原爆の日に、広島・長崎の両市長から、核兵器禁止条約について、参加しなかった日本政府への批判と、参加の呼びかけがあり、当然の主張と思った。
立場が違えば異なる見解もあろうが、地道に訴えていくことも大切。
何でこんなこと、ここで書いてるのかと言えば、直接には、原爆の日恒例の、原爆についての特集の番組を、2,3見てしまい、今風の新しい放送手法もあって、触発された、という事はある。(やっぱり、昔と番組の作り方が違って、CGか何か知らないけど、手法的に視覚面でより具体的に分りやすくなっているかなとは思った。)
見てて一番痛かったのは、NHKのドキュメンタリーの「原爆死」を扱ったもの。
こういうのは、自分らが見るよりも、アメリカの人々が多く見るべきだし、一番見るべきは、原爆を落とす判断に関わった為政者や、開発者とか、その他関連する人々(もう死んでる人物もあるわけだけど。)と痛感した。アメリカ人、全国民が見ても、良い位だと、ごく私的には思う。
権力者だって、為政者だって、全てを解って判断してるわけではないことを、小泉純一郎の対応がよく示していると思う。
・首相だった頃・・・原発推進政策で、反対派の主張を圧殺した。
・その後、福島原発事故以降・・・フランスだかどこかで、原発の後処理の深刻さだかを啓蒙されたんだったかで、一転して、今の政府の方向性に批判を隠さず、反原発を主張した。
為政者が、自分のやったことがなんだったか、後から分った例。
福島原発事故、未曾有の事態ではじめて、自分が何をしたのか、思い知った。為政者が全てわかって判断してるわけじゃない、間違ってはいけない。為政者側の言う通りにしておけば良いなんて思う奴は、愚かだ。
また、「原爆死」を扱った番組の中で、「こんなに酷い苦しみは、この世でちょっと、他にないんじゃないか」、だったか、(ちょっと違ったかも)そんなような、原爆死に至った患者たちを診た当時の医師からの発言があった。本当に、きっとその通りだと思う。
あれを見たら、勇気を持つことができるようになるというか・・・。
自分が10代の頃、特高警察の拷問の話なんて、自分なんかはドン引きして読んだ記憶がある。その時は、自分には、最初に出てきた、たしかつめはがし拷問のあたりで、もう、しょえええ~と思ったり。とても耐えそうなシロモノではないので、もし万一こういう状況になりそうな場合っって、自分らは自死できる段取り訓練を徹底しないと非現実的だな~と思ったり、つまり歯医者も拷問も痛いことは嫌いなので~、という思考回路。口を割らずに拷問に耐えて、血の詰まった袋状の遺体として遺族のもとに届けられるに至った闘士なんて、凄いと思っても自分にはそんな英雄的行動、無理無理、遠い世界としか思わんかった。
けれど、今回は、「原爆死」のひどさに比べれば、多少のことは…、みたいな気になってきた。
刑務所の拷問よりも、もっとずっと酷い痛みもあるのだと知ると。
原爆を浴びて、苦しんで死んでいくのは、とても人工的な事で引きおこってる、異常な死に方だから。そのメカニズムを解説していたので。
そんな苦しみを受けた人たちも、同じ日本人の中に、多くいたのだから。こんなことは、あってはならないと、思うばかりだ。それに比べれば多少のことは、みたいな気分になってくる、そんな放送内容だった。
(原爆を浴びたことによって、体内の血管の水分が一部が蒸発して…等々の、血管その他、人体皮下の図解(よく健康番組、病気解説の番組で出るようなの)が、分かりやすく、メカニズムの見せ方の工夫があって、素人向けに良かった。)
声を上げないより、挙げた方がいい。
共謀罪とか、面倒な世の中になってきたとは思ったけど、思った通りに生きて、何かあったら、その時はその時。
