対馬藩時代に翻弄された藩主
日本防衛(蒙古来襲)の観点から宗氏が対馬に派遣され、その後600年間対馬を゙治めされました。1第19代宗義智は対馬藩藩主に任命され、その時のことであります。
それまで朝鮮と振興を重ねる友好関係にありましたが、秀吉の命により先人を切って朝鮮に攻め入る命令を受け、命に逆らえず侵略。
その結果、当然ながら朝鮮との関係は断絶。
その後、徳川の時代となり、今度は朝鮮との友関係を結ぶよう政権より求められ、当時の藩主(19代宗義智)は、たまったもんでありません。
侵略せよとか!友好関係になれとか、家臣の辛さか…義智は、朝鮮から侵略の詫び状を出せと言われてと政権は出す訳もありません。
苦悩の末、詫び状・落款を偽造し朝鮮に提出して事なきを得た。
その後、朝鮮使節団を迎え友好関係を結んだとか…19代宗義智の苦悩が身にしみます。
藩主宗家の菩提寺万松院にある墓を見ても、19代の墓が質素であるのに対し、19代以後は栄華を極めた20代21代の墓が立派な事か…
ちなみに現在宗家37代「宗中正氏」は千葉県柏市の麗澤大学で教授をいておられるそうです。
以上終