(1)
京都・北野天満宮の初天神と寺社巡りツアー(2泊3日)に、東京から、私(幸世、60歳)と高校の同級生の智子が、参加した。
(2)
智子はずっと独身。私(幸世)(1937ー)は、結婚したかったが、父(1911ー1996)の世話をして婚期を逃し、独身。父が昨年亡くなった。(1996年、85歳)父は、昔の男で、家では、何から何まで母にやってもらい、自分では何もできなかった。
《感想1》
幸世の父は、典型的な昔の男(M44生まれ)だ。家のことは何も知らず、一人では暮らせない。
(3)
母がいないと父はお茶も飲めず、食事にもこと欠く。母は旅行などできなかった。母は52歳で、癌で亡くなった。「母の一生は何だったのだろう。子を産み育て、夫の世話に明け暮れするのみだった生涯」と幸世は思う。
《感想2》
「子を産み育てること」を、このように否定的に評価する根拠がどこにあるのか?「子を産み育てること」より重要な、何か特別な出来事が、人生にあるのか?いずれの人生も、喜び怒り悲しみ楽しみなど、感情生活があるだけではないのか?
《感想3》
夫の世話をすることは、夫との人間関係だ。人生は、諸人間関係だ。問題は、誰とどういう関係を作り出すかだ。母親は、こういう父親を好きだったかもしれない。好ましい人間関係か、そうでないかだけが問題だ。好ましい人間関係であったとしたら、「夫の世話に明け暮れする」ことを、否定的に評価するのは、変だ。
(4)
母が52歳で死んだとき(1964年)、幸世は27歳だった。父親は53歳だった。母が死ぬまでは、幸世に、縁談が色々あったが、父一人娘一人となると縁談は遠のいた。また、話が進展しかけると、父が必ず難癖をつけた。父は、娘が自分の許から離れていくのを、極度に恐れていた。
(4)-2
幸世が53歳の時(1990年)、《妻に死なれて息子2人を抱え苦労する56歳の槙原》との縁談があった。幸世は結婚したかったが、父親(79歳)のことを心配し、結局やめた。父にしてみれば、《親の世話をするのは当たり前、親を捨てて他人の面倒を見るなど到底許せない》のだ。その2年後、1992年、81歳で父は脳出血、寝たきりとなるが、入院は頑強に拒んだ。5年間の在宅看護の後、父は1996年、85歳で亡くなった
《感想4》
娘が結婚したいのに、それを許さない父親。実は、父親は、一方で、人前では外聞を考慮し「いい話なら結婚して貰いたい」と言う。(社会の新しい価値観を否定できない!)ところが、他方で、父親のこれまで身についた価値観は強固だ。娘が親の世話をするのはあたりまえで、父親を捨てて結婚するなどもってのほかだ。(父親の昔ながらの古い価値観!)父親の価値観(感情&倫理)が分裂するが、結局、父親の心の中で勝利するのは、昔ながらの古い価値観だ。
(5)
今(1997年)、幸世(60歳)は、ようやく父親から解放された。
《感想5》
女性の60歳は若い。これから恋もできる。胸がときめくときがあるだろう。肉体の恋も可能だし、精神の恋も可能だ。幸世という女性は、自由になったのだ。これまで結婚したかったのだから、恋をし、実質的に結婚(同居)すればいい。
《感想5ー2》
法律婚は、財産(相続)問題があるので、やめる。事実婚、パートナーとの同居、相手の家を訪れるなど、恋or結婚(同居)の形式は、いろいろ可能だ。
(6)
今回の初天神と寺社巡りツアー(2泊3日)に、ずっと、つまらなそうに参加している70歳過ぎの金持ち風の女性がいた。幸世は、その女性の事を、ずっと気にしていた。その女性は、誰とも打ち解けず、見学もほとんどせず、バスに座っているだけだった。ツアーの最後に、幸世が声をかけた。するとその70歳過ぎの女性が答えた。「嫁は私に家にいてほしくないので、勝手にツアーに申し込むんです。」
(6)-2
「家に居られない年寄りだ」と、父が昔、公園のベンチに並ぶ年寄りを見てよく言っていた。しかし、彼らは、仲間が居るのだから幸せかもしれないと、幸世は思う。
《感想6》
「家に居られない年寄り」といっても色々ある。
①夫婦二人暮らしで、一年中、家で顔つき合わせているのも、大変だ。かくて家に居ない。《夫婦の衝突回避型》
②嫁さんに、嫌われ、いびり出される義理の父母、つまり舅・姑。追い出され型。(Ex. 上述のツアーでつまらなそうにしている70歳過ぎの女性。)《いびられて家に居られない型》
③単純に家が狭い。家にいると狭苦しい。《狭いところ嫌い型》
④家にいるより、出かけた方が楽しい。仲間もいる。気晴らしにもなる。歩けば健康にいい。《外出楽しい型》
京都・北野天満宮の初天神と寺社巡りツアー(2泊3日)に、東京から、私(幸世、60歳)と高校の同級生の智子が、参加した。
(2)
智子はずっと独身。私(幸世)(1937ー)は、結婚したかったが、父(1911ー1996)の世話をして婚期を逃し、独身。父が昨年亡くなった。(1996年、85歳)父は、昔の男で、家では、何から何まで母にやってもらい、自分では何もできなかった。
《感想1》
幸世の父は、典型的な昔の男(M44生まれ)だ。家のことは何も知らず、一人では暮らせない。
(3)
母がいないと父はお茶も飲めず、食事にもこと欠く。母は旅行などできなかった。母は52歳で、癌で亡くなった。「母の一生は何だったのだろう。子を産み育て、夫の世話に明け暮れするのみだった生涯」と幸世は思う。
《感想2》
「子を産み育てること」を、このように否定的に評価する根拠がどこにあるのか?「子を産み育てること」より重要な、何か特別な出来事が、人生にあるのか?いずれの人生も、喜び怒り悲しみ楽しみなど、感情生活があるだけではないのか?
