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浮世博史『もう一つ上の日本史、近代~現代篇』(89) 百田氏の誤り①:「WGIP」を「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」と訳すのは「陰謀論」の立場で誤りだ!

2021-08-14 18:24:11 | 日記
※浮世博史(ウキヨヒロシ)「もう一つ上の日本史、『日本国紀』読書ノート、近代~現代篇」(2020年)「敗戦と戦争」の章(315-384頁)  

(89)百田氏の誤り①:「WGIP:War Guilt Information Program」を「戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」と訳すのは主観的過ぎor陰謀論の立場であり誤りだ! (346-347頁)
H 百田尚樹『日本国紀』は「GHQが行った対日占領政策のなかで問題にしたいのが・・・・『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム』(WGIP:War Guilt Information Program)である。これは・・・・『戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画』である」(百田421頁)と述べる。 
H-2 百田氏の誤り①:「WGIP:War Guilt Information Program」を「戦争についての罪悪感を、日本人の心に植え付けるための宣伝計画」と訳すのは主観的過ぎて誤りだ。(この主観過ぎる訳は江藤淳1932-1999による。)主観を入れず普通に訳せば、「戦争責任を伝える計画」だ。(347頁)
Cf. ヴェルサイユ条約第231条は通称「War Guilt Clause」と呼ばれ、「戦争責任条項」だ。「戦争についての罪悪感条項」と訳すことはない。(347頁)
H-2-2 百田氏はWGIPは、「罪悪感」を日本人の「心に植え付ける」「宣伝計画」だとすると「陰謀」論の立場に立つ。つまり戦後、「日本の戦争を否定的に捉える歴史観」(373頁)が多数派であるような「状況」をもたらしたのは、「GHQのWGIP」という「陰謀」が唯一の原因だとする。(347頁)

《感想1》「陰謀論」は、一定の「状況」(結果)が生じた原因は唯一、ある者(たち)の悪意ある「陰謀」に基づくとする。だが実際には、「状況」(結果)が生じた原因は唯一でなく、多数ある。
《感想1-2》百田氏は「日本の戦争を否定的に捉える歴史観」(373頁)が多数派であるような戦後の「状況」は、「GHQのWGIPという陰謀」が唯一の原因だ、つまりそのような「歴史観」は「アメリカによって占領期間中に押し付けられたものだ」(373-374頁)と主張する。百田氏は「陰謀論」の立場だ。

《感想1-3》戦後、「日本の戦争を否定的に捉える歴史観」が多数派である「状況」が生じた原因は、多数ある。
(ア)「事実」として、戦前の「検閲」「言論・思想の弾圧」「言論統制」「報道管制」「軍国主義的教育」(374頁)は《ひどい》ものだった。かくて日本or日本国民は、《合理的な選択》が出来ず、「政府や軍部」(349頁)が「無謀な」戦争に突入した。これが「日本の戦争を否定的に捉える」戦後の「状況」をもたらした原因のひとつだ。
(ア)-2 ここで《ひどい》とは「言論・思想の自由」という普遍的価値に反するという意味だ。なお百田氏も「言論・思想の自由」を守るべき普遍的価値と考えている。
(イ)日本の戦況の悪化からの厭戦的気分、「大本営発表」への疑い、空襲による被害・殺戮、ついには原爆による大量殺戮等々。さらに戦後の食糧難、焼跡生活。これらが、「戦争はこりごりだ」と国民の多くに思わせた。こうした国民の気持ちも「日本の戦争を否定的に捉える」ようになった原因のひとつだ。Cf. かくて「進駐軍」に対し「日本人の多くが好意的で協力的であった」。(352頁)
(ウ)「軍部」への批判・憎悪は、軍幹部たちが敗戦後、「軍需物資」(352頁)を隠匿し私物化したことにも向けられた。これも「日本の戦争を否定的に捉える」ようになった原因のひとつだ。
(エ)アメリカ軍が「鬼畜米英」でなかったことも、日本人の多くが、戦前の「政府や軍部」(349頁)の宣伝の嘘を印象付けた。アメリカ人は「陽気」で(353頁)、マッカーサーは人気があった。「政府や軍部」は国民を騙したのだ。これも「日本の戦争を否定的に捉える」ようになった原因のひとつだ。
(オ) 第二次大戦で死没した日本兵の大半は飢餓や栄養失調によるものだった。(Cf. 藤原 彰『餓死した英霊たち』2001年)多くの復員した兵士たちが戦争の地獄のような実態を知っている。また自分たちが行った残虐行為も知っている。彼ら多くの復員兵士の気持ちも「日本の戦争を否定的に捉える」ようになった原因のひとつだ。
(カ)戦時中、「大東亜戦争」が連呼され「大東亜共栄圏」が謳われる国家総動員体制の下、苦しい生活に耐えた国民の気持ちも「日本の戦争を否定的に捉える」原因のひとつだ。(354-355頁)
(キ)そもそも日本国民は民主主義or立憲主義を求めてきたのであり、その結果「大日本帝国憲法」も作られた。戦争中も、底流として民主主義を求める気持ちは日本国民の多くにあった。それも、戦後、「日本の戦争を否定的に捉える」原因のひとつだ。(356頁)(Cf. ポツダム宣言10条は「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」と述べる。)
(ク)「日本の戦争を否定的に捉える歴史観」(373頁)が多数派である「状況」をもたらした、百田氏が言うところの「GHQのWGIPという陰謀」は実は1952年日本の独立(占領の終了)によって無力となった。その後も《自由》な、つまり《自由意志》をもち、「民主主義」に生きる日本国民の多くが、「日本の戦争を否定的に捉える」見解を支持し続けた。日本国民がそうしたのは、「洗脳」(347頁)の結果などでなく、日本国民の《自由》な、つまり《自由意志》に基づく選択の結果だ。(Cf. 『日本国紀』2000年刊:すでに占領から68年が経っている。)

Cf. (1) 『餓死した英霊たち』の著者である 藤原彰氏(1922-2003)は、陸軍士官学校(55期)卒であり、中国戦線で中隊長として大陸打通作戦に参戦するなど中国大陸を転戦し、戦後、歴史家として昭和史・アジア太平洋戦争を研究した。
Cf. (2) アジア太平洋戦争における日本人の戦没者数は310万人(軍人軍属230万人、外地での一般人戦没者30万人、内地での戦災死者50万人)とされる。この他に日本によるアジア人の死者数は2000万人にのぼる。
Cf. (3)日本軍の死者の過半数は飢死(ウエジニ)だった。飢死には食物が全く摂れない結果の「完全餓死」と、栄養不足が原因の病気(マラリア、赤痢、デング熱等)による「不完全餓死」がある。日本軍の戦闘の特徴は「補給不足」・「現地調達」による「不完全餓死」の多発にある。これが帝国陸海軍の本質だった。
Cf. (4) 藤原彰氏の著書は(a)餓島(ガダルカナル島)の実例に始まって、(b)南方、大陸を問わず、糧秣、武器、医薬品、輸送手段など兵站・補給を無視した戦闘を命令された将兵を網羅的に描く。(c)特に飛び石作戦で無視された島の兵の放棄!(d)餓死、戦病死の続出は局地的な愚行ではなく、恒常的に繰り返された。(e)本書にはないが輸送船での海没死も多かった。(軍指導層は輸送船にほとんど護衛をつけなかった。)
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