ニュースで各地の温度が上がり、黄砂が襲い、山火事がなかなか消えないと思ったら韓国でも大規模な山火事が起きているといいます。
夜走っていてもあちこち桜が咲いているのは見かけます。
白い花の姿が見える木は木蓮で夜は白く目立ちますが愛でる人もなくただ白く明るく浮かび上がる姿はなんだか薄気味悪く、花が落ちる時は茶色く汚い感じであまり好きになれません。スタレビの歌は好きなんですけど。
この木蓮の木秩父ではあちこち植わっていて桜の木にかわって街路樹に使われたりして卒業の時に咲く花として親しまれて来たのが最近はあまり認識されることもなく花見はやはり桜と心待にされることもないのです。
各地にある桜は最近では花見時に渋滞と決まっており私は以前のように花見に出ることもないのですが、夜のランはコースを変更して桜のトンネルのなかを走ったりします。かつては羊山など提灯がつけられ夜でも賑やかでしたが最近は全く人が桜を見ることもなくなり夜走っても誰とも出会いません。花が咲くということでは桜よりアカシアやテイカカズラの方が待ち遠しいのです。
暖かくなりましたが、夜走っていると今だに手はかじかみ汗はかくもののやはりかぜの冷たさとか寒さを感じています。
夜コンビニの前を通ると半袖姿の人がいます。
それでも春らしさも暖かいなんてイメージもないまま春の辛さを感じています。
その反面暖かい珈琲の温もりのイメージは変わりなく必ずもたらされる癒しの時間。全人類共通の幸せがあります。
珈琲でもといわれると珈琲なんてほんの言い訳のように付いているだけのものに感じますが、でもというのは特別なんです。海外でも有名ですと使われるとそんな感じですね。珈琲でも飲もうとなると別に珈琲じゃなくてもいいんだけど休もうよという感じでメインではない扱いが強いのですが珈琲でも飲みましょう。珈琲、でも飲みましょう。まああまりいうと文法の定義をするだけのようになってしまうのですが、最近フォークソングの歌詞のような言い回しはしないのかもしれません。
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