DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

中原中也(1907-1937)「風雨」:悲しみに打ちのめされ呆(ホオ)ける私に、「思ひ出」(「ありし日」)は、①ぼやけ不分明で、②ふと浮かび上がり、③しかも私を欺く!

2018-06-03 22:06:06 | 日記
 風雨 Wind and rain

雨の音のはげしきことよ Ah, sounds of rain are hard.
風吹けばひとしほまさり When wind blows, they become much harder.
風やめば つと和(ナゴ)みつつ When wind stops, they suddenly become weakened.

雨風のあわただしさよ Ah, rain and wind are busy.
悲しみに呆(ホウ)けし我に、 ------I am dull because of my sadness.
雨風のあわただし音(ネ)よ Therefore, sounds of rain and wind are busy.

悲しみに呆(ホウ)けし我の As I am dull because of my sadness,
思ひ出のかそけきことよ my memories are faint.
それににて巷(チマタ)も家も Similar to that, a town and houses look
雨風にかすみてみゆる blurred because of rain and wind.

そがかすむ風情(フゼイ)の中に In the situation that a town and houses become blurred,
ふと浮むわがありし日よ my old days accidentally come to mind.
風の音にうちまぎれつつ Secretly mixing with sounds of wind,
ふとあざむわがありし日よ my old days accidentallly deceives me.

《感想1》
雨の音が激しい。風が吹けば音は一層激しくなり、風がやめば音は弱まる。そのあわただしさ!
《感想2》
《私の心は悲しみで無気力に呆(ホウ)けている》から、雨風のあわただしさが際立つ。
《感想3》
私の心は悲しみで無気力に呆(ホウ)けているから、《思い出が①不分明だ》。
思い出の不分明さを、雨風にかすむ街と家の不分明さが連想させる。
《感想4》
雨風にかすむ街と家の不分明さの中に、《私の「ありし日」が②ふと浮かび上がる》。
そして激しい風の音にまぎれて、《私の「ありし日」が③ふと私を欺く》。
《感想5》
私は悲しみに満ちる。「思ひ出」(「ありし日」)は①不分明だ。
不分明なまま「思ひ出」(「ありし日」)が、②ふと浮かび上がる。
その時、「思ひ出」(「ありし日」)は不分明つまりぼやけているのに、③私をふと欺く。
《感想5-2》
悲しみに打ちのめされ呆(ホオ)ける私に、「思ひ出」(「ありし日」)は、①ぼやけ不分明で、②ふと浮かび上がり、③しかも私を欺く。
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高田敏子(1914-1989)「雨の日」(1980年):言葉を《文字通り》に理解し、言葉化されない前提の自明の状況を理解しないことは、《純真》か?or《コミュニケーション能力の不足》か?

2018-06-03 20:39:24 | 日記
 雨の日 A rainy day

雨の降る日 On a day when rain falls,
花壇の花に水をやっている子 a child pours water to a flower at a flower bed.
片手に傘をさして Holding an umbrella with one hand of hers,
如雨露の水を the little girl pours water from a watering can
花にそそいでいる女の子 to a flower.

心身障害児の施設のフィルムに見た A film about an institution of mentally and physically disabled children
女の子の姿を shows the girl.
雨の日に思っている I remember her on a rainy day.

女の子は The girl performs
毎日花壇の花に水をやる仕事を a task to pour water to a flower
果たしているのだ at a flower bed every day.

如雨露の水の A line of a round arc
まろやかな弧の線が of water from a watering can
花をぬらしている wets a flower.
おかっぱの髪をかしげた横顔が A side view of her face with her bobbed hair slanting
花の上に向けられている is directed above a flower.

あの花に 私はなりたい I want to become that flower.

《感想1》
女の子が、雨の降る日に、花壇の花に、傘をさし、如雨露で水をやっている。不思議な情景。雨の日に、花壇の花に、水をやる必要はない。
《感想2》
その女の子は心身障害児だ。彼女は、《雨の日に、花壇の花に、水をやる必要がない》と、理解できない。
彼女に与えられた仕事は、「毎日花壇の花に水をやる」ことだ。
彼女は指示通りに仕事を遂行した。彼女は真面目だ。
《感想3》
彼女に、「雨の日を除いて、毎日花壇の花に水をやる」ことと、仕事の内容を指示したら、彼女は《雨の日に、花壇の花に、傘をさし、如雨露で水をやる》ことはなかったろう。
《感想4》
彼女は真面目だ。彼女は、雨の日で、《花に水をやることが不要》なのに、花に水をやる。
《感想5》
詩人は「あの花に 私はなりたい」と言う。なぜだろう?
《感想5-2》
心身障害のある女の子が、仕事の内容についての言葉による指示を、前提とする自明の状況(花壇の花に水をやるのは雨でない日だ)と無縁に、《文字通りに遂行する》ことに関し、詩人は、《純真》(精神の純情)と解釈したのだ。
《感想5-3》
女の子は、仕事の遂行に関し確かに《真面目》だ。(仕事の内容についての言葉による指示を、遂行する。)
《感想5-4》
その上、この女の子は、言葉による指示を、《文字通りに》遂行する。
女の子は、言葉を《文字通り》に理解し、したがって《その言葉が前提する、言葉化されない前提の自明の状況》を理解しない。
詩人は、言葉を《文字通り》にのみ理解することを、《純真》(純情)と考える。
《感想5-4》
だが、このような言葉の単に《文字通り》の理解は、《言語の理解力の不足》《コミュニケーション能力の不足》だとも言える。
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