DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

立原道造(1914-39)「のちのおもひに」:過去の幸福な事態が、再び未来に起きない、つまり絶望された「夢」!ただし、幸福な事態が過去にあったことさえ忘れたら、「夢」がそもそも成立しない!

2018-06-07 20:20:29 | 日記
 のちのおもひに On the thought after our encounter
                      
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に A dream always got back to a lonely village under the mountain
水引草に風が立ち through a forest-road in the very quiet afternoon
草ひばりのうたひやまない where a wind blew against a jumpseed,
しづまりかへつた午さがりの林道を and grass crickets continued to sing.

うららかに青い空には陽がてり 火山は眠つてゐた The sun beautifully shone in the blue sky, and the volcano slept.
──そして私は And I cotinued to talk
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を about what I saw, that is, islands, waves, capes, the sunlight and the moonlight,
だれもきいてゐないと知りながら 語りつづけた…… though I knew that no one heard me.

夢は そのさきには もうゆかない The dream doesn't go beyond it any more,
なにもかも 忘れ果てようとおもひ when I intend to completely forget everything
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには and I forget that I have wholely forgotten everything.

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであろう The dream will freeze inside your reminiscence in the winter.
そして それは戸をあけて 寂寥(セキリョウ)のなかに Then it will open the door, and in sadness,
星くづにてらされた道を過ぎ去るであろう it will pass away on the road illuminated by star dusts.

《感想1》
ここで「夢」とは、過去にあった懐かしい幸福な事態が、未来にも再び実現してほしいと思うこと。その幸福な事態が、かつて「山の麓」の村で生じた。だが、それは失われ、その村は、今はもう「さびしい」。

《感想2》
過去の幸福な事態とは、私が語ることを、つまり見て来たものを私が語る時、それを聞いてくれる人がいたということだ。ところが、今、私は、「語りつづけ」るに、もう「だれもきいてゐない」。

《感想3》
未来に再びあってほしい幸福な事態(「夢」)は、確かに過去にあった事態だが、再び未来に起きることはない。かくて、夢は 「そのさきには もうゆかない」。あの過去で終わった。(第3連1行目)
《感想3-2》
あまりに悲しいので、詩人は、その幸福な過去さえなかったことにしたい。「なにもかも 忘れ果てようとおも」う。さらに「忘れつくしたことさへ 忘れてしま」いたい。(第3連2-3行目)
《感想3-3》
懐かしい幸福な事態が過去にあったことさえ、忘れた場合、その過去の事態が、未来に再びあってほしいと思うこと(「夢」を持つこと)そのものが生じない。つまり「夢」そのものが成立しない。(第3連2-3行目(続))

《感想4》
詩人は、第4連で「夢は 真冬の追憶のうちに凍る」と言う。しかし、第3連2-3行目のように、幸福な事態が過去にあったことさえ忘れたら、実は「追憶」も生じない。そして「夢」そのものが、そもそも生起しない。つまり第4連は、第3連2-3行目を前提していない。あるいは、第3連2-3行目を前提したら、第4連の言明は成立しない。
《感想4-2》
かくて詩人は、まだ、あの幸福だった事態を忘れていない状況に戻る。(第3連1行目)だが、その過去(これを未来に投影すれば「夢」)の事態が、再び生起することはない。この限りでは(つまり第3連1行目のみ前提し、2-3行目を前提しなければ)、「夢は 真冬の追憶のうちに凍る」。
《感想4-3》
実現しない絶望された「夢」は、行き場がない。その「夢」は、思惟の内あるいは心の内に、居場所がない。「夢」は、思惟or心から立ち去る。「夢」は「戸をあけ」て「過ぎ去る」。
《感想4-4》
そして、あの幸福な過去の事態を忘れていない状況では、絶望された「夢」が「過ぎ去る」道は、「寂寥(セキリョウ)」であり、「星くづ」(無価値のくづの星々)が照らすにすぎない。
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森見登美彦(モリミトミヒコ)(1979ー)「宵山(ヨイヤマ)姉妹」(2007年):宵山(ヨイヤマ)の夜は、赤い金魚の妖怪が、異界から、小さい子をさらいに来る華やかで不吉な魔法の夜だ!

