(1)
早瀬は、三陸のある村の村長だ。彼はすでに村長4期目だ。彼の最大の悩みは、村営の診療所に医師が来ないことだった。
(2)
14年前、彼が村長に就任した時、村は三陸海岸の陸の孤島と呼ばれ、県下でももっとも貧しい村の代表だった。
(2)-2
早瀬は強引に県・中央に陳情を繰り返し、まず漁港の港湾施設を整備した。さらに酪農事業、鮭の稚魚の放流、アイスクリーム製造、合鴨の飼育など産業振興につとめ、村人の収入は増加した。
(2)-3
また早瀬は、村のリアス式海岸の素晴らしい景観をいかし、観光開発に尽力した。村営の旅宿の建設、観光船の購入など。かくて観光バスが連なってやってくるようになった。村は、海岸に鉄筋5階建てのホテルを建設した。さらに、宿願の鉄道線路敷設も実現した。
(3)
しかし村営の診療所に医師は来ない。村長の早瀬は、盛岡市医師対策室に「医師を探してほしい」という願書を出した。だが、むなしく1年半が経ぎた。
(4)
堂前医師赴任の1年前:今年4月、県庁から一つの情報が入った。積極的に振興策をとる村の現状が、中央紙の日曜版に紹介されたが、その記事を見た千葉県在住の医師・堂前(45歳)から、「村の診療医になってもいい」という問い合わせがあったという。早瀬は、診療所の事務長に資料をもたせ、堂前のもとに行かせた。
(4)-2
7月、早瀬は「堂前の気まぐれかもしれない」と期待がしぼんだ。ところが、堂前から「東京で会いたい」との連絡が早瀬にきた。会ってみると、堂前が、なんと「村の診療医にさせてください」と言った。ただ「家内が反対だ」という。子供が二人いて、上が小学校2年で教育の心配がある。頼りは、「彼女の唯一の趣味が、山野を歩いて植物採集することなので、村への移住に賛成するようになるかもしれない」とのことだった。
(4)-3
晩秋、初雪の日、堂前が夫人を連れて、村を訪れた。堂前によれば、「妻がいちおう、村を見てみたいと言った」とのことだった。
(4)-4
彼らが帰って、村長の早瀬は、あまり期待しなかった。夫人の表情が堅かったからだ。
(4)-5
年が明け、医師・堂前から連絡はなかった。村長の早瀬はすっかりあきらめた。ところが3月中旬、突然、堂前から連絡があり、「3月下旬に、家族全員、そちらに移る」と言う。彼らは、予定通りやってきた。村は歓迎会を催し、村民100名以上が出席した。夫人の表情は、以前と異なり明るかった。
(5)
堂前医師赴任1年目:4月、診療所での医師・堂前は、的確な指示、温厚な人柄など、評判が大変よかった。堂前の小学生の長男は学校になじみ、成績もよかった。野草の採取が趣味の夫人は、村の女や老女の案内で、ひんぱんに山野を歩き回った。
(5)-2
5月、堂前が早瀬を訪れ、「妻には難病があり、3ヶ月に1度、千葉の癌センターに通う必要がある」と伝えた。
(5)-3
夫人は、「村にきてよかった」と口癖のように言っているとのことだった。野草類の採取だけでなく、キノコ類の採取にも夫人は、村人たちと行き、また訪れてくる村の女たちとお茶を飲み、楽しく話をした。
(5)-4
年が明け、堂前と千葉市へ検診に行った夫人が、梅の苗木を買い宅配便で送らせた。早瀬は、そのうちの1本を贈られた。苗木に梅の花が開き、雪が消えると、再び、夫人は嬉々として村の女たちと駕籠を背負い山に入った。
(6)
堂前医師赴任2年目:堂前の次男も、小学校に入学した。夏が過ぎ、やがて枯れ葉が舞うようになった頃、早瀬が久しぶりに堂前の家によると、夫人は部屋で村の女たちとお茶を飲んでいた。しかし、夫人は頬がげっそりとこけ、病状がすすんでいるようだった。間もなく、夫人は千葉市の癌センターに入院した。夫人は白血病だった。
(16)
翌年、寒気が緩み、庭の梅の蕾(ツボミ)がふくらんだ頃、夫人が亡くなった。湘南地方にある夫人の実家で、葬儀が行われた。村長の早瀬と収入役たちが、葬儀に参加した。葬儀の途中、大型バスと6台のマイクロバスが到着した。早瀬は驚いた。それは200名以上の村の者たちだった。彼らは、バスをチャーターし、三陸から湘南まで来た。早瀬は、嗚咽(オエツ)した。
(17)
その間、村の診療所は、休診となる。早瀬は、「これで終わりだ」と思った。「堂前が、村に赴任してきたのは、野草が好きな夫人の死期が迫っていたためだ。そのような特殊な事情がない限り、村にやって来る医師などいない。」早瀬は、医者探しの努力をする気が失せた。
(18)
すでに葬儀から20日が経った。その時、役場に小型タクシーが入ってきた。堂前が降り立つ。「子供たちは妻の実家で預かり、私は、単身赴任で、村の診療所に残ります」と堂前が言った。「妻の葬儀の時に、あんなに多くの人が来てくれました。あれを見たら、村にもどらぬわけに行きません。」堂前医師赴任3年目が始まった。
《感想》
この小説は、「無医村」の問題の制度的解決策を示すものでない。そもそも制度とは、組織化・ルール化された人間行動のことだ。人間行動を支えるのは、動機(目的)、そしてその基礎にある感情だ。この小説は、村の診療所という制度(組織化・ルール化された人間行動)を支える動機(目的)、そしてその基礎にある感情を、描く。