これは酷いとか、行きすぎだなと思ったら、声は上げないと、歴史が繰り返すだけだから、二度とあってはならない、というようなことは、繰り返さないように、出来ることをしていった方が、いいと感じた。
・最後に、リピート。
私よりも、米国人が、そして関係者が、この「原爆死」の壮絶な映像を、見るべきだ。
その昔、公害病の告発譚で、田中正造は、足尾銅山鉱毒を告発したさい、汚染された水を議会かなんかで周囲に示して、「この水が飲めるか!?」と皆に迫った。(って、何かに書いてあった。)
それでいったら、あの原爆死、「お前ら、こういう目にあいたいと思うか!?」って、アメリカの原爆投下に関与した全員に、言ってやりたい。
と言うのが、番組見た瞬時の感想。
このくらいのこと、一日本人の私が書いても、いいでのは、ないかと。
ついでにいえば、トランプ政権へのチェンジは、日米のありかたの、みなおしのきっかけになりうると思うし、何でもアメリカの言いなりでいいわけでもあるまい。アメリカ追従とか、あべしんぞうマンセーとか、ほんと、やめてほしい。
固い話が2件来たので、次回は柔らかい話で。
【おまけ】「原爆死」のドキュメンタリーを見たあと、人類最速の男と言われたウサイン・ボルトが、ついに勝てなかったレースを見たけど、人間の身体が原子爆弾の力で、めちゃめちゃに破壊されたのを見た後なので、こんなにも鍛え上げられた身体で最上のパフォーマンスをし続けられたことの有難味が、心に沁みた。最後は3位でも、ボルトは、こないだのオリンピックは勝てて良かったね、と素直に思った。
同様に、その日、広島東洋カープの勝った野球の試合を見て(原爆の日だから勝った、かどうか知らないし、「だから勝とう!」と思っても、それで勝てるほど勝負の世界は甘くないと思うが。去年神ってると言われた鈴木誠也とかがレース回顧の短い放送に映っていて、原爆の日の今日、勝って良かったと思った。チームプレイも光るカープの面々を見ながら、やっぱり、こんな立派な身体で活躍できる幸せを、感じた。
「からだ」。今あるものの、有難味、大切さを、再認識した。
立場が違えば異なる見解もあろうが、地道に訴えていくことも大切。
何でこんなこと、ここで書いてるのかと言えば、直接には、原爆の日恒例の、原爆についての特集の番組を、2,3見てしまい、今風の新しい放送手法もあって、触発された、という事はある。(やっぱり、昔と番組の作り方が違って、CGか何か知らないけど、手法的に視覚面でより具体的に分りやすくなっているかなとは思った。)
見てて一番痛かったのは、NHKのドキュメンタリーの「原爆死」を扱ったもの。
こういうのは、自分らが見るよりも、アメリカの人々が多く見るべきだし、一番見るべきは、原爆を落とす判断に関わった為政者や、開発者とか、その他関連する人々(もう死んでる人物もあるわけだけど。)と痛感した。アメリカ人、全国民が見ても、良い位だと、ごく私的には思う。
権力者だって、為政者だって、全てを解って判断してるわけではないことを、小泉純一郎の対応がよく示していると思う。
・首相だった頃・・・原発推進政策で、反対派の主張を圧殺した。
・その後、福島原発事故以降・・・フランスだかどこかで、原発の後処理の深刻さだかを啓蒙されたんだったかで、一転して、今の政府の方向性に批判を隠さず、反原発を主張した。
為政者が、自分のやったことがなんだったか、後から分った例。
福島原発事故、未曾有の事態ではじめて、自分が何をしたのか、思い知った。為政者が全てわかって判断してるわけじゃない、間違ってはいけない。為政者側の言う通りにしておけば良いなんて思う奴は、愚かだ。
また、「原爆死」を扱った番組の中で、「こんなに酷い苦しみは、この世でちょっと、他にないんじゃないか」、だったか、(ちょっと違ったかも)そんなような、原爆死に至った患者たちを診た当時の医師からの発言があった。本当に、きっとその通りだと思う。