《感想3》
夫の世話をすることは、夫との人間関係だ。人生は、諸人間関係だ。問題は、誰とどういう関係を作り出すかだ。母親は、こういう父親を好きだったかもしれない。好ましい人間関係か、そうでないかだけが問題だ。好ましい人間関係であったとしたら、「夫の世話に明け暮れする」ことを、否定的に評価するのは、変だ。
(4)
母が52歳で死んだとき(1964年)、幸世は27歳だった。父親は53歳だった。母が死ぬまでは、幸世に、縁談が色々あったが、父一人娘一人となると縁談は遠のいた。また、話が進展しかけると、父が必ず難癖をつけた。父は、娘が自分の許から離れていくのを、極度に恐れていた。
(4)-2
幸世が53歳の時(1990年)、《妻に死なれて息子2人を抱え苦労する56歳の槙原》との縁談があった。幸世は結婚したかったが、父親(79歳)のことを心配し、結局やめた。父にしてみれば、《親の世話をするのは当たり前、親を捨てて他人の面倒を見るなど到底許せない》のだ。その2年後、1992年、81歳で父は脳出血、寝たきりとなるが、入院は頑強に拒んだ。5年間の在宅看護の後、父は1996年、85歳で亡くなった
《感想4》
娘が結婚したいのに、それを許さない父親。実は、父親は、一方で、人前では外聞を考慮し「いい話なら結婚して貰いたい」と言う。(社会の新しい価値観を否定できない!)ところが、他方で、父親のこれまで身についた価値観は強固だ。娘が親の世話をするのはあたりまえで、父親を捨てて結婚するなどもってのほかだ。(父親の昔ながらの古い価値観!)父親の価値観(感情&倫理)が分裂するが、結局、父親の心の中で勝利するのは、昔ながらの古い価値観だ。
(5)
今(1997年)、幸世(60歳)は、ようやく父親から解放された。
《感想5》
女性の60歳は若い。これから恋もできる。胸がときめくときがあるだろう。肉体の恋も可能だし、精神の恋も可能だ。幸世という女性は、自由になったのだ。これまで結婚したかったのだから、恋をし、実質的に結婚(同居)すればいい。
《感想5ー2》
法律婚は、財産(相続)問題があるので、やめる。事実婚、パートナーとの同居、相手の家を訪れるなど、恋or結婚(同居)の形式は、いろいろ可能だ。
(6)
今回の初天神と寺社巡りツアー(2泊3日)に、ずっと、つまらなそうに参加している70歳過ぎの金持ち風の女性がいた。幸世は、その女性の事を、ずっと気にしていた。その女性は、誰とも打ち解けず、見学もほとんどせず、バスに座っているだけだった。ツアーの最後に、幸世が声をかけた。するとその70歳過ぎの女性が答えた。「嫁は私に家にいてほしくないので、勝手にツアーに申し込むんです。」
(6)-2
「家に居られない年寄りだ」と、父が昔、公園のベンチに並ぶ年寄りを見てよく言っていた。しかし、彼らは、仲間が居るのだから幸せかもしれないと、幸世は思う。
《感想6》
「家に居られない年寄り」といっても色々ある。
①夫婦二人暮らしで、一年中、家で顔つき合わせているのも、大変だ。かくて家に居ない。《夫婦の衝突回避型》
②嫁さんに、嫌われ、いびり出される義理の父母、つまり舅・姑。追い出され型。(Ex. 上述のツアーでつまらなそうにしている70歳過ぎの女性。)《いびられて家に居られない型》
③単純に家が狭い。家にいると狭苦しい。《狭いところ嫌い型》
④家にいるより、出かけた方が楽しい。仲間もいる。気晴らしにもなる。歩けば健康にいい。《外出楽しい型》