早瀬は、三陸のある村の村長だ。彼はすでに村長4期目だ。彼の最大の悩みは、村営の診療所に医師が来ないことだった。
(2)
14年前、彼が村長に就任した時、村は三陸海岸の陸の孤島と呼ばれ、県下でももっとも貧しい村の代表だった。
(2)-2
早瀬は強引に県・中央に陳情を繰り返し、まず漁港の港湾施設を整備した。さらに酪農事業、鮭の稚魚の放流、アイスクリーム製造、合鴨の飼育など産業振興につとめ、村人の収入は増加した。
(2)-3
また早瀬は、村のリアス式海岸の素晴らしい景観をいかし、観光開発に尽力した。村営の旅宿の建設、観光船の購入など。かくて観光バスが連なってやってくるようになった。村は、海岸に鉄筋5階建てのホテルを建設した。さらに、宿願の鉄道線路敷設も実現した。
(3)
しかし村営の診療所に医師は来ない。村長の早瀬は、盛岡市医師対策室に「医師を探してほしい」という願書を出した。だが、むなしく1年半が経ぎた。
(4)
堂前医師赴任の1年前:今年4月、県庁から一つの情報が入った。積極的に振興策をとる村の現状が、中央紙の日曜版に紹介されたが、その記事を見た千葉県在住の医師・堂前(45歳)から、「村の診療医になってもいい」という問い合わせがあったという。早瀬は、診療所の事務長に資料をもたせ、堂前のもとに行かせた。
(4)-2
7月、早瀬は「堂前の気まぐれかもしれない」と期待がしぼんだ。ところが、堂前から「東京で会いたい」との連絡が早瀬にきた。会ってみると、堂前が、なんと「村の診療医にさせてください」と言った。ただ「家内が反対だ」という。子供が二人いて、上が小学校2年で教育の心配がある。頼りは、「彼女の唯一の趣味が、山野を歩いて植物採集することなので、村への移住に賛成するようになるかもしれない」とのことだった。
(4)-3
晩秋、初雪の日、堂前が夫人を連れて、村を訪れた。堂前によれば、「妻がいちおう、村を見てみたいと言った」とのことだった。
(4)-4
彼らが帰って、村長の早瀬は、あまり期待しなかった。夫人の表情が堅かったからだ。
(4)-5
年が明け、医師・堂前から連絡はなかった。村長の早瀬はすっかりあきらめた。ところが3月中旬、突然、堂前から連絡があり、「3月下旬に、家族全員、そちらに移る」と言う。彼らは、予定通りやってきた。村は歓迎会を催し、村民100名以上が出席した。夫人の表情は、以前と異なり明るかった。
(5)
堂前医師赴任1年目:4月、診療所での医師・堂前は、的確な指示、温厚な人柄など、評判が大変よかった。堂前の小学生の長男は学校になじみ、成績もよかった。野草の採取が趣味の夫人は、村の女や老女の案内で、ひんぱんに山野を歩き回った。
(5)-2
5月、堂前が早瀬を訪れ、「妻には難病があり、3ヶ月に1度、千葉の癌センターに通う必要がある」と伝えた。
(5)-3
夫人は、「村にきてよかった」と口癖のように言っているとのことだった。野草類の採取だけでなく、キノコ類の採取にも夫人は、村人たちと行き、また訪れてくる村の女たちとお茶を飲み、楽しく話をした。
(5)-4
年が明け、堂前と千葉市へ検診に行った夫人が、梅の苗木を買い宅配便で送らせた。早瀬は、そのうちの1本を贈られた。苗木に梅の花が開き、雪が消えると、再び、夫人は嬉々として村の女たちと駕籠を背負い山に入った。
(6)
堂前医師赴任2年目:堂前の次男も、小学校に入学した。夏が過ぎ、やがて枯れ葉が舞うようになった頃、早瀬が久しぶりに堂前の家によると、夫人は部屋で村の女たちとお茶を飲んでいた。しかし、夫人は頬がげっそりとこけ、病状がすすんでいるようだった。間もなく、夫人は千葉市の癌センターに入院した。夫人は白血病だった。
(16)
翌年、寒気が緩み、庭の梅の蕾(ツボミ)がふくらんだ頃、夫人が亡くなった。湘南地方にある夫人の実家で、葬儀が行われた。村長の早瀬と収入役たちが、葬儀に参加した。葬儀の途中、大型バスと6台のマイクロバスが到着した。早瀬は驚いた。それは200名以上の村の者たちだった。彼らは、バスをチャーターし、三陸から湘南まで来た。早瀬は、嗚咽(オエツ)した。
(17)
その間、村の診療所は、休診となる。早瀬は、「これで終わりだ」と思った。「堂前が、村に赴任してきたのは、野草が好きな夫人の死期が迫っていたためだ。そのような特殊な事情がない限り、村にやって来る医師などいない。」早瀬は、医者探しの努力をする気が失せた。
(18)
すでに葬儀から20日が経った。その時、役場に小型タクシーが入ってきた。堂前が降り立つ。「子供たちは妻の実家で預かり、私は、単身赴任で、村の診療所に残ります」と堂前が言った。「妻の葬儀の時に、あんなに多くの人が来てくれました。あれを見たら、村にもどらぬわけに行きません。」堂前医師赴任3年目が始まった。
《感想》
この小説は、「無医村」の問題の制度的解決策を示すものでない。そもそも制度とは、組織化・ルール化された人間行動のことだ。人間行動を支えるのは、動機(目的)、そしてその基礎にある感情だ。この小説は、村の診療所という制度(組織化・ルール化された人間行動)を支える動機(目的)、そしてその基礎にある感情を、描く。