DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

 [怖い話] ヒグマとハイイログマ

2018-06-12 23:52:26 | 日記
パークレンジャーがハイカー達に、以下、警告する。 A park ranger warns some hikers as follows.
皆さんは鈴を身につけ、鳴らしてください。 You should wear bells and let them ring.
ヒグマは鈴が鳴るのを聞くと、皆さんと会わないよう立ち去ります。 Brown bears hear bells ringing and go away in order not to encounter you.
しかしハイイログマは、立ち去らず皆さんを襲います。 However grizzly bears don’t go away and attack you.
だから彼らの糞を地面に見つけたら、皆さんは逃げなければなりません。 Therefore when you find their droppings on the ground, you have to go away.
ハイカーの一人がたずねる。「どうやって糞がハイイログマのものだと分かるのですか?」 One of hikers asks the park ranger, “How can I recognize the droppings belong to grizzly bears?”
パークレンジャーが答える。「彼らの糞には多くの鈴が含まれています。」The park ranger replies, “Their droppings include many bells.”

《感想》
怖い話だ。鈴をつけた多くのハイカーたちが、すでにハイイログマに食べられたのだ。パークレンジャーは、「この地域にはハイイログマが居るので、歩くのはやめ、車に乗って行くべきです」と言うべきだ。
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山白朝子(1978-)「〆(シメル)」(2009年):魔術的世界には、物理的原因と別に、超/非科学的・魔術的原因がある!(なぜ人面魚が存在するかの問題)

2018-06-12 22:52:57 | 日記
(1)
友人・和泉蠟庵の供(トモ)をして、「私」は旅行した。
(2)
その途中、1羽の鶏に偶然出会い、それに餌をあげたところ、そのあとずっと私たちの後をついてきた。白くきれいで可愛い鶏だ。鶏が歩くのが大変そうなときは、私が抱えたり、自分の持つ袋に鶏を入れて、運んでやったりした。私は、その鶏が好きになった。この鶏に私は「小豆」という名前を付け、かわいがった。
(3)
ある時、私たちは、険しい山道を上った。上まで登り切ったら、そこは海だった。おかしいと思ったが、蠟庵は、地理感覚に疎いせいか、「気のせいだろう」と不思議とも思わない。
(4)
夜、村はずれの空き屋に泊まる。私は、多くの者たちから見られている気配がして、いやな気分だった。よく見ると、板戸、天井、柱、木の床の木目に、「人の顔の模様」(パレイドリア)があった。蠟庵は、「模様だ」と言って、全く気にしない。
(5)
翌日、村人が魚の干物を分けてくれたが、魚の顔が、まるで人の顔のようだった。怖くて自分は食べられなかった。海で生きた魚を捕れば、それらの魚も人間の顔だ。(人面魚!)生えている木にも、石ころにも、家の壁にも、野菜にも、あらゆる物に人の顔がある。蠟庵は、やはり、「そういう模様・形だ」と気にしない。
(6)
私は病気になった。怖くて何も食べられない。生きた魚の調理は、小さな生きた人を、切り裂き、ぶつ切りににして、煮るようだった。この時も、蠟庵は、「人の顔でなく、模様・形にすぎない」と全くとりあわない。
(6)
ついに私は飢餓状態となり、意識がもうろうとし、死ぬ、一歩手前になる。そのとき、はたと気づく。「小豆」(鶏)がいたではないか。私は、「小豆」の首を絞めて殺し(「〆(シメル)」)、調理して食べる。私は、飢え死にをまぬかれ、病気も治った。蠟庵は、「小豆」がかわいそうだと、その骨を拾い集め袋に入れ、持って行くことにした。
(7)
すぐ、私たちは、その村を立った。途中、私は、「小豆」が不憫(フビン)になった。私は「小豆」の骨の袋を、蠟庵から渡され、その骨を見て泣いた。

《感想1》
魔術が支配的な社会or時代だったら、人の顔の模様や形(パレイドリア)は、単なる物理的世界(自然)の偶然でなく、超物理的・魔術的な原因が探されるだろう。
《感想1ー2》
魔術的世界では、木目の人の顔は、模様でなく、まさしく人の顔だ。模様が、叫んだり泣いたりしてもおかしくない。魔術的世界には、物理的原因と別に、超/非科学的・魔術的原因があるからだ。
《感想1ー3》
その場合、人面の魚は、超/非科学的・魔術的に、例えば死んだ人間の生まれ変わりとされる。
《感想1ー4》
「私」は、超/非科学的・魔術的見解に影響を受けるが、蠟庵は科学的・非魔術的だ。蠟庵は、「この世」つまり物理的世界の外にでない。「この世」的な物理的原因と別に、「あの世」的な、超/非科学的・魔術的原因があると考えない。
《感想2》
あの可愛い白い鶏「小豆」は、優美な少女の生まれ変わりだったかもしれない。超/非科学的・魔術的見解に惹かれる「私」は、人間の生まれ変わりを食べたかもしれないと、自己嫌悪し、かつ謝罪する。
《感想2ー2》
あるいは、「小豆」を食べた「私」は、《かわいがっていたペットの例えば犬を、自分の飢餓を満たすため食べた》のと同じだと思い、自己嫌悪し「小豆」(ペット)に謝り泣く。
《感想2ー3》
参考:大岡昇平の小説『野火』は、飢餓状態で日本兵が戦友の肉を食べる話だ。武田泰淳『ひかりごけ』も食人事件を描く。
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