あれを見たら、勇気を持つことができるようになるというか・・・。
自分が10代の頃、特高警察の拷問の話なんて、自分なんかはドン引きして読んだ記憶がある。その時は、自分には、最初に出てきた、たしかつめはがし拷問のあたりで、もう、しょえええ~と思ったり。とても耐えそうなシロモノではないので、もし万一こういう状況になりそうな場合っって、自分らは自死できる段取り訓練を徹底しないと非現実的だな~と思ったり、つまり歯医者も拷問も痛いことは嫌いなので~、という思考回路。口を割らずに拷問に耐えて、血の詰まった袋状の遺体として遺族のもとに届けられるに至った闘士なんて、凄いと思っても自分にはそんな英雄的行動、無理無理、遠い世界としか思わんかった。
けれど、今回は、「原爆死」のひどさに比べれば、多少のことは…、みたいな気になってきた。
刑務所の拷問よりも、もっとずっと酷い痛みもあるのだと知ると。
原爆を浴びて、苦しんで死んでいくのは、とても人工的な事で引きおこってる、異常な死に方だから。そのメカニズムを解説していたので。
そんな苦しみを受けた人たちも、同じ日本人の中に、多くいたのだから。こんなことは、あってはならないと、思うばかりだ。それに比べれば多少のことは、みたいな気分になってくる、そんな放送内容だった。
(原爆を浴びたことによって、体内の血管の水分が一部が蒸発して…等々の、血管その他、人体皮下の図解(よく健康番組、病気解説の番組で出るようなの)が、分かりやすく、メカニズムの見せ方の工夫があって、素人向けに良かった。)
声を上げないより、挙げた方がいい。
共謀罪とか、面倒な世の中になってきたとは思ったけど、思った通りに生きて、何かあったら、その時はその時。
これは酷いとか、行きすぎだなと思ったら、声は上げないと、歴史が繰り返すだけだから、二度とあってはならない、というようなことは、繰り返さないように、出来ることをしていった方が、いいと感じた。
・最後に、リピート。
私よりも、米国人が、そして関係者が、この「原爆死」の壮絶な映像を、見るべきだ。
その昔、公害病の告発譚で、田中正造は、足尾銅山鉱毒を告発したさい、汚染された水を議会かなんかで周囲に示して、「この水が飲めるか!?」と皆に迫った。(って、何かに書いてあった。)
それでいったら、あの原爆死、「お前ら、こういう目にあいたいと思うか!?」って、アメリカの原爆投下に関与した全員に、言ってやりたい。
と言うのが、番組見た瞬時の感想。
このくらいのこと、一日本人の私が書いても、いいでのは、ないかと。
ついでにいえば、トランプ政権へのチェンジは、日米のありかたの、みなおしのきっかけになりうると思うし、何でもアメリカの言いなりでいいわけでもあるまい。アメリカ追従とか、あべしんぞうマンセーとか、ほんと、やめてほしい。
固い話が2件来たので、次回は柔らかい話で。
【おまけ】「原爆死」のドキュメンタリーを見たあと、人類最速の男と言われたウサイン・ボルトが、ついに勝てなかったレースを見たけど、人間の身体が原子爆弾の力で、めちゃめちゃに破壊されたのを見た後なので、こんなにも鍛え上げられた身体で最上のパフォーマンスをし続けられたことの有難味が、心に沁みた。最後は3位でも、ボルトは、こないだのオリンピックは勝てて良かったね、と素直に思った。
同様に、その日、広島東洋カープの勝った野球の試合を見て(原爆の日だから勝った、かどうか知らないし、「だから勝とう!」と思っても、それで勝てるほど勝負の世界は甘くないと思うが。去年神ってると言われた鈴木誠也とかがレース回顧の短い放送に映っていて、原爆の日の今日、勝って良かったと思った。チームプレイも光るカープの面々を見ながら、やっぱり、こんな立派な身体で活躍できる幸せを、感じた。
「からだ」。今あるものの、有難味、大切さを、再認識した。