のちのおもひに On the thought after our encounter
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に A dream always got back to a lonely village under the mountain
水引草に風が立ち through a forest-road in the very quiet afternoon
草ひばりのうたひやまない where a wind blew against a jumpseed,
しづまりかへつた午さがりの林道を and grass crickets continued to sing.
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた The sun beautifully shone in the blue sky, and the volcano slept.
──そして私は And I cotinued to talk
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を about what I saw, that is, islands, waves, capes, the sunlight and the moonlight,
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた…… though I knew that no one heard me.
夢は そのさきには もうゆかない The dream doesn't go beyond it any more,
なにもかも 忘れ果てようとおもひ when I intend to completely forget everything
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには and I forget that I have wholely forgotten everything.
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであろう The dream will freeze inside your reminiscence in the winter.
そして それは戸をあけて 寂寥(セキリョウ)のなかに Then it will open the door, and in sadness,
星くづにてらされた道を過ぎ去るであろう it will pass away on the road illuminated by star dusts.
《感想1》
ここで「夢」とは、過去にあった懐かしい幸福な事態が、未来にも再び実現してほしいと思うこと。その幸福な事態が、かつて「山の麓」の村で生じた。だが、それは失われ、その村は、今はもう「さびしい」。
《感想2》
過去の幸福な事態とは、私が語ることを、つまり見て来たものを私が語る時、それを聞いてくれる人がいたということだ。ところが、今、私は、「語りつづけ」るに、もう「だれもきいてゐない」。
《感想3》
未来に再びあってほしい幸福な事態(「夢」)は、確かに過去にあった事態だが、再び未来に起きることはない。かくて、夢は 「そのさきには もうゆかない」。あの過去で終わった。(第3連1行目)
《感想3-2》
あまりに悲しいので、詩人は、その幸福な過去さえなかったことにしたい。「なにもかも 忘れ果てようとおも」う。さらに「忘れつくしたことさへ 忘れてしま」いたい。(第3連2-3行目)
《感想3-3》
懐かしい幸福な事態が過去にあったことさえ、忘れた場合、その過去の事態が、未来に再びあってほしいと思うこと(「夢」を持つこと)そのものが生じない。つまり「夢」そのものが成立しない。(第3連2-3行目(続))
《感想4》
詩人は、第4連で「夢は 真冬の追憶のうちに凍る」と言う。しかし、第3連2-3行目のように、幸福な事態が過去にあったことさえ忘れたら、実は「追憶」も生じない。そして「夢」そのものが、そもそも生起しない。つまり第4連は、第3連2-3行目を前提していない。あるいは、第3連2-3行目を前提したら、第4連の言明は成立しない。
《感想4-2》
かくて詩人は、まだ、あの幸福だった事態を忘れていない状況に戻る。(第3連1行目)だが、その過去(これを未来に投影すれば「夢」)の事態が、再び生起することはない。この限りでは(つまり第3連1行目のみ前提し、2-3行目を前提しなければ)、「夢は 真冬の追憶のうちに凍る」。
《感想4-3》
実現しない絶望された「夢」は、行き場がない。その「夢」は、思惟の内あるいは心の内に、居場所がない。「夢」は、思惟or心から立ち去る。「夢」は「戸をあけ」て「過ぎ去る」。
《感想4-4》
そして、あの幸福な過去の事態を忘れていない状況では、絶望された「夢」が「過ぎ去る」道は、「寂寥(セキリョウ)」であり、「星くづ」(無価値のくづの星々)が照らすにすぎない。
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に A dream always got back to a lonely village under the mountain
水引草に風が立ち through a forest-road in the very quiet afternoon
草ひばりのうたひやまない where a wind blew against a jumpseed,
しづまりかへつた午さがりの林道を and grass crickets continued to sing.
うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた The sun beautifully shone in the blue sky, and the volcano slept.
──そして私は And I cotinued to talk
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を about what I saw, that is, islands, waves, capes, the sunlight and the moonlight,
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた…… though I knew that no one heard me.
夢は そのさきには もうゆかない The dream doesn't go beyond it any more,
なにもかも 忘れ果てようとおもひ when I intend to completely forget everything
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには and I forget that I have wholely forgotten everything.
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであろう The dream will freeze inside your reminiscence in the winter.
そして それは戸をあけて 寂寥(セキリョウ)のなかに Then it will open the door, and in sadness,
星くづにてらされた道を過ぎ去るであろう it will pass away on the road illuminated by star dusts.
《感想1》
ここで「夢」とは、過去にあった懐かしい幸福な事態が、未来にも再び実現してほしいと思うこと。その幸福な事態が、かつて「山の麓」の村で生じた。だが、それは失われ、その村は、今はもう「さびしい」。
《感想2》
過去の幸福な事態とは、私が語ることを、つまり見て来たものを私が語る時、それを聞いてくれる人がいたということだ。ところが、今、私は、「語りつづけ」るに、もう「だれもきいてゐない」。
《感想3》
未来に再びあってほしい幸福な事態(「夢」)は、確かに過去にあった事態だが、再び未来に起きることはない。かくて、夢は 「そのさきには もうゆかない」。あの過去で終わった。(第3連1行目)
《感想3-2》
あまりに悲しいので、詩人は、その幸福な過去さえなかったことにしたい。「なにもかも 忘れ果てようとおも」う。さらに「忘れつくしたことさへ 忘れてしま」いたい。(第3連2-3行目)
《感想3-3》
懐かしい幸福な事態が過去にあったことさえ、忘れた場合、その過去の事態が、未来に再びあってほしいと思うこと(「夢」を持つこと)そのものが生じない。つまり「夢」そのものが成立しない。(第3連2-3行目(続))
《感想4》
詩人は、第4連で「夢は 真冬の追憶のうちに凍る」と言う。しかし、第3連2-3行目のように、幸福な事態が過去にあったことさえ忘れたら、実は「追憶」も生じない。そして「夢」そのものが、そもそも生起しない。つまり第4連は、第3連2-3行目を前提していない。あるいは、第3連2-3行目を前提したら、第4連の言明は成立しない。
《感想4-2》
かくて詩人は、まだ、あの幸福だった事態を忘れていない状況に戻る。(第3連1行目)だが、その過去(これを未来に投影すれば「夢」)の事態が、再び生起することはない。この限りでは(つまり第3連1行目のみ前提し、2-3行目を前提しなければ)、「夢は 真冬の追憶のうちに凍る」。
《感想4-3》
実現しない絶望された「夢」は、行き場がない。その「夢」は、思惟の内あるいは心の内に、居場所がない。「夢」は、思惟or心から立ち去る。「夢」は「戸をあけ」て「過ぎ去る」。
《感想4-4》
そして、あの幸福な過去の事態を忘れていない状況では、絶望された「夢」が「過ぎ去る」道は、「寂寥(セキリョウ)」であり、「星くづ」(無価値のくづの星々)が照らすにすぎない。