先日のブラタモリの夏休みスペシャルは
長瀞でした。
長瀞というと直ぐに思い出すのが地球の窓と
いうキャッチコピーとおんじゃくです。
なぜ地球の窓かという疑問より、あの岩畳を
目にしたものには、ああこれが地球の窓かと
強く印象に残り、岩畳イコール地球の窓と
して記憶に残るのです。
そして、私には長瀞というと昔小学生だった頃の
記憶としておんじゃくと鉱物見本と大きな丸い
せんべいのイメージがあります。
それらは駅から続くお土産屋の店先には
必ずその三つが並んでおり、特に当時
鉱物見本は憧れの商品でした。
しかし、当時は高くて小遣いで買える品物でなく、
強くあこがれていたものの手が出ないという思い出
が記憶にあります。
買えるのはせいぜい10円程度のおんじゃくなのです。
そのおんじゃくというのは当時の私たちの呼称で
ネットでいくら検索しても出てきませんが所謂
ロウセキのことで、これなども当時秩父の駄菓子屋
には大概売られていましたが、産地として岡山や
広島の一部に限られ、長瀞で取れる特別な石だと
信じていましたが、鉱物見本同様長瀞とはなんら
関係ない商品なのです。
当時の鉱物見本は紙のマス目の箱に4×5程度の区切りに
ひとつづつ小さい石が入っていて蓋に石の名と説明が
あるというものでした。
長瀞で産出する石が標本とされていると当時は思って
いましたが、オンジャクにしろこの鉱物見本にしろ
長瀞にはまるで関係ないものなのです。
幼い時のこういう記憶というのはトラウマとなったり
心の傷となったりします。
ほしくてほしくて憧れたものが実はくだらない学術的に
意味もなく、所謂輝石という宝石になりえなかった
石達だったのです。
長瀞を売り出そうとした意思とは程遠いそんなくだらない
商売人の意識の低さにただ傷つけられたそんな印象の
事件です。
今でもそれらの鉱物見本はネットで買えるし、その値段は
わずか1500円程度であり、こんなものに憧れて買えない
ことに傷ついていたのかと思うのでした。
実は、長瀞は昔金が見つかることもあったそうです。
奥秩父の金山から流れた金が流れが遅くなる長瀞で
発見されるということです。
昔から金が採れたり、銅が産出した秩父には秩父で採れる
鉱物見本を作って売る資格があると思います。
そして、学術的に地学の発祥の地として売り出そうとした
歴史を地元の人も知らないのです。
それをタモリが見て片岩だと大喜びする姿はなんとも
妙な姿でした。
多くの古墳や名所、旧跡があり、古い町並みなども
残る秩父はいろいろな楽しみ方ができる町であり、
それを最近顕著なジオ的観点から見るのも一興なの
は解るものの今回のブラタモリ同様一般的な広がりに
は無理があるのではという違和感が残りました。
しかし、歴史的には番組では触れられなかった地学的
売り出しに呼応して宮沢賢治など二度も秩父を訪れて
地学的調査をしていたり、その後パレオバラドキシア
の完全骨格化石が出るなど学術的発見は続くのです。
全体標本が出たのは世界で二例目として当時は非常に
注目されたものの、その後日本でもより完全体のものが
でたり、各地で化石が発見されています。
古墳などもあることから今でも縄文土器やら化石やらが
でてくる秩父なのですから、本当の秩父で産出する鉱物と
土器や化石の標本を作ってシンボル化してもいいのではと
思います。
昔は金属から今では石灰岩、タンカル、シリカなど多岐に
渡り、珍しい鉱物もあるのにそれらを統計だって見られる
場所というのは意外とないのです。
地質的な面でそれら独特な土などから独自の焼き物が作られ
てもよさそうですし芸術家を呼び込んでという取り組みも
されているようですが、他の地域から比べそれらが大きな
イベントや芸術表現に結びついていないようです。
とまあ、オンジャクの記憶は秩父のもろもろ取り組みの
足りなさに行きつくのでした。
クリアな珈琲の切れとコクと豊かな甘みにそんなことを
考えました。
益子の益子焼と違うのはやはり秩父の持つ閉鎖性にある
のではと思えてきます。
珈琲は大航海時代イエメンから世界に拡散し、世界中で
親しまれています。
産地ごと国ごとに飲み分けるという文化は日本ならでは
のものです。
一杯一杯ハンドドリップするというのも日本の喫茶店文化
です。
そして、日本各地に名物カフェがあり、名物料理がある。
それなのに観光地となるとどこでもある料理に終始したり、
行政指導でダムカレーなど作らされていたり、珈琲の精神が
秩父には足りていないと思えるのでした。
このジオ関連の秩父もどんな展開になっていくのかと思います。
長瀞でした。
