DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

中原中也(1907-1937)「春宵感懐」:「いのち」は、容易に掴まれ、語られ、示(ア)かされることがないはずだと宣言する!

2017-04-24 22:48:40 | 日記
 春宵感懐
 
雨が、あがって、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵(ヨイ)。
 なまあったかい、風が吹く。

なんだか、深い、溜息(タメイキ)が、
 なんだかはるかな、幻想が、
湧(ワ)くけど、それは、掴(ツカ)めない。
 誰にも、それは、語れない。

誰にも、それは、語れない
 ことだけれども、それこそが、
いのちだろうじゃないですか、
 けれども、それは、示(ア)かせない……

かくて、人間、ひとりびとり、
 こころで感じて、顔見合(カオミアワ)せれば
にっこり笑うというほどの
 ことして、一生、過ぎるんですねえ

雨が、あがって、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあったかい、風が吹く。

《感想1》
春の宵は、変転の時。雨は降るのをやめる。無風が風に変わる。雲は動く。照っていた月が見えなくなる。
そして、それは、なまあったかく不気味な時である。
《感想2》
このとき深いため息、また、はるかな幻想が湧く。それは掴めないし、語れない。
そのようなものが、「いのち」である。「いのち」は、示(ア)かされることがない。
《感想2-2》
掴めず、語れず、示(ア)かされない「いのち」は、変転する不気味なもの!
《感想3》
人は誰も「いのち」を感じて生きる。しかしそれは、掴めず、語れず、示(ア)かされない。
とすれば、その変転と不気味さへの不安を抱えながら、人は、互いににっこり笑い合うことで、耐える。
そのようにして、一生が過ぎる。
《感想4》
今夜は、なまあったかく不気味な春の宵。掴めず、語れず、示(ア)かされない「いのち」の不気味な変転にふさわしい。
《感想5》
だが、「いのち」は、変転もしないし、不気味でもない。「いのち」など、容易に掴まれ、語られ、示(ア)かされる。これこそ、日常の社会的・経済的・政治的等々の生活内部での「いのち」である。
これにたいし、詩人は、「いのち」は、そのようなものでないと、宣言する。

 MY FEELING AT NIGHT IN SPRING

The rain stops, and a wind blows. Clouds drift, and hide the moon.
Everyone! Tonight is a night in spring. A warm wind blows.

Strangely, a deep sigh, or strangely, a far illusion appears, but it cannot be captured.
No one cannot talk about it.

Though no one cannot talk about it, it is really called a sprit, isn't it?
However, it cannot be revealed・・・・
 
Therefore, as for humans, each of them feels in the intimate heart, and smiles while meating each other.
In such a way, they live their life.

The rain stops, and a wind blows. Clouds drift, and hide the moon.
Everyone! Tonight is a night in spring. A warm wind blows.
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