「魚の気もち」
いっしょうけんめい
いきてきて
つかまえられて
やかれて
ほかされて
魚の気もちが
わかるから
かなしすぎて
しょうがない
(広島県福山市 中嶋 晃太郎 9)
さびしいとき、悲しいとき、阿弥陀さまの前にすわって、 「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」と名前を 呼びましょう。
きっとこの悲しみをわかってくださいます。
うれしいとき、そのことをご報告いたしましょう。
きっと「よかったね」と、よろこんでくださいます。
阿弥陀さまはいつでも、あなたとご一緒です。
手を合わせて、 「南無阿弥陀仏」と、仏さまのお名前を 呼ぶとき、
あなたのそばにきて、語りかけてくださいます。
淋しいあなたのそばにいてくださいます。
悲しいときはなぐさめ、ともに心を痛めてくださっています。
このような、阿弥陀さまのおこころを 「同体(どうたい)の慈悲(じひ)」 といいます。
人々の悲しみをわがこととして悲しみ、人々のよろこびをともによろこんでくださるからです。
だれも、私の悲しみをわかってくれないときでも、阿弥陀さまだけは、わかってくださいます。
(朗読法話集より)