昨日の日記について。
ちょっと一部、正確でない記載になってるようで、訂正を。
今回のパリ五輪、開会式前半の「リベルテ」という区分けがされてる部分について。
(深夜ひっそり、演奏の音を消したり小さくしたりして少し見たのが最初だったので、後で音大きくして見たら分った)
まず、聖火持ってる男が建物に入り込み、そこで上演されてるのが、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の「民衆の歌」の場面。
ここが、フランス革命で民衆が蜂起して、当時の仏市民が拳銃うったりバリケード作ってる所に居たり…と言うような、革命の一コマが視覚化されてる中で、ミュージカルの歌声が響いてる、というシーンが先にあって。
次に、当時の王妃マリー・アントワネットが、ギロチン処刑までの最後の日々の幽閉先となった、コンシェルジュリー監獄(みかけ、観光絵葉書のお城みたいな建物)が出てきて。
そのバルコニー部分に、ヘビメタバンドの「ゴジラ」のメンバーが、一人ずつに分かれて立ってて、エレキギター片手に、演奏し歌いまくる、
そして、コンシェルジュリーのたくさんの窓の向こうに、何人もの王妃アントワネットを模した人形みたいな、首のない赤いドレスの女性が立ち、手には生首が。そしてその生首も歌を歌っている。
ヘビメタバンドの演奏盛り上がった所で、建物に、赤い細い紙テープが血飛沫のように炸裂し、窓からピンクの煙、ロックコンサート張りに、建物の下から上に向かって火花も散り、‥‥と言った展開なので。
歌われてるのもフランス革命関連の歌だったり。
フランス革命をモチーフとしてるのは間違いないので、
で、NHKの解説の「レ・ミゼラブル」と言うのは、完全に間違ってるわけでないけど、そのミュージカルの全体でなく、その中の「民衆の歌」の場面だった、という事と、そもそも根本的には、この場面はフランス革命を表してるのに、「フランス革命」と言う言葉が完全に抜けてしまっていて、あれでは、誤解すると思うし。
(それと、日本人にとっての、ミュージカル「レ・ミゼラブル」と言うものは、今回のこの開会式で出てきた物とはイメージがかなり違う。だいたい、会社の知り合いとかで、これ見に行ったりしてる人たちって、生活ぶりは裕福で、どちらかと言うと、舞台をフィクションの娯楽として楽しんでいて、まず、革命云々には、興味ないと思う。)
実際、自分は誤解した。
最初、(ちゃんと座ってみたわけじゃなく、散漫に用事しながら、音も小さくして見ただけだけど)NHKの深夜ので見た時は、「窓際のアントワネット」の場面で、「何、これ~?!・・・・アントワネットが、可哀想~。ひど~い!」と言うものだった。
それが後から通しで見たら、少なくとも、舞台演出技術的には優れてるし、この場面への自分の感想・評価が180度変わった。
何より、東京五輪みたいな、いい加減にしたみえない演出(例えば、TV局の人々が出てくる場面とか。何も考えてない感じがした。舞台センスもださすぎ。)と違って、ちゃんと作品を作ろうとしてたのが分った。
-----
来週、道楽するんで、今、詳細書ける時間がないので、
結論だけ言うと。
まず、1点。あの「リベルテ」の演出、賛否があるのは大いに結構なんじゃないの?
色んな意見がある方がいいんだと思う。例えば、先の蓮舫叩きは、一方的で画一的で退廃的だったけど。そういうのと、議論全体のベクトルが全く違う。もっと開かれた方向になってるっぽい。
2点目。舞台芸術を長年見続けてきた、私の道楽者としてのカンで言うと、ごく私的には、「リベルテ」の所は、優れた芸術だと直感的に思った。
内容詳述しないけど。
私とフランス人の感覚は違うけれど。
3点目。
韓国の平昌五輪や、北京五輪の開会式のテーマは優れていて、かつ、分りやすかった。
今回の全体は、それと比べて、フランス的分りにくさはあって、賛否もあって、でも、そういう賛否を巻き起こす芸術が、私的には、パリ的だという気がしている。
一例をあげると、ディアギレフのバレエ団が上演した「牧神の午後」で、牧神を演じた天才ダンサー・ニジンスキーが、演技に入り込み過ぎてしまって、舞台上でマスタベーションする、と言う、場内騒然のスキャンダルを巻き起こした、ということがあった。
でも、そういう芸術が上演されてしまっているのが、パリ。
芸術において許容度が高い、と言っていいのか分からないが。
スキャンダリズムと抱き合わせの芸術性、みたいなものが存在できる街、とでもいうのか。うまく表現できないけど。
フランス人の思う「自由」、リベルテ、と、日本人の思う「自由」って、微妙に意味が違うのかもしれない、と思った。
4つ目。「コンシュルジュリー監獄の王妃アントワネット」の暗くじめっとした印象を、カラッとポップに変えた、斬新な演出センス・演奏等には、恐れ入りました!という気持ち。
やっぱり、センスも大事。
【追記】ただ、大変残念ですが、録画してなく、今NHKプラスでは見れない、確認できてなく、TVerでは、編集の手も入って、ヘビメタの演奏と歌も完全に入ってはいないし、NHKの深夜に出てたノーカット版(?)、最初に見られた放送分で分かる迫力、良さが、これではかなり減って、全くの別物。
一般的に、作品と言うものは、演出家が出してきた物をそのまま見るべきで、変に編集の手が入って表現が変質していたり薄まったりするのは、良くない。「リベルテ」というタイトルで、日本の不自由さが、端的に露呈した感。
以上、雑ですが、とりあえず。
ちょっと一部、正確でない記載になってるようで、訂正を。
