King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

ザクロに柿にマツタケ

2018年10月11日 09時35分05秒 | 珈琲

また今にも降り出しそうな曇り空となり、秋満喫という

雰囲気も薄まりそうですが、こんな朝はより珈琲での出だしが

重要になります。

世界同時株安という様相の大きな動きの中で、日本も朝から

全面安という展開です。

 

あのバカマツタケで連日ストップ高の多木化学も最初は安くなる

など全滅のイメージが広がりましたが、今は反発し始めたものも出る

などちらほらと明るい光も見いだせる展開のようです。

 

昨日は、大量の戴いたザクロをただかぶりつくだけではおいしくいただけないと

思い、とにかく赤いところだけを選別して取り出し、それを絞って濾すことにしました。

 

ひとつには実がはじけると同時に中の果汁がほとばしるという独特の感覚が

素晴らしい魅力ひとつですが、その後口の中に残る種を除かないといけない

のでこれは連続して味わえないひとつのおいしいと思えない原因となっている

と思いそのようにまとめて処理したのです。

 

レジ袋一袋のザクロも解体してジュースにすると僅かコップ一杯あるかないかの

ものでした。

 

たったこれだけかと一気に飲んだところ喉に何かしわしわと何かが張り付くような

違和感があり、やがて胃の方も痛くなり出し、いつもの走り出す時間になったら

吐き気もありこれは走れないのじゃないかというくらい気持ち悪くなってしまいました。

 

これは飲み過ぎだったのかと今更に思いつつ、胃散を飲んでとりあえず走り出しました。

 

どうにか走り切り、胃の痛みも喉の不快もやっと収まり、秋の味覚の堪能も

なんと困難がつきまとうことかと思い至るのでした。

 

秋だからキノコ採りに行きキノコご飯やうどんに入れたりと採りに行くのに

一日かかり、処理にも何日もかかり、クリなども拾うのは面白くても栗ご飯に

するのに剥くだけでへとへとになり、そのへとへとの感覚ばかりが残ります。

 

それなのに毎年何か秋の味覚を求めて獲物を何にしようと考えたり、目にする

実に目が釘付けになったりします。今年は柿が豊作でどこの家にも実がたわわに

なっていますが今では収穫する家は稀で道路に落ちて汚しているところが多々

あります。

 

収穫というのは手間と引き換えであり、その果実もその労があってこそです。

 

なんでもスーパーで買える時代ですが、やはりその労を費やすことを忘れない事も

重要なのではないでしょうか。

 

例えば当店の珈琲にしてもいつ何を仕入れこの季節にはこの豆とこの豆と

いうマッチングを常に考え、それも直ぐ使える物と何年もエージングするものと

それは仕入れの計画から味を設計していくその都度のやらなくてはならないこと

の日々の積み重ねでできていることを考えれば誰かがどこかでそんな努力をして

居てくれているから人の良かったにつながるのです。

 

そんなことを毎年思い知る秋の味覚と収穫の理です。

 

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