懐かしのバレエ

バレエ、パフォーミングアーツ等の感想、及び、日々雑感。バレエは、少し以前の回顧も。他、政治、社会、競馬、少女マンガ。

使い方、使われ方

2018-06-03 02:05:58 | Weblog
突然、ドラマ感想ネタ。

自分は、朝の連ドラファンではなく、普段あまり見てもいないし、朝ドラでブレイクした(?)らしき、ディーン・フジオカという俳優さんを、あんまり、いいと思ってなかった。(ついでに言えば、朝ドラでやっぱりブレイクした、向井理に至っては、どこがいいのか分らないし、あれがイケメンって、納得できない。日本人の美男レベルの低さが感じられて、がっかりである。(あ~、言いたいこと言っちゃうって、すっきり~)

で、ディーン・フジオカという俳優さんのことも、…正直言って、二枚目扱いされてる、大根役者位にしか、思ってなかった。(ごめん)

前作は、作品自体が酷かったことや、武井咲を目立たせるためのドラマで、ディーンの立ち位置は、その引き立て役、と言ったポジションだったから、仕方ないかもしれないが、凄く印象が悪かった。(ちゃんと見たわけじゃないけど、作品自体が、見るに堪えない印象だった。色んな意味で安直すぎて。)

美男美女俳優は、出た当初は大根でも良いし、過去にデビュー当時、大根だった俳優で、その後、演技派になった人も幾らも居る。輝くばかりの美男美女俳優が、デビュー当時、棒でも、監督の使い方が適切であれば、構わないのだが。ただ、自分的には、今まで、個人的な美観として、ディーン・フジオカという俳優に、そこまで大騒ぎするほどの魅力があるとは、思ってなかった。

ところが。

「使い方、使われ方」とは、あるもので。

こういう、ファンにぶっ飛ばされそうな感想が、今放送してる「モンテ・クリスト伯」で一変した。

はあ~、この俳優さんは、こういう使い方をすればよかったのねぇ~~~~。

と、その一点においては、ひたすら感心するばかり。

ドラマとして、ディーン扮する復讐鬼の主人公・真海以外は、脚本、演出の荒い部分があって、視聴率低くても仕方ないかなと思う部分もある反面、

ディーン・フジオカという、日本にはあまりない個性・資質を持った俳優の魅力を、今までなかった形で良く引き出していて。

ディーン・フジオカ ワールドになってるドラマ。

復讐鬼の館のヨーロッパ風なのか、調度や室内の照明の光度までもが、主人公のエレガンスと一体化して、独特の世界を形成してる事に、瞠目した視聴者は少なくないのでは?

正直、大根なのかと思ってた演技部分も、この一作についてはとんでもないというか、一般的な演技派の俳優にも、なかなかできないような演技をしていて。

穴が目立つ台本、荒唐無稽な設定を、ディーンの憂いを帯びた陰影ある演技が、補っているというか。

演技だけでなく、撮り方も、ターゲットが転落する様を見る時など、照明の当て方で、彫りの深い美貌に陰影が出て、復讐鬼の怖さが、その容貌ゆえに増して見えて、秀逸だった。撮る側も、この人でこの作品をとって、いかに魅力的な場面を作るか、と考えて、その作業を楽しめそうな気がした。

本当は、作品全体のグレードがもっと高いともっといいんだけど。(例えば、エデルヴァの話は、その役の俳優さんの演技と、台本の設定に説得力がなさすぎる。

裕福な家の娘から、一転して両親を目の前で殺され、東南アジアのやくざな筋に売り飛ばされ、少女の頃から売春生活をずっとしていた女にしては、転落させた幸男への憎悪が緩すぎるし、演技も絵空事レベル。彼女が幸男に情を感じる設定は、この脚本家が、自分の書いた設定内容を想像する事が出来ない、貧しい想像力の人なのだろうと思わせた。)

肝心のヒロイン、山本美月が、・・・・。暖と結婚式しようとしてたわりには、あっさり幸男と結婚して娘をもうけて幸せに暮らしていたり、…台本の緩さを、俳優側が演技で補えるわけでもなく、女としては、そんなに強い愛ではなかったのでは?と思ってしまう。原作が、実際に、こういう展開なので、この設定になったとは思うけど。とにかく山本美月に、絶対的なヒロインと思えるほどの魅力が乏しい。

とか、穴はあるけど。

ディーン・フジオカという、エレガントで気障っちい演技をさせたら、本格的な雰囲気が造れる素養を持った俳優に、静かな狂気を演じさせて、見る側にこの復讐鬼の秘める静かな哀しみに、共感に近い感情を起こさせてしまうような、フィクションにしかできない世界を現出している。

それと、この俳優さんは、後天性の人、努力型っぽくて、今の日本の俳優一般と、いい意味でちょっと違うのが。

発掘した人の功績を感じる。

この作品がなかったら、私はこの俳優の良さを分らなかったし。その人の良さを引き出せるような使い方ができる相手と出会うか出会えないかは、大きなことのように、今回は思った。

後は、稲森いづみが、やっぱり、台本設定の通り一遍でなく、役に厚みを持たせて、こういうのが女優の力量なのだろうと思わせた。

※その昔、演出家の寺山修司が、東由多加に対してだったと思うけど「美少女を使っているので、才能があるんでしょう」と言ったと伝えられたことがあるけれど、

その、重い意味を、今回は思い知らされた気がした。

美人女優だけでなく、監督・演出家で、美男を撮るのが好きな人も、割といるような気がするけれど、それもほぼ同じ意味だと思った。いいものを作りたい、面白いものを作りたい、と思った時、至りつく所、というのか・・。

ディーン・フジオカという俳優は、必ずしも美貌に頼ったタイプの俳優というわけでもなくて、それ以外の努力や素養、バックボーンのある人には見えるけど。

※脚本は、以前の「僕のヤバい妻」の時の方が、まず、「脚本」が第一にあるような作品に見えて、「モンテ・クリスト伯」は、全ての中心がディーン扮する真海にあるようなドラマに見えた。

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