今回のパリ五輪、開会式前半の「リベルテ」という区分けがされてる部分について。
(深夜ひっそり、演奏の音を消したり小さくしたりして少し見たのが最初だったので、後で音大きくして見たら分った)
まず、聖火持ってる男が建物に入り込み、そこで上演されてるのが、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の「民衆の歌」の場面。
ここが、フランス革命で民衆が蜂起して、当時の仏市民が拳銃うったりバリケード作ってる所に居たり…と言うような、革命の一コマが視覚化されてる中で、ミュージカルの歌声が響いてる、というシーンが先にあって。
次に、当時の王妃マリー・アントワネットが、ギロチン処刑までの最後の日々の幽閉先となった、コンシェルジュリー監獄(みかけ、観光絵葉書のお城みたいな建物)が出てきて。
そのバルコニー部分に、ヘビメタバンドの「ゴジラ」のメンバーが、一人ずつに分かれて立ってて、エレキギター片手に、演奏し歌いまくる、
そして、コンシェルジュリーのたくさんの窓の向こうに、何人もの王妃アントワネットを模した人形みたいな、首のない赤いドレスの女性が立ち、手には生首が。そしてその生首も歌を歌っている。
ヘビメタバンドの演奏盛り上がった所で、建物に、赤い細い紙テープが血飛沫のように炸裂し、窓からピンクの煙、ロックコンサート張りに、建物の下から上に向かって火花も散り、‥‥と言った展開なので。
歌われてるのもフランス革命関連の歌だったり。
フランス革命をモチーフとしてるのは間違いないので、
で、NHKの解説の「レ・ミゼラブル」と言うのは、完全に間違ってるわけでないけど、そのミュージカルの全体でなく、その中の「民衆の歌」の場面だった、という事と、そもそも根本的には、この場面はフランス革命を表してるのに、「フランス革命」と言う言葉が完全に抜けてしまっていて、あれでは、誤解すると思うし。
(それと、日本人にとっての、ミュージカル「レ・ミゼラブル」と言うものは、今回のこの開会式で出てきた物とはイメージがかなり違う。だいたい、会社の知り合いとかで、これ見に行ったりしてる人たちって、生活ぶりは裕福で、どちらかと言うと、舞台をフィクションの娯楽として楽しんでいて、まず、革命云々には、興味ないと思う。)
実際、自分は誤解した。
最初、(ちゃんと座ってみたわけじゃなく、散漫に用事しながら、音も小さくして見ただけだけど)NHKの深夜ので見た時は、「窓際のアントワネット」の場面で、「何、これ~?!・・・・アントワネットが、可哀想~。ひど~い!」と言うものだった。
それが後から通しで見たら、少なくとも、舞台演出技術的には優れてるし、この場面への自分の感想・評価が180度変わった。
何より、東京五輪みたいな、いい加減にしたみえない演出(例えば、TV局の人々が出てくる場面とか。何も考えてない感じがした。舞台センスもださすぎ。)と違って、ちゃんと作品を作ろうとしてたのが分った。
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来週、道楽するんで、今、詳細書ける時間がないので、
結論だけ言うと。
まず、1点。あの「リベルテ」の演出、賛否があるのは大いに結構なんじゃないの?
色んな意見がある方がいいんだと思う。例えば、先の蓮舫叩きは、一方的で画一的で退廃的だったけど。そういうのと、議論全体のベクトルが全く違う。もっと開かれた方向になってるっぽい。
2点目。舞台芸術を長年見続けてきた、私の道楽者としてのカンで言うと、ごく私的には、「リベルテ」の所は、優れた芸術だと直感的に思った。
内容詳述しないけど。
私とフランス人の感覚は違うけれど。
3点目。
韓国の平昌五輪や、北京五輪の開会式のテーマは優れていて、かつ、分りやすかった。
今回の全体は、それと比べて、フランス的分りにくさはあって、賛否もあって、でも、そういう賛否を巻き起こす芸術が、私的には、パリ的だという気がしている。
一例をあげると、ディアギレフのバレエ団が上演した「牧神の午後」で、牧神を演じた天才ダンサー・ニジンスキーが、演技に入り込み過ぎてしまって、舞台上でマスタベーションする、と言う、場内騒然のスキャンダルを巻き起こした、ということがあった。
でも、そういう芸術が上演されてしまっているのが、パリ。
芸術において許容度が高い、と言っていいのか分からないが。
スキャンダリズムと抱き合わせの芸術性、みたいなものが存在できる街、とでもいうのか。うまく表現できないけど。
フランス人の思う「自由」、リベルテ、と、日本人の思う「自由」って、微妙に意味が違うのかもしれない、と思った。
4つ目。「コンシュルジュリー監獄の王妃アントワネット」の暗くじめっとした印象を、カラッとポップに変えた、斬新な演出センス・演奏等には、恐れ入りました!という気持ち。
やっぱり、センスも大事。
【追記】ただ、大変残念ですが、録画してなく、今NHKプラスでは見れない、確認できてなく、TVerでは、編集の手も入って、ヘビメタの演奏と歌も完全に入ってはいないし、NHKの深夜に出てたノーカット版(?)、最初に見られた放送分で分かる迫力、良さが、これではかなり減って、全くの別物。
一般的に、作品と言うものは、演出家が出してきた物をそのまま見るべきで、変に編集の手が入って表現が変質していたり薄まったりするのは、良くない。「リベルテ」というタイトルで、日本の不自由さが、端的に露呈した感。
以上、雑ですが、とりあえず。