長瀞というと直ぐに思い出すのが地球の窓と
いうキャッチコピーとおんじゃくです。
なぜ地球の窓かという疑問より、あの岩畳を
目にしたものには、ああこれが地球の窓かと
強く印象に残り、岩畳イコール地球の窓と
して記憶に残るのです。
そして、私には長瀞というと昔小学生だった頃の
記憶としておんじゃくと鉱物見本と大きな丸い
せんべいのイメージがあります。
それらは駅から続くお土産屋の店先には
必ずその三つが並んでおり、特に当時
鉱物見本は憧れの商品でした。
しかし、当時は高くて小遣いで買える品物でなく、
強くあこがれていたものの手が出ないという思い出
が記憶にあります。
買えるのはせいぜい10円程度のおんじゃくなのです。
そのおんじゃくというのは当時の私たちの呼称で
ネットでいくら検索しても出てきませんが所謂
ロウセキのことで、これなども当時秩父の駄菓子屋
には大概売られていましたが、産地として岡山や
広島の一部に限られ、長瀞で取れる特別な石だと
信じていましたが、鉱物見本同様長瀞とはなんら
関係ない商品なのです。
当時の鉱物見本は紙のマス目の箱に4×5程度の区切りに
ひとつづつ小さい石が入っていて蓋に石の名と説明が
あるというものでした。
長瀞で産出する石が標本とされていると当時は思って
いましたが、オンジャクにしろこの鉱物見本にしろ
長瀞にはまるで関係ないものなのです。
幼い時のこういう記憶というのはトラウマとなったり
心の傷となったりします。
ほしくてほしくて憧れたものが実はくだらない学術的に
意味もなく、所謂輝石という宝石になりえなかった
石達だったのです。
長瀞を売り出そうとした意思とは程遠いそんなくだらない
商売人の意識の低さにただ傷つけられたそんな印象の
事件です。
今でもそれらの鉱物見本はネットで買えるし、その値段は
わずか1500円程度であり、こんなものに憧れて買えない
ことに傷ついていたのかと思うのでした。
実は、長瀞は昔金が見つかることもあったそうです。
奥秩父の金山から流れた金が流れが遅くなる長瀞で
発見されるということです。
昔から金が採れたり、銅が産出した秩父には秩父で採れる
鉱物見本を作って売る資格があると思います。
そして、学術的に地学の発祥の地として売り出そうとした
歴史を地元の人も知らないのです。
それをタモリが見て片岩だと大喜びする姿はなんとも
妙な姿でした。
多くの古墳や名所、旧跡があり、古い町並みなども
残る秩父はいろいろな楽しみ方ができる町であり、
それを最近顕著なジオ的観点から見るのも一興なの
は解るものの今回のブラタモリ同様一般的な広がりに
は無理があるのではという違和感が残りました。
しかし、歴史的には番組では触れられなかった地学的
売り出しに呼応して宮沢賢治など二度も秩父を訪れて
地学的調査をしていたり、その後パレオバラドキシア
の完全骨格化石が出るなど学術的発見は続くのです。
全体標本が出たのは世界で二例目として当時は非常に
注目されたものの、その後日本でもより完全体のものが
でたり、各地で化石が発見されています。
古墳などもあることから今でも縄文土器やら化石やらが
でてくる秩父なのですから、本当の秩父で産出する鉱物と
土器や化石の標本を作ってシンボル化してもいいのではと
思います。
昔は金属から今では石灰岩、タンカル、シリカなど多岐に
渡り、珍しい鉱物もあるのにそれらを統計だって見られる
場所というのは意外とないのです。
地質的な面でそれら独特な土などから独自の焼き物が作られ
てもよさそうですし芸術家を呼び込んでという取り組みも
されているようですが、他の地域から比べそれらが大きな
イベントや芸術表現に結びついていないようです。
とまあ、オンジャクの記憶は秩父のもろもろ取り組みの
足りなさに行きつくのでした。
クリアな珈琲の切れとコクと豊かな甘みにそんなことを
考えました。
益子の益子焼と違うのはやはり秩父の持つ閉鎖性にある
のではと思えてきます。
珈琲は大航海時代イエメンから世界に拡散し、世界中で
親しまれています。
産地ごと国ごとに飲み分けるという文化は日本ならでは
のものです。
一杯一杯ハンドドリップするというのも日本の喫茶店文化
です。
そして、日本各地に名物カフェがあり、名物料理がある。
それなのに観光地となるとどこでもある料理に終始したり、
行政指導でダムカレーなど作らされていたり、珈琲の精神が
秩父には足りていないと思えるのでした。
このジオ関連の秩父もどんな展開になっていくのかと思います。
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