住職の独り言

~ご縁に触れて~

今年も宜しくお願い申し上げます。

2024年01月02日 | 独り言

光壽無量慶賀光新年

あけましておめでとうございます。

皆さまにおかれましては、 お慈悲の中で新年をお迎えのこととお慶び申しあげます。

私たちは、地球という大きな生命体に乗り合わせた一人一人です。

光壽無量 我は宇宙の いのちなり

私は昨年、念願叶って平泉中尊寺金色堂へお参りしてきました。

金色堂は平泉世界遺産「平泉の文化遺産」のシンボルであり、国宝第一号に指定されたお堂で、阿弥陀さまの極楽浄土の再現しており、本尊の阿弥陀如来は勿論、柱も天井も床もすべてに金箔で荘厳され、夜光貝の螺鈿細工、象牙や宝石によって飾られて東北地方で現存する最古の浄土教建築です。

お参りしていて何故金色なのかなぁ…と仏前で考えてみました。
仏説無量寿経には阿弥陀さまの極楽浄土の世界は「真金色」であり、すべてが金色である。
 また、仏説阿弥陀経には「青色青光 黄色黄光 赤色赤色 白色白光 微妙香潔」とあり、お浄土には色とりどりの蓮華が咲き、清らかな香りを放っている。それぞれが同じ色ではなく、それぞれがそれぞれに自分の個性のままに耀き、一切が調和さていると示されます。
まさに、色が金色というのは、すべてがすべて光り耀いている世界。それがお浄土なんだなぁ…と思いました。
 私たちの娑婆世界は差別があったり、虐げられたり、劣等感を抱いたり輝けないで萎んでしまったり、戦争や争いで苦しみ悲しみは絶えず輝きを放つことが出来ず苦悩の世界です。戦争の報道で男の子だ「お父さん、お兄ちゃんもみんな死んじゃったよ」と泣き叫うちひしがれている姿を目にし心が痛みます。

この根元は私という存在があり、誰かと比べて、私が正しくて、 あっちが間違っている。自分が正義で、相手が悪であり、目まぐるしい我執の争いを繰り広げ、差別や偏見を生み出しています。

私という字を辞書には、自分のこと。公平さを欠いて、自分の都合や利益を優先すること…等々示されます。
誰しも自分を守り、自身の都合で正義とし、悪を造り出す。人は誰かと比べて、こっちが正しくて、 あっちが間違っていると判断しがちです。「正義」と「悪」、そのほとんどが自分が正義で、相手が悪と思い込む。

【ものさし】
「正義」や「悪」は誰が決めたのか?

私たちは自分中心のものさしで物事を見ています。

自分の都合の良いように、自分が得するように、 自分の好きなチームが勝つように…。「私」という存在がある限り、自分中心の考え方からは離れられません。

 私が「正義」を持ち合わせる限り、私が「悪」を生み、争いが起こる。 だからこそ、「私」ではなく、 「仏さま」の智慧をモノサシで物事を見る眼を育てたいものです。

 相田みつをさんは「損か得か人間の物差し 嘘かまことか仏様の物差し」と言われます。 

浄土真宗の信心・念仏とは阿弥陀さまの智慧のはたらきをいいます。仏のさまの智慧により、偽りだらけの私の姿が浮かび上がってきます。

親鸞聖人は仏さまの智慧に出遇いよろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とか、自身を「名利大山に迷惑して…」と言われ、その愚かな親鸞こそ阿弥陀如来の救いの目当てであり、いま、その救いの御手に抱かれている事実に出遇われました
和讃には「如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情をすてずして 回向を首としたまひて 大悲心をば成就せり」とあります。
阿弥陀さまの願は苦悩する人々を、自身の苦しみととらえ、その苦悩する私を救うことにありました。
今年も皆さまとご一緒に仏の智慧を聞思しながら耀く浄土への日々を過ごさせていただきましょう。
合掌 南無阿弥陀仏




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