビン)との戦いで壊れた宇宙船をミランダとデイヴィッドは捨て去ると決める。2機残った救命艇の一方に検疫官ミランダが乗り、もう一方の救命艇にデイヴィドが乗る。デイヴィドが生命体(カルビン)を自分の救命艇に誘い込む。
(9)異星生命体の地球への侵入を防ぐため、デイヴィドの救命艇は生命体(カルビン)を載せたまま宇宙に飛び去り戻ってこない設定をする。検疫官ミランダの救命艇のみが地球に戻るよう設定される。
(10)ところが両救命艇が接触し、⑤検疫官ミランダの救命艇の方が宇宙に飛び去ってしまった。異性生命体(カルビン)を載せた⑥デイヴィドの救命艇が地球に帰着した。着水した救命艇のハッチが外部から開かれる・・・・

《感想1》異星生命体(カルビン)はあらゆる動物を襲い栄養として吸収する。異星生命体は地球上でおそらく急速に増殖し個体を増やしていくだろう。かくて地球は異星生命体(カルビン)が支配する星となるだろう。人類は生き残るために異星生命体(カルビン)と総力で戦い続けねばならないだろう。
《感想2》異星生命体(カルビン)は強力で知能も優秀なので、人間は強固な遮蔽建築物内に住まないと、異星生命体(カルビン)に襲われ殺される。強固な遮蔽建築物が供給されなければ、人間はほぼすべて食われ殺されるだろう。
《感想3》アンハッピーエンドな映画だ。


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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(88)-2 百田氏の誤り②:昭和天皇は「自らの意見」を何度も述べた!③:政治的な決断(親裁)を下したのは二度でなく三度だ!

2021-08-12 12:53:52 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「敗戦と戦争」の章(315-384頁)  

(88)-2 百田氏の誤り②:昭和天皇は「自らの意見を口にすることはなかった」と言うのは全くの誤りだ! (343頁)
G-3  「昭和天皇の戦争責任」に関して百田尚樹『日本国紀』は「昭和天皇は御前会議の場でも基本的に閣僚たちの意見を聞いているだけで、自らの意見を口にすることはなかった。そして内閣の決めたことに対して異議を挟まなかった」(百田419頁)と述べる。だがこれは誤りだ。
G-3-2  百田氏の誤り②:昭和天皇は「自らの意見を口にすることはなかった」と言うのは全くの誤りだ。(343頁)
Cf. 昭和天皇が何度も自らの意見を口にしたことは、「史料的にも確認できるだけでなく、昭和天皇ご本人が『昭和天皇独白録』の中で述べている」。(311頁)
G-3-3  例えば、昭和天皇は「統帥権者」としては、(ア)マレー半島の攻撃に対して「タイの領域を通過することは認めない」という指示を出している。また(イ)「沖縄戦などに関して軍部に意見も述べている」。(343頁)
Ex. 1945年4月沖縄に上陸した米軍に対し、圧倒的兵力差を見て牛島中将は沖縄にあった二つの飛行場を放棄。本島南部での「持久戦」へと方針変更した。米軍はあっさりと飛行場を占拠。これに対し昭和天皇が「現地軍はなぜ攻勢に出ぬか」と「疑問」を呈した。大本営は第32軍に攻勢の要望を出すが、結局大損害を被った。(298頁)

(88)-3 百田氏の誤り③:昭和天皇が政治的な決断(親裁)を下したのは、二度でなく三度だ!(343-344頁)
G-4 百田氏は「昭和天皇がその生涯において(※正確には1926年-1945年において)、政治的な決断(親裁)を下したのは、二・二六事件と終戦の時だけであった」(百田419頁)と述べる。
G-4-2 百田氏の誤り③:だが上記の百田氏の説明は誤りだ。昭和天皇が政治的な決断(親裁)を下したのは、二度でなく三度だ。浮世氏が言う。「近現代史の一般論としては、これらの二度に『張作霖爆殺事件』を加えた『三回』と指摘するのが普通だ」。(344頁)
Cf. 張作霖爆殺事件(1928年)に関し、昭和天皇が「田中[義一首相]に対しては、辞表を出さぬかといつた」と述べている。(311頁)
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