2018-06-07 09:57:23 | 日記
(1)
三条通にある洲崎バレエ教室に、小学校3年生の私(妹)と4年生の姉が通う。その日は、祇園祭の宵山(ヨイヤマ)だった。レッスンが終わったのは午後5時過ぎ。洲崎先生は寄り道をしないようにと、私たちに言った。
(2)
私は、「人さらい」にさらわれると思い、京都のごたごたと入り組んだ街が、そもそも怖かった。宵山のこの日の夕刻は、露店と群集の熱気にあふれていた。姉は無鉄砲で「カマキリ」、つまり「蟷螂(トウロウ)山」を見ると、街中をずんずん歩き回った。露店の人ごみの中を、私は、姉に一生懸命ついて行った。
(3)
途中、一瞬、私は、笑いさざめきながら、華やかな赤い浴衣を着て、ひらひらと路地を抜けていく女の子たちの一団に、見とれた。女の子たちは、まるで水路を泳ぐ金魚の群れのようだった。すでに、夕闇があたりを薄暗くして、露店が輝いていた。その時、私は、姉を見失い、はぐれてしまった。
(4)
私は、必死に、姉を探しまわった。だが街を、堂々巡りするばかりで、何度も同じ所を通る。疲れて私が、たたずみ、防火用水のバケツの水を眺めると、中に赤い金魚がいた。そこに、あのかわいらしい真っ赤な浴衣を着た女の子たちが寄ってきた。彼女らが、「洲崎バレエ教室まで、案内してあげる」と言った。「そこからなら帰れる」と私は思った。
(5)
夕闇の中、女の子たちに、私はついて行った。女の子たちは、しばしば露店で足を止め、思い思いに商品をとった。女の子たちは代金を払わない。露店の売り手も何も言わない。女の子たちの手は、誰も、ひんやりしていた。私は、早く帰りたかった。だが私たちは、街の一角を、渦を描くように、ぐるぐる回っていた。
(6)
やがて、女の子たちが、「上に行こ。そこでもお祭りやってるから。」「一緒に行かない?」と私を誘った。女の子たちの赤い浴衣(ユカタ)の袖が、鰭(ヒレ)のようにヒラヒラした。私は「やっぱり、うちに帰りたい」と言ったが、女の子たちは何も答えない。女の子たちが、漂うように浮かび上がっていく。私も、身体がふいに軽くなって、空に向かって、浮かびあがった。
(7)
その時、私の足首を誰かが、掴(ツカ)んだ。姉だった。私は我に返り、「お姉ちゃん」と叫んだ。私は、地上に落ちた。「ついてったらあかんでしょう」と姉が言った。あの女の子たちが、笑いながら、上の方に浮かんでいく。女の子たちは、皆、瓜二つの顔をしていた。
(8)
私と姉は、怖くて、一緒に無我夢中で走った。烏丸通に出て、座り込み、しばらく、言葉もなかった。それから、二人はとりとめない話をした。やがて、気持ちが落ち着き、二人は家に帰った。

《感想1》
祇園祭の宵山の非日常的空間で起きた出来事。華やかな金魚の幻想。金魚は、しかし不吉で冷たい体を持つ。また金魚は、人の心と異なる構造の心を持つ。彼らの反応は、人間と異なる。彼らは異界からこの世に現れた。
《感想2》
京都の入り組んだ街並みは、歴史の不吉と闇を潜ませて、そもそも怖い所だ。「人さらい」がいる。それも人間でなく、異界から来た「人さらい」さえいる。
《感想3》
不吉な街に、「笑いさざめきながら、華やかな赤い浴衣を着て、ひらひらと路地を抜けていく女の子たち」が現れる。彼女たちは、妖しい。不吉さを笑い喜び、不吉さを華やかに装い、不吉さに逡巡せずひらひらと楽しむ。妖怪だ。
《感想4》
堂々巡りは、徒労であるが、同時に魔法だ。私は化かされ、堂々巡りする。異界の金魚の妖怪が私を「さらい」にやってきた。
《感想5》
夕闇は、妖怪が出る時間。金魚の女の子たちは、私にだけ見える、他の誰にも見えない。私だけが、魔法にかけられた。彼女らは、変温動物の金魚、かつ妖怪なので、身体が冷たい。
《感想6》
私はついに、体が軽くなり宙に浮かび、この世でない別の世界へ、移動していく。私が「やっぱり、うちに帰りたい」と言っても、金魚の妖怪(女の子)たちは何も答えない。「問答無用」だ。妖怪が命令者だ。
《感想7》
このとき、姉が、私をこの世(現実世界)に引き留めた。魔法は解け、現実世界に私は帰る。異界(あの世)からの「人さらい」に私は連れて行かれるところだった。
《感想8》
宵山(ヨイヤマ)の夜は、赤い金魚の妖怪が、異界から、小さい子をさらいに来る華やかで不吉な魔法の夜